偉人『ナポレオン・ボナパルト』

今回は御父兄のリクエストに応えてフランス第一帝政の皇帝ナポレオン・ボナパルトを取上げる。

個人的に数学の指導要項と格闘している時期なのでどうしても『ナポレオンの定理』を思い浮かべ彼の逸話が頭を過ぎる。数学が桁外れに秀で、大変な読書家で幼い頃は歴史や英雄伝を好み、戦場に赴くときも図書館を作りつまらない本は薪として暖炉にくべ、寒さに震え袖で鼻を拭く兵士を見てコートの袖にボタンを着けるよう命じ、戦場での食料確保のために世界初缶詰を作るなど・・・逸話は英雄だけあり多くそこを紐解くだけでも面白い人物だ。フランス人にとっては偉大な英雄・天才的軍人、外国からすれば独裁的皇帝・恐ろしい侵略者と見方はいろいろだが、今回は只今迷走中の母としての自分自身をナポレオンの人生を通して彼の母の誇り高き人生から何かを得たいと考え心の整理の記事とする。偉人の幼少期イメージ記事ではないことをお許しいただきたい。

彼は生粋の革命家であった。イタリアのコルシカ島で生まれイタリア傭兵の血筋をくむ家系である。

ナポレオンを語るとき外してはならない人物がいる。それが母マリア=レティツィア・ラモリーノその人である。彼女を一言で表すなら『気丈』その言葉が最適である。祖国の独立運動では女性でありながら最後まで戦い抜くのだと男性を叱咤し、三男のナポレオンを身ごもっている時でさえ馬に騎乗し戦った勇敢で男勝りな女性である。夫を亡くしてからは女手一つで7人の子供を育てた肝っ玉母さんでもある。この母の毅然とした態度や強気な信念は息子に引き継がれたといってもよいのではないか。フランス革命が起きなければ身分制度に阻まれてイタリア血筋を持つ彼がフランス皇帝などになれるはずもない時代、彼が皇帝になれたのは母の育て方と時勢に導かれた強運があった。

ナポレオンは父の勧めで9歳で兄と共にパリの学校へ進学するもコルシカ訛りが強いことを馬鹿にされ口数が少なくなり、満足なフランス語が話せず周囲から孤立し孤独な少年時代を送った。しかしその頃に徹底した学習と読書に没頭し、後の彼自身の思想形成ともいうべき基礎が作られた。また自分自身が決めたことは曲げず暴力的行動や短気であったことも記述として残されている。

彼は砲兵将校としての頭角を現すも不遇の時代が続き、パリでの生活に心身疲れ果て自分自身を見失い取り乱しそうになった時期があった。母はそんな息子に手紙を出している。「不運に負けないことが立派で高貴なこと。不運は帰って幸運になる。」その言葉通りに運が味方し彼はその母の言葉を信じ耐え忍んだのだ。


ナポレオンはある時母についてこう語っている。「こうしている今でも、子供の頃に母から受けた誇りの教育が記憶に蘇るが、その教訓こそ生涯私に作用した。母はこの上もなく大きな様々な出来事で鍛えられた強靭な魂の持ち主であった。」「私の幸運は、そして私のなし得た全ては母のお陰だ。」「子供の将来は、その母の努力によって決まる。」

これらの言葉からも分かるように彼にとって母の教えや存在は唯一無二のものであった。物事の判断に直面したとき、情況が好転しないとき、節目で何かを感じるとき母と言う存在に立ち返っていたのである。彼にとって母は常に人生の羅針盤であったのであろう。

しかし唯一無二の存在であった母の言葉も天下を取ればどこ吹く風のように薄れた。

母は困難な場面に何度も遭遇してきた経験から、権威や権力が如何に儚いものであるかを実感していた。そのため息子が皇帝になることに反対し、権力を手に入れた子供達に今を満足し欲を出さぬよう再三再四忠告するが聞き入れられず、やがて没落する。皇帝の座を追われた息子が流刑されると、これまで息子が母にと提供した莫大な財産を蓄えたものを持ちエルバ島に駆けつけ、困窮した元部下の家族を援助し息子にはこう言い放った。「行きなさい、あなたの運命のままに。このような島で死ぬようには生まれついていないのだから。」と叱咤し自身の人生を全うするよう送り出したという。このときナポレオンはこれまで以上に母の熱き思いに深い母の愛情に触れたであろう。

母は息子から与えられた何十億という金銭に手をつけることを控え質素倹約に生き、息子の窮地に備えていたのである。自らの経験を踏まえた上での行動である。

英雄はそんな母の教えに対する思いを感じながらも、どこかでその大切なものを置き去りにした結果彼の帝政は時代に幕を下ろしたが、母の謙虚な考え方を小言と見なさず受入れていれば、彼の皇帝としての時代は少し延びていたかも知れない。

このまま道を踏み外すか、命を落とすか危うい立場の息子を送り出す母の気持ちはいかばかりか。息子を信じ送り出すしかないのだろうが、私ならもういいじゃないか安全な人生に進んでもいいと引き止めるかもしれない。

子供が窮地に立たされたときにこそ親としての度量が試され、親として子供の思いを汲み取り、親としての親自身の思いにどう向き合い折り合いをつけるかがとても難しい。

ナポレオンの母は皇帝の母ではなく、一人の母として凛として動じず、ただ息子達や娘たちの将来を案じ一歩も引かず怯まない高貴な人物であった。

人生は自分の考えているように、そして思うように進まない。子育てとなれば自分自身のかけがえのない子供のことで思い通りにならないことや苦しいこと、辛いこと、歯痒いこと、どうにも悩ましく胸が締め付けられることも不安なことだらけだ。

しかし子供は親の分身ではなく、一人の自立すべき人間である。子供の選択した道を、子供自身が豊かに歩めるだろうかと考えるだけで心配になる。ふと頭を過ぎるこのことだけは常に自分の思いを投影するのではなく、子供自身のために母としての誇りを発動できるようにと頭を切り替える。今更ながら思うのだが自分自身の思いで子供の人生を左右しないように生きるハードルの高さを偉人の母たちはどう実践していたのであろう。今も思案中、迷走する私だ。ナポレオンの母から学ぶこと・・・それは誇り高く生きるということは、子供は自分の分身ではないということを頭と心で受入れろというなのだろう。子供の選んだ道に不安を抱えても見守る決断を手にせよということなのだろう。今将に母として大きく成長できるチャンスであるとするならば受入れる決断をするときなのだろう。




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