偉人『福沢諭吉は負けず嫌い』

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」といえば誰を思い出すであろうか。日本では第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンと言う人は少なく、断トツ福沢諭吉であろう。その有名な言葉は単純に身分制度を指してはおらず深い意味があるのだが、諭吉の生きた時代には士農工商の身分制度があり、さらに福沢家は武士の家柄でありながらも下級武で生活に苦悩していたのも事実である。諭吉はいくら能力があったとしても身分制度に阻まれ活躍できない不公平感があることに幼いながら気付き、その思いが人生の原動力になった彼の幼少期にスポットを当てる。

1835年大分中津市の下級武士の次男として大阪で誕生。しかし一年後父の病死で母と諭吉を含む5人の子供は中津に戻ることになり、兄三之助が家を継ぎ中津藩に仕えたのである。兄三之助は弟諭吉の行動や学問に対する不勉強を何度も注意し、厳しく武士とは何かを教育しようと試みたのである。

兄は一家の柱として家を盛り立てるために暇さえあれば多くの書物を読み、3人の姉は家計を助けるため母と共に縫い物の内職をした。末っ子の諭吉は常に母と共に行動をし家の包丁を研いだり、醤油や味噌などの買い物を率先して行っていた。しかしその行動を兄は許せず、幼子といえども武士の家に生まれたものは買い物などせぬようにと注意したのである。また諭吉は5歳から漢学の手解きを受けるも学習に身が入らず、14歳になっても読み書きの力が付かないことに兄は嘆き心配をした。

兄は諭吉の将来を案じ母に相談した。すると母は、

「勉強が嫌いなうちはしかたあるまい。そのうちにするようになりますよ。」

母の言葉に兄は怒りあらわにした。しかし兄の心配は取り越し苦労であった。母お順の考えが的中したのである。諭吉が負けず嫌いであること、そしてそこを刺激すれば学び始めることを母は知っていたに違いない。

母の言葉通り諭吉は15歳になる頃急に勉学に励みだしたのである。

同年齢の武士の子供達が自分よりも難しい書物を読んでいることに衝撃を受け、自分自身も学ばなければ世間体が悪いと気付いた。18歳までに論語・孟子・詩経・書経・史記・老子・荘子・左伝を読みこなし左伝にいたっては暗記するほどであった。

諭吉が一念発起する理由となったのが、兄がことある毎に口にしていた『世間体が悪い』であった。そして何より諭吉を学問へと突き動かしたのは、自身の持って生まれた負けず嫌いであったといえよう。

ここからは乳幼児教育の専門家として子供の負けず嫌いについて考えてみる。

男児を持つ親御さんの中には是非負けず嫌いで逞しく成長してほしいと願う考え方が一定数ある。しかし幼児期にはどの子も負けず嫌いがあることをご存知であろうか。どんなに物静かな子でさえ持っていることを頭の片隅におき以下を読んでほしい。


乳幼児の負けず嫌いは『幼児期的万能感』といい、周りの子供や大人ができることは自分自身もできると考え、空想事であっても実現すると信じ思い込んだりする。よってそれができなかったり勝てないと分かった時点で、強弱の程度こそあれ不機嫌になったり、泣いたり怒ったり嫉妬したりするのである。これは性格に関係なくどの子の内面にも存在する。

しかし静かなる幼児的万能感を持っている子供の負けず嫌いに親が気付かずいると、負けず嫌いではないと判断している。泣き、怒り、嫉妬する強烈な負けず嫌いのみが目立ってしまい表面化するかことだけが負けず嫌いなのだと考えていることが間違いであることを認識するべきである。

しかし早い子であれば5歳前後で幼児期的万能感は消え、遅くとも小学校低学年で発達上の負けず嫌いは消滅する。その年齢以降にも負けず嫌いが出ている場合は、性格的なものと後天的に形成された家族間や周囲の環境に由来するものと考えてよい。

では諭吉はどうであろう。

彼は生まれながらの負けず嫌いの性格であったと考える。ある日、中津藩の藩主の名前が書いてある紙を足で踏んでしまい、兄三之助に突き飛ばされ襖にぶち当たってしまった。文字が読めない恥ずかしさと同時に理不尽なまでの兄の態度に、身分制度とは何ののかと怒りが収まらなかったのである。直ぐに母にこの世で一番偉いのは誰なのかと訊ねた。すると母は「神様」と答えたのである。『神様」と書いた紙を諭吉は自分自身で踏み、それは所詮紙切れであるということを母に伝えたエピソードが残っている。

また近所の同年齢の子供が自分よりも難しい本を読んでいると分かると悔しくて仕方なく、家人が寝てからも一人で学び続け、身分が低いものがどんなに能力をつけても身分の高い家の子供には敵わないことを知り、また人の分け隔てがあることに怒りを感じていたのである。

負けず嫌いが努力の才能を育てる上で大きな手掛かりになっていることはこの諭吉のエピソード明らかである。負けるのが悔しいから努力をするという考え方を諭吉のみならず、超一流のアスリートたちも持ち合わせている話はよく耳にする。アスリートのジュニア候補生を教育するコーチ陣はジュニアの感情コントロールを重視し、勝負の勝ち負け以前に自分自身の技術の向上に眼を向けさせるという。実はこのことこそが負けず嫌いの子供にとっては重要なのだ。福沢諭吉と勝海舟の反目的関係からも福沢諭吉の負けず嫌いが見え隠れする。性格的負けず嫌いは生涯直るものではない。このような切り口から歴史を紐解くのも面白いものである。

では負けず嫌いについて軽く解説しておく。詳しくは2021年11月22日(月)の記事『子供の負けず嫌いを活かす』を一読されるとよいだろう。

1、激しい負けず嫌い

性格からくる負けず嫌いは乳幼児期から激しく出ることが多い。乳児の頃は遊びが成立しないと仰け反って愚図ったり、手にしていたおもちゃを投げてみたり、大きな声で泣いてみたりとリアクションが強く出る傾向がある。幼児になってからは女児よりも男児のほうが顕著に現われ、友達との力比べが始りかけっこなどの勝負事に必ず勝たないと機嫌が悪くなる。いつでも一番にならないと気がすまないようになる。

このような状況が6歳以降でも負けず嫌いが続くようであれば、勝ち負けに拘る負けず嫌いと考えてよいであろう。


2、幼少期のみの静かなる負けず嫌い

幼少期のみの静かなる負けず嫌いは殆ど見落とされている。5歳前後で消えてしまうので我が子は負けず嫌いには縁のない子だと考えている。しかし乳幼児期の負けず嫌いは急激な成長を乗越えるためのものであり、よく観察していれば見落とすことはない。

静かなる負けず嫌いな子は勝ち負けに拘らないことが多い。よってそのことに気付かずにいると無関心や意欲が育つ機会を失うことになる場合がある。その点を注意して自己を高めていく方向に舵をきる子育てに当たるべきである。



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