偉人『ミケランジェロ・ブオナローティ』
ルネッサンス期の三大画家
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ラファエロ・サンツィオ
ミケランジェロ・ブオナローティ
今回は野心家の巨匠
ミケランジェロにスポットを当てることにする。
後世に残る優れた絵画を残したにも拘らず
自らを彫刻家と名乗った。
石に向かい、石と語り、彫刻は神の啓示と言い放ち
ストイックに鑿を振るい
全身全霊で心血注いだ所以が生まれ育った環境にある。
彼の父は銀行経営に失敗し、石工と農園を経営。
一方で母は病弱で彼は生まれて直ぐに石工で働く者に預けられる。
そして6歳で母が他界し、母の温もりすら知らず育つ
乳児にはとりわけ母の愛情を
一身に受け慈しまれることが重要であり
また選択的聞く力の無い乳児にとって
石切り場の音の洪水の中で育つのは、大変厳しい環境である。
石や砂埃にまみれ、気性の荒い石工らを見て育ち
守り愛し育てる母もおらず
人を信じ愛する術や人との調和を重んじることを彼に説く者はいなかった。
私はそう推察する。
頑固者で気性が荒く、
風変わりで常に誰かと揉めごとを起こし
人との調和を好まず
剣先のような鋭さを持ち
時の権力者に歯向かい屈せず
いつも孤高の様な生活をし
心の安住を知らず生きているような人物だ。
そんな彼の生き様に幼児教育者として
彼の育った環境に人格形成がなされたことが十分理解できる。
その一方で、人間は本能的に自らに欠けたものを埋めようとする力が働くことも
長年の経験から感じていることだ。
そう、もし彼がその欠けたピースを埋めようとしたならば、1つの母子像に至るのではないか。
巨匠ミケランジェロの人生は、彼の作品からも分かるように探求と苦難の連続である。
鋭く猛々しく、強く逞しく
時に人間の醜さを表現し、妥協とは無縁の芸術を神の領域に近付け
芸術仲間さえ近寄れぬ気迫の中に身を置き
慈愛とは程遠い作品の中でもこの『ピエタ』だけは
宗教的題材であるものの彼の自問自答する内なる心の声が聞こえる
「我が母とは、どんな人か」と。
顔、声、温もりさえ知らず
実母を追い求め石に向かい
石の中にその答えを求め
ひたすら大理石彫り続けた彼の切なさ、母への思いの深さ
乳幼児期から年老うまで一貫して欠損した母性を
作品の中で補完するかの如く彫り続けたであろう。
もし彼に会うことができたら真っ先に問うてみたい
「あなたは石の中に母を見ていたのですか?」と。
イタリア・ルネサンス期のミケランジェロ・ブオナローティ
石工に預けられたらからこそ偉大なる芸術家になった。
母の愛が欠けていたからこそ、冷たい大理石の中にも温かさを感じ、息を呑むほどの美しい母子像を彫り得たのかもしれない。
それは彼の生れ落ちた環境は、その道を究めるための必然だったのだろうか。
彼の人生に欠損した母の愛が、この作品によりはめ込まれたことを願いたい。
そしてコロナ禍で厳しい状況下にある今だからこそ、与えられた厳しいそれぞれの場所で花を咲かせる努力をしたいものだ。
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