偉人『サンタクロースが最後に贈るもの』

サンタクロースが私のもとを去ってから数十年。この時期が来ると私にとって彼は恋しくも懐かしい人である。彼の存在があったからこそ夢を見ることや想像すること、プレゼントへの期待、必ずやって来てくるという信じる力を胸一杯に膨らませ育てることができたのである。

恰幅のよい白髪の髭に、真っ赤な衣装、眼鏡の奥から覗かせる優しい眼差し、そして高らかな笑い声。丘の上に建ち毎日通う園にはアメリカ人の園長先生がいらっしゃった。海中時計を腰に下げクリスマスの日には真っ赤な衣装で私達の前に現われた。会えずにいたサンタクロースが目の前に現われたのであるからその興奮は未だに忘れられない。どう見ても園長先生だという理性とやっぱり存在していたんだという感情が矛盾を感じる暇を与えなかった。数十年経ってもあの時のあの興奮や友達と挙げた歓声が胸に去来するということは、良い経験にだったと断言できる。

数年前だがこんな質問を受けた。「サンタクロースがいるという嘘を子供についていいものだろうか。」確かにサンタクロースが親であるという事実を知るときが必ず来る。実在しないのだからあたかも実在したように思わせるのは嘘といえば嘘である。しかしサンタクロースは単にプレゼントという物を与えるだけの存在ではないのだ。乳幼児教育者としてはおおいにサンタクロースを信じさせよと高らかに宣言する。

今回はサンタクロースが私達に残すものの奥深さを熟考する。


本題に入る前に少し大人の知識としてサンタクロースを解説する。

一般的に私達が想像するサンタクロースは白髭を蓄え赤い衣装に恰幅のよい姿であるが、その姿は時代の変遷と共に大きく変化している。ではサンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスの宗教画をご覧頂こう。現在のサンタクロースの容姿からは程遠い人物であり、その姿を目にした子供達の大半はがっかりする。

彼は3~4世紀の(紀元270年頃の説もあり)ギリシャで生まれ、現在のトルコにあるミラの司教となった。当時キリスト教は大迫害の時代でありながらも頑なまでに教会を守った人物であるとされている。やがて彼は子供達への守護聖人とされ、時代を超えて絶大なる聖人にとなりサンタクロースのモデルとなったのである。幾つかある逸話の中かの有力説を記しておく。

ある時彼の住む町に貧しき家庭があり生活に困窮し3人の娘を身売りすることになった。その話を知った聖ニコラウスは彼らを助けるためその貧しき家に金貨を投げ入れたのである。投げ入れたその金貨は掛けてある靴下の中に入ってしまった。クリスマスに靴下を掛けプレゼントを入れるのはこの聖ニコラウスの行動が起源である。そして彼は3人の娘の結婚の持参金として更に金貨を与えた。子供が成長し大人としての道を歩むまでを考えた人物として子供の守護聖人となったのである。

そこからヨーロッパ全土にそれぞれの形でサンタクロースが広まり、1200~1500年に贈り物をもたらす慣習が生まれ定着した。サンタクロースの聖地フィンランドもその流れを汲んで独自の文化として定着したのだ。またドイツには子供にとって恐ろしいルクラウスが存在するのもある種文化である。

やがてサンタクロースは海を越えアメリカへと伝わり、コカ・コーラ商戦のキャラクターイメージとして描かれ今のサンタクロースの姿が一般的になった。わが国日本には戦後入ってきた文化なのである。

商業商戦に踊らされた感のある形だけのクリスマスはあまり好きではないが、クリスマスの持つ特別な思いや夢、空想、美しさ溢れる空間は私の中に幼き頃の思い出を甦らせ、至福のひと時に立ち戻れるとても重要な時間である。私が毎年ホテル並みの飾り付けを家の中で行っているのは子供達に私が味わった特別な空間や思い出を心に留めて欲しいからである。

ここから本題に入る。

サンタクロースには子供を成長させる大いなる役目がある。それは信じる力とそれを収めるためのスペース作りの2つである。


子供はサンタクロースの話をすると目を輝かせてその存在を1ミリも疑うことなく信じている。「サンタさんはどこにいるの?、今何してるんだろう?本当に来てくれるかな?」と。サンタクロースに沢山のおもちゃを貰いたい、会いたい、お話がしたいなどと夢を膨らませる。クリスマスがやって来る期間はこのサンタクロースの存在を信じる力を育くみ、心の中にサンタクロースが存在するスペース作りを行うのだ。

やがて何かのきっかけで「サンタは本当にいるのかな?」と変化し、「サンタクロースはいないと思う。だって友達がそう言っていた。」となり、とうとうサンタクロースが誰なのか秘密を知ることになるのである。

サンタクロースが存在しないと分かった日の絶望感たるや言葉に言い尽くしがたい経験を私達大人はしてきたであろう。実はそのぽっかりと身体のどこかに空いた虚しい空洞がサンタクロースからの最後のプレゼントなのだ。

実はサンタクロースが子供達に贈る最大のプレゼントがその空洞である

子供にとって形の無いものは認知しがたく理解もできない。目に見えるプレゼントで満たされていた数年を過ごし、大人になって初めてサンタクロースがもたらした最大のプレゼントが信じるという力なのだと気付くのだ。サンタクロースが親であったと知った事実に子供が虚しさを感じ空洞ができても、年数を重ねるたびにその空洞には信じるという力が作用しいろいろなものを信じていく。このサンタクロースからの最後の置き土産が人を信じることや自分の夢を信じることなどの気高く尊いスペースとして子供の中に存在し、人生を豊かに彩っていくものだと考える。

子供達にとり最後の贈りものが落胆だとしても、大人への階段を上り詰めていくうちにその落胆が形を変え大きな成果をもたらす。サンタクロースが子供達にかけたその美しい魔法は年老いても輝かしいものとして人の中に明かりを灯し続けることを私が身をもって感じている。だからこそ『サンタクロースをおおいに信じよ』と言えるのだ。

もしサンタクロースに生い立ちがあるとするならば、それは人に愛された経験のある人物である。真実の気高きクリスマスの贈りものを贈る人物に大きな愛が存在するのはいうまでもない。今年のクリスマスをこの記事を心に留めて過ごしていただけるとありがたい。




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