偉人『感性の音楽家クロード・ドビュッシー』

20世紀のフランス印象主義(象徴主義)音楽家といえばクロード・ドビュッシーである。彼を知らなくてもクラシック好きでなくても彼の音楽を耳にしたことがあるという人は少なくないであろう。

彼が生きた時代のクラシック音楽は理論的音楽構造からなり、彼はそのアカデミックな音楽界に一石を投じ、ジャズやポップスにも通ずる音楽を形成したのである。彼の音楽は絵画的で甘美な波や光の音に揺られているようで目を閉じるとその光景が容易に想像できる。

今回は彼の音楽表現がどのように形成されたのかを幼少期から紐解いてみる。

1862年東の空が白み始めた8月23日の朝、陶器店を営む父マニュエル=アシルとお針子の母ヴィクトリーヌの長男としてサン・ジェルマン・ァン・レイに誕生する。一家は貧しい生活を送り音楽とは無縁の家庭に育ったばかりでなく、ドビュッシーは小学校すら通わせてもらえなかった。また母は子供達の教育や世話に興味がなく一旦は実家に2歳の息子を預けたが、普仏戦争とパリ・コミューン騒動を避ける名目でカンヌの伯母(父の姉)に子供を預ける始末であった。

幼少期の彼は日がな一日椅子に座り何を考えているのか分からない様子が見られ、人前に出ることに抵抗があり内向的であった。しかしカンヌの伯母の家で1台の古びたピアノに出会い表現する喜びを知り、伯母のクルマンティーヌの計らいでピアノを習うことになった。ドビュッシーにとりカンヌは南フランスの温暖な気候と白い砂浜、コバルトブルーの海が一望できる場所を好み、これまでにないくらい心を開放できる場所であった。

彼は後にカンヌでの日々をこう語っている。「伯母の家の前を鉄道が通っていて広々とした海とその先に水平線が延びていたことを記憶しています。鉄道が海野の中から出てくるか、或いは海の中に入っていくように見えることもありました。」彼の作品には水というシンボルが数多くありこれはカンヌでの幼少期の体験が根底に流れ、音楽家になっていなければ船乗りになっていたかもしれないとさえ言わしめた。彼にとっての作品のインスピレーションの源泉はまさしくカンヌである。

彼の作品『海』『水の反映』『小舟にて』『金色の魚』『帆』『オンディーヌ』などがある。

パリに戻ってからの生活は散々足るもので父がコミュート騒動に参加したため投獄され彼は犯罪者の息子となった。しかし父はこの投獄で若い音楽家ジヴリと出会い、ジヴリの母フルールヴィル婦人に出会うことで閉ざされた音楽の道が突如として開かれたのである。

フルールヴィル婦人は一説にショパンから手解きを受けていたとされ、この9歳での出会いから急激な成長を見せ僅か1年で国立パリ音楽学院に10歳で合格したのである。音楽院では基礎を学んでいない彼にとっては苦難の連続であったが持ち前の音楽センスで成長したものの、型にはまることが難しく感じピアノ演奏者としての道を諦め作曲に転じていく。

学費を稼ぐためにチャイコフスキーの援助者であったフォン・メック夫人にピアノを教えることになりチャイコフスキーに『ボヘミア舞曲』を酷評される。彼の音楽性はアカデミック的なものではなく、感性から生まれるものであったため受け入れがたかったのであろう。

彼の音楽環境は恵まれたものではなかったからこそ、彼独自の世界観を作ることができたといえよう。しかし紛れもなく彼には音楽的才能があったのだと考える。出なければ本格的に習いだして僅か1年で合格するレベルには達しないであろう。また彼の作品が煌めきを放ち、時に甘美で霧の中に包まれているような掴みどころのない美しさを表現することができたのは、やはり幼い時に見た忘れることができない地中海の眩しさやカンヌの薔薇の咲き乱れる花畑、そしてパリとは異なる人々の大らかさと彼らが歌う歌であった。

子供のときに受けた印象が彼の音楽を生涯作用したことになる。これは視覚重視が大人以上である子供にとっては当然のことであり、その印象が衝撃的に強い場合はドビュッシーのように生涯影響することは当然である。彼の作品に駄作がないことは音楽関係者の中では有名なことであり、曲を聴き目を閉じれば映像を思い浮かべることができる。それは彼が自らの感性を大事にし独自の響きを音にして映像化したからである。

また彼の作品は映像だけでなく香りを感じることもできる。自然界に存在する海の香りや爽やかな香りがする作品もあれば、フルティーな香りのする作品であったり、彼が子供の頃に嗅いだフローラルな薔薇の香りなどが曲を通して我々の感性に働き掛けて来る。

コロナ禍で嗅覚の取組みができていないことが口惜しいのであるが、幼い頃に香りと絵画や音楽、文学などを結びつけることはとても五感への働きもさることながら脳への刺激もある。人間忘れるようにできているため何かをきっかけに思い出すメモリー記憶を働かせることは意義のあることである。

子供の頃に受けた五感からの刺激を生きる糧にしたクロード・ドビュッシーは、今も尚聴く側の五感を刺激し癒してくれる作品をこの世に多く送り出した。理論をはるかに越えた感性の華を咲かせるようにできたのもやはり幼い頃の経験であった。今子供達にどのような光景を見せ、どのような音を聴かせ、多くの香りを嗜み、多くのものに触れ、味わい深く五感を磨く経験が人生を豊かにすると感じることができたら実践に勝るものはないのだろう。


Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。