偉人『千利休第2弾』

下克上の戦国時代

茶の湯は一族の運命を掛け

時には駆引きの場として

政治活用された場所である。

織田信長、豊臣秀吉の茶頭

侘び茶を大成させ

彼の自己信念を曲げず

権力者にも媚びず

自らの命さえも差し出す

千宗易こと千利休

その頑固さの所以を探る

利休は堺の裕福な魚問屋と

倉庫業の跡取りとして誕生。

当時の堺は有力商人による

自治的な都市であったため

利休の祖父は室町幕府8代

将軍足利義政と茶を通して

交流があり、

利休も品位と教養を磨くため

茶の道へ入った。

千家流の始祖となった利休は

侘びという抽象的な美を

鋭敏なまでの感性で

不要なものを削ぎ落とし

自然と一体化させた。

自然が織り成す簡素な趣きを

繊細さや微細さで感知し

ストイックなまでに

美を追求する世界観は

一途で頑なな気質を感じる。

利休には芸術家特有の気迫と

狂気を感じる。

派手な黄金茶室を好む秀吉に

黒は古き心なりと黒楽茶碗を

出したことで切腹を命じられ

それを受け入れる

凡人には到底理解できない。

天下統一を成し遂げた

豊臣秀吉に対し

自らの誇り高き芸術化として

屈しない強さの気質は

生まれ持ったものだ。

自分がどうあるべきかという

強い信念を持ち

信念を貫き通す心の強さ

流されず常に冷静な判断をし

物事を貫徹した人物特有の

プライドの高さは

生まれ持った気質だろう。


気質は変えようがない。

ただ幼児期に以下の経験が

不足していただろう。

最初に親との関わりの中で

素直さ柔軟さ従順さを学び

やがて他者の話に耳を傾け

意見を聞き

人とまっすぐ向き合い

折り合いをつけていくこと。

大店の跡取りであるが故

自らの意見が通りやすい

幼児期を過ごし

また子供達と交わることが

極端に少なく

適応していく経験をせず

過ごしたのではないか。

千利休、

天下人でさえ

彼の信念たるものを揺るがせず

彼の飾り気のない侘びの世界が

今も尚日本人独自の美意識に

閑寂として息づいている。


子の頑なさは時に

難しさを感じさせるが

大成した偉人に目を向けると

必然だとそう納得してしまう。





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