偉人『葛飾北斎』

若い方にはこの渋めの浮世絵師『葛飾北斎』に興味を持てている方は少ないであろう。私も20代前半でフランス人の友人を持つまでは差ほど興味も沸かず、関心もなく過ごしてきた。しかし友人のお陰で改めて自国の卓越した画狂人に出会うことができたのである。

大きく砕け散る大波が今にも船に襲いかかりそうな迫力のある『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』世界で最も有名な浮世絵である。実は現代技術で波を再現すると3つのコマ送りで構成されている緻密なアニメーションの要素があるそうだ。

さて今から260年前江戸・本所で生まれ、名は川村時太郎。幼くして徳川幕府御用達の鏡師の養子となり、12歳で貸し本屋に奉公に出されそこで多くの本を読み挿絵図を見ながら過ごす。14歳で彫師の弟子となりそこで彼の非凡な才能を認められ、19歳で勝川春章の門下生となり浮世絵の世界は入る。そこから90歳までひたすら型にはまることを嫌い、貪欲なまでの絵師人生を送り卓越した技術で現代までも世界を魅了した作品を描いた。

彼の幼少期を紐解くにはとても少ない情報でありなぞ多き人物である。今回は彼が残した作品数点と記した辞世から彼のやる気を現代の子育てにどう繁栄させるかを考える。

彼が記した辞世にこうある『私は6歳よりものの形状を写し取るのが好きで、50歳の頃から多くの絵画を描いたが70歳までに描いたものは取るに足らないものばかりである。73歳で様々な生き物や草木の姿形を描けるようになり86歳で益々腕は上達し、90歳にもなると奥義極め、100歳になる頃には神の領域に達するであろう。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものになろう。』

この言葉から並々ならぬ意気込みが伝わる。この言葉通り多くの画家が彼の作品に衝撃を受けイマジネーションを膨らませていった。マネ・モネ・ルノワール・ドガ・ゴッホ・ドビュッシー・ロダンなどそうそうたる芸術家ばかりである。

『富嶽三十六景 凱風快晴』通称赤富士と呼ばれる作品だ。実はこの作品は最近静岡側から捉え、さらに春の朝日の昇る瞬間の光の移ろいを作品に込たことが分かったようだ。この光の移ろいは印象派のモネが多くの作品で描いているが、100年以上も前に日本の絵師北斎がその息に達していtことに驚愕してしまう。

こちら『富嶽三十六景 山下白雨』赤富士と対比される黒富士である。

山頂は晴れ、麓は稲妻が走る大雨であり、富士山よりも高い位置で観察し描いている。江戸時代に飛行機があるわけもなく、彼がこれまでに描いた富士山の様々な構図からこの絵を描いたことが分かる。今までの経験を元に自分にしかできない高い位置での空間を創造し書き上げた一枚である。空間の魔術師とでも言うべき貪欲な絵師である。

彼の絵師人生を知れば知るほどその描くことに対する思いが強いことが分かる。時にそれは執着やしつこさという表現をされがちであるがその言葉だけで表現できるものではない。

北斎の北斎たる所以は若い頃は描くものを探し求め手に入れようとする『探求』であったが、やがて本質や意義を究める『探究』となり、晩年は自分自身の表現を追い求めていた『追究』と変化していることにある。

そのあくなき追究心は紙や絵の具が大変貴重な時代に3万点ありピカソの描いた作品点数に劣らないとされ、その眼力の凄さは森羅万象を描いたダヴィンチにも匹敵するといわれる。

スケールの大きなものを描いたかと思えば、当時江戸で大人気の朝顔に視線を向け植物の生え方、成長の仕方を学んだという。また猫一匹かけないと泣いた話も有名である。どんなに周りから評価され仕事が入ってきても自分の仕事に満足をしないその高みの精神があった。

またその追究する精神は全国に200人いたという弟子のために描いた指南書が残っている。それが北斎漫画、滑稽で人間らしさや当時の江戸の生活を浮き彫りにしている興味深いものである。15巻からなり900近くの総ページ数であり、北斎は人間の骨格を描くためには骨格を知るべきだとして接骨家の元へ弟子入りをし真実に裏打ちされた素描を残している。

この北斎漫画はエドガー・ドガの描く踊り子たちに構図が多く取り入れられ印象派に多くの影響を与えてもいる。とにかく笑える描写が数多い。観察眼を育てたいなら子供と読むには最高で我が子の教育にも取り入れた。しかし我が子には絵画センスは無かったが・・・その種蒔きはどこかで花開くと信じている。

北斎がなぜこれまでに夢中になり人生の多くの時間を描くことに費やすことができたのか考えてみる。

北斎の最大の武器は『衰えないやる気』である。おそらくこの天才絵師のやる気の源は『本気になること』だったと考える。北斎は幼くして養子に出されかと思えば、また奉公に出された経験を持ち、常に頼る親もなく生きるためには本気で物事に当たることだったと考える。誰も頼らず自分自身の力で生きるということは『本気で自分のしたいことに打ち込むこと』だったのである。

北斎の人生からも分かるようにやる気とは本気になることだ。

子供のやる気(本気)を親が気に掛けるようになるのは就学以降である。仕事柄子供のやる気をどう育てるかという質問を受けるときがあるが、実はその質問を受ける頃には既に子供のやる気のスイッチが出来上がっているか、そうでないかが決まっていることが多い。

そう、やる気を引き出したいと考えるときにやる気のスイッチさえ無いという驚愕の事実が起こり得るのである。

実の所親は子供にだけ物事の成立すべき形を押し付けていることが多く、私も含めて親自身はそうそう自分自身を律しながら生活してはいない。子供に勉強を課すときに親も勉強しているかといえばそうではないことが多いものだ。そういう親の日々の生活を子供が目にしていれば「はい、そうですか。」と勉強するであろうか・・・

子供は親の日々の生活の中で懸命に物事に取組む姿勢を見ているのである。よってその影響を多大に受けるのは当然だ。子供のやる気のスイッチを作りたいのであれば何かに打ち込む姿勢を子供に見せるべきである。

またその出来上がったやる気のスイッチを作れていてもスパークさせなければ意味がない。子供を本気にさせるためには、常に思考し行動するように育てることであり、尚且つ外界からの経験や刺激が必要である。

子供が本気で打ち込めるものを見つけることができたときに全力でスパークさせることが出きるよう私達親は自分自身の姿勢を正して生きなければならないのだとつくづく思う。

北斎から学ぶこと、それは貪欲なまでに本気になれるものを見つける努力を親もせよ、何歳になろうとも日々学びなのである。そしてその学びの中には北斎のように一つの作品の中に自分にしかできない仕掛けを組み込む事だ。今皆さんがお子さんにいろいろなことを教えたり、共に学び経験する時間に子供の母である父であることを強みとして活かす方法や技を組み込むことだ。そうすれば必ず子供はやる気スイッチを作ることができ、そのスイッチを子供自らスパーク(点火)する時期が来るだろう。

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