偉人『千利休』

「まいど! 千利休さん、

 どないでっか 

 もうかってまっか?」

「全然あきまへんは」


茶道具の値を釣り上げ

至福を肥やした利休。

侘び茶を大成させた茶聖とは

思えない行動をしていた。

が彼の生い立ちを考えれば

それも当然、彼は豪商の子

儲けてなんぼの家で育った。

利休は大阪の堺で生まれ育つ

当時堺は会合衆という商人が

町の自治運営をし儲けていた

経済特別区であった。

そこに目を付けたのが

経済重視の織田信長

堺の町全体を包囲し攻撃した

堺の会合衆らは抵抗するも

その結果は

火を見るより明らかで

堺は自治権を奪われ

信長は莫大な税徴収ができた

そんな信長を利休は

どう見ていたであろう。

最初は苦々しく思っただろう

しかし根っからの商家育ち

転んでもただでは起きぬ

この気質は生まれ持っていた

「利休さん儲かりまっか?」

「きばらなあきまへんなぁ」


この時代に利休は茶を究め

信長、秀吉の茶頭になり

政に意見を求められ

益々政治に近づいていく

茶席が政の意見交換の場に

そして諸大名や武士らも

利休を立てるようになる。

茶聖が薦める茶道具を

欲するようになるのも

不思議なことではない。

ましてや商人の血筋

堺の自由自治を

奪われたのだから

言い値を付けて売る事も

当然だと考える。

江戸時代の生臭坊主より

ずっと精錬のように思う。


「利休さん、最後にもう一遍

 儲かってまっか?」

「ぼちぼちでんな」

ぼちぼち・・・

いいのか悪いのか

曖昧模糊の答えを返すのが

一筋縄ではいかない

大阪商人の強かさ。


信長・秀吉でさえも利用する

そのチャンスを虎視眈々と

ねらったに違いない。

それが茶聖の利休であり

商人の子田中与四郎であった


血筋は先祖から受継いだもの

育ちは環境から出てくるもの

ふとした時に現れる素の姿が

美しくあれと子供達の成長を

心から願うばかりである。

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