偉人『即席麺の生みの親 安藤百福』

「すぐ美味しい〜すごく美味しい、チキドン、チキドン、チキドンドン・・・」で始まるCMでお馴染みの日清食品のチキンラーメン。子供の頃インスタントラーメンを食べたという記憶は少なく、私にとりチキンラーメンは食すよりもCM曲を耳にし口ずさむことが身近であった。時は流れ私とカップラーメンの距離がグッと縮まったのは留学である。スーツケースに幾つものカップヌードルを忍ばせ日本を離れた。当時のカップヌードルCM曲『そして僕は途方に暮れる』は、広大な異国で想像をはるかに超えた不自由さに途方に暮れていた私の心情そのままであった。シーフードヌードルを見る度に冷え切った体を五臓六腑から温めてくれたことが懐かしく思い出される。

そして又数十年の時が流れご縁あって安藤家の方とお話しする機会があり、百福氏のバイタリティがどこから生まれていたのか、どのような生い立ちを歩んで来られたのかに興味を抱き、今回は敬意を持ち考察してみることとする。

数年前朝ドラ「まんぷく」で安藤百福氏の功績や彼が何度も失敗を繰り返し、その度に立ち上がり現在の日清食品を世界的企業に伸し上げた不屈の人物であったことが多くの人の知る所となった。ここ沖縄にも台湾にルーツを持つ方が比較的多いためこのドラマが始まった頃に「彼は台湾人、呉百福」と誇らしげに話していたものだ。

1910年3月5日日本統治下の台湾で安藤百福こと呉百服氏は誕生する。彼は幼くして両親を亡くし、兄妹らと共に織物販売を手広く行う裕福な祖父母のもとで育つ。祖父は厳しい人で自分のことは自分で行うよう炊事・掃除・洗濯・マナーなどを徹底敵に教え込み、それに応えるように百福は行動し、その中でも特に料理に興味を持ち中学に上がる頃には自分と妹たちの朝食とお弁当を作っていたそうである。好奇心旺盛の彼は台湾の豊かな食文化に触れ料理の腕前を上げたそうである。

彼は父の遺した遺産を元手に当時珍しかったメリヤスという織物(ニット)に着眼し、東洋メリヤスという会社を立ち上げ拠点を大阪に移す。アイディアとバイタリティあふれる行動で会社は成功の道を辿りつつあったそうだが、不穏な社会情勢を察知しメリヤス会社から軍用機のエンジン部品を製造する会社設立に動き、この行動が彼を暗転たる道に向かわせてしまった。いや彼だけでなく世界大戦に巻き込まれた多くの人々の人生が狂い始めたのである。彼は戦後の混乱期に製塩業、漁をし干物を作り販売したり、中華交通技術学校を作ったかと思えば国民英王科学研究所というものを作り食用蛙を使用した栄養価病院食を考案する。多くの仕事を自ら手掛ける事になったがいずれも失敗に終わった。

しかし百福氏の一連の行動は常に何かを形にしようと必死に考え、アイディア捻り出そうとする不屈の精神を持ち主であったからこそできたことで、それは幼い頃に親を亡くし自分自身力で生き抜くことを定めとされたからこそ、失敗をしても立ち上がら無ければならなかったのだろう。その彼の生い立ちから育まれた不屈の精神はやがて世界的企業を作ることができたのである。人間失うものが無いと強いというが正に彼はそのような精神性を持っていたのだ。

戦争終結し食糧不足が続く中、小麦の余剰でビスケットを生産することを政府が決めたときに彼は「日本人にはビスケットよりも麺料理のラーメンが向いている」と厚労省に直談判するが取り合ってもらえず、逆に自分自身で作るよう突き返されたという。この一件があったからこそ即席麺が完成し世界的に普及したのである。その彼の真髄を見抜く力の上に現代の人々が恩恵を受けているのである。

安藤百福氏の人生を語る記事の多くが彼の人生は七転び八起きということで括られている。私もその点については同感であるが、なぜ彼が誰もやっていないことに手を出したり、できそうにないことに果敢にチャレンジするのか、そして失敗し大きなものを失っても自分自身の血や肉となっているとの考えに至れるほどの強い人物になり得たのかを子供の頃に遡って勝手に想像してみたいと考える。

私の父もそうであるが戦禍を潜り抜けてきた人物ほど精神的にタフな人はいない。戦禍を生き抜いた人々は強くならざるおえなかったのかもしれないが、幼くして両親を亡くし頼る祖父母がいて衣食住に困ることがなかったことは相当恵まれていたと思う。厳しい祖父により生きる道を自分自身で開拓するように育てられたということに於いてはさらに幸いであり、また彼自身がその祖父母の思いを汲んで育ったことが何より自分自身を高める精神を培ったといえよう。子供というものはどのような環境下に誕生してもやはり道理を教える大人の関与が必要である。その点が満たされた子供は厳しい状況にあったとしても自分自身の道を歩むことが可能であると安藤百福氏の人生が語っている。

人間何かなすべきことを実現するためにこの世に生まれてくるのだとしたら、そのサポートをできる環境を整えてあげることが大人の役目であり、社会の成すべきことであると改めて彼の人生から気付かされたことである。

安藤百福氏は多くの人が手軽に美味しく食べる喜びを世界に広めるた人物であり、何かを成そうと常にチャレンジし走り続けた人生であったと考える。彼のような大きなことはできないが自分自身の足元から今できることを積み上げていきたいと考える。その前に久々に暖かなカップヌードルを食し、この中にどれだけの想いが詰まっているのかを考えながら今日一日過ごそうと思う。

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