偉人『エイブラハム・リンカーン』

アメリカ大統領というと真っ先に誰を思い出すであろうか。ジョージワシントン?フランクリン・ルーズベルト?エイブラハム・リンカーン?セオドア・ルーズベルト?・・・

今回は3本の指に入る人気の大統領であり、奴隷解放の父と称えられる第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンを取上げる。

リンカーン家は元々開拓民で祖父の代より転々と移動していた。原野を切り開き小さな丸太小屋を建てて家族4人で大変貧しい暮らしをしていた。

父・トーマスは農民に学問は要らないという厳しい人物であり、父自身が教育を受けずに育ったため息子が読書をすることを快く思わず怠けていると考えていた。殴ってまで働くことを強要し、一日中斧を使わせ働かせていたともいわれている。

母・ナンシーは父トーマス同様学問には遠い人物であったが、熱心なキリスト教信者で息子リンカーンには事あるごとに聖書を読み解き、賛美歌を歌い聞かせた。また物事の良し悪しを冷静に判断し、明るくきびきびとした賢い人であった。しかしリンカーン8歳の頃母ナンシーは、毒草を食べた牛の乳を飲みミルク病でこの世を去る。

信仰深き母ナンシーはこの世を去るとき、信仰を抱き父や姉と共に仲良く、そして誠実に生きるように言葉を残した。実はリンカーンは生涯無宗派であったが、大統領就任後は聖書の言葉を用いて演説を何度も行っている。

そんな貧しく苦しい環境下でリンカーンが学校に通えたのは通算して1年ほどである。生涯に渡り多くが独学である。そんな時父が再婚をすることになり継母のサラ・ブッシュ・ジョストンの後押しで農閑期の冬にだけ学校に通うことができた。

リンカーンが教育を受けることを良しとしない父トーマスに継母のサラはこれからは教育が必要だと言い、自分の娘の結婚資金の一部をリンカーンの授業料に充てたのである。

リンカーンの読書に理解を示し後押しをしたのは継母で彼女は子供達が騒ぎリンカーンの読書の邪魔をすると騒ぐ子供達を静かにするよう窘めるなどし他だけではなく、読書欲を掻き立てその魅力を自ら率先して教えた。

リンカーンは継母の庇護の下日中の労働で疲れていても暖炉の明かりを頼りに遅くまで本を読むことができ、多くの知識を得たとされ父とは疎遠になっても継母とは生涯良好の関係であった。

リンカーンは幾つかの転機を経て独学で弁護士となり、議員そして大統領へと登りつめていったのだ。

なぜ彼がそこまで読書に見せられたのかを考えてみる。

実母ナンシーは信心深く常に聖書を読み解き子供達にその意味を解釈しながら生活していた。所謂活字の中には学ぶことが多くあることや思考すべきことがあると教えていたのである。母が亡くなってからは悩みや苦しみを聖書の中に見出そうとしたのではないだろうか。よって大統領になってたからの演説に聖書の一説を多用したのであろう。

またその活字の中に新たな発見や自分自身を磨くことに気付かせたのは継母である。幾何学や法律を好んで読むようになり弁護士になる道へと繋がったのである。リンカーンが開拓民で終わらずに大統領に上り詰めたのはこの2人の母の教えや導きによるものである。

この写真はリンカーンと末の息子である。実父トーマスとは本を通して語らうことはなかったが、教育の重要性を知っている彼は息子と本を通しての時間を持てたことは人生の幸いであったであろう。

子供の与えるもののかなでも絵本や本から得られる力や知識は絶大である。本は何百冊自宅にあっても良いと考える。

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