偉人『オーギュスト=ルネ・ロダン』

19世紀を代表するフランスの彫刻家フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン。

近代彫刻の父と呼ばれる彼は私の中では怪物に近いエネルギーを持つ芸術家である。なぜなら彼は生涯6000、または7000点という数の作品を残しているからである。

今回はロダンのエネルギーの源を探っていこうと考えている。

1840年11月12日フランス・パリで警察官の職に就く父ジョアン・バティスタと母マリーの2番目の子供として誕生する。労働階級の家庭であったために生活にゆとりのない状況で育った。

ロダンは極度の近視で読み書き計算ができなかったことは有名な話であるが、実はロダンは発達障害があったといわれている。対人関係に困難があり人との距離をどうしてよいのか分からない一面と、興味対象が極端に狭く何をさせても身に付かないという個性があった。

その状況を見かねた父が一人で絵を描くことが好きなロダンの様子と読み書きの代替として絵を学ぶプテット・エコール工芸学校に入学させたのである。しかし父は入学が決まった後にも絵画教室に通わせ学校に順応できるようある種の導きを行った。

しかしいざ入学すると手違いでデッサンを学ぶものではなく塑像を主とするクラスに席を置くことになった。この間違いが彼を偉大な近代彫刻の父となる道筋を決定付けたのである。彼の人生からするとその間違いは間違いではなく導かれたのではないかとさえ感じる人生であった。

近視のロダンにとっては視覚を補うだけの立体造形に夢中で楽しんだ。持ち前のデッサン力を発揮しメキメキと力をつけた彼は、芸術家の登竜門である国立美術学校エコール・デ・ボザールに3度受けるまでに実力をつけたが、残念ながら失敗し入学を断念したのである。

実は彼はルネサンス期のミケランジェロや古代ギリシャのペイディアスらから彫刻技術を独学し、自ら吸収し消化し自身の作品へと昇華させた。もし彼が国立美術学校に合格していたら才能は花開かなかったかもしれない。彼は自らの作品を酷評され度重なる挫折に挫けず諦めず制作を続けたからこそ、多くの作品を残す事ができ彼の創作に対する貪欲さと芯の強さが存在できたのであろう。

ロダンが酷評されても制作をし続けることができた強さやエネルギーは、やはり彼の個性の賜物だと考える。コミュニケーションが苦手な分、酷評を気にせず作品の中に自分自身の思いや考えを吹き込むことができた。

私の経験上ロダンのような個性を持つ子供は自尊心が絶対的に高い傾向がある。自らを保つために好きなものや好きなことを大切にし尊重している様子が伺える一面と共に、関心のもてないことに対しては反応を示さないことも多く存在するが、好きなことを伸ばす教育で能力を発揮することができるんだと確信している。それを実現させ世界に名を残し、生活の糧を得ることができたのがロダンである。

ロダンは幼い頃から自然に対する敬意を有し、人間の生命力を彫刻の中に宿らせようと必死に試みて彫刻を新たな芸術に変貌させた。

ロダンもそうであるが個性のある子供は特に自らの主張を他者に誇示することも少ないからこそ、自分自身の中に劣等意識を持つことなく自らを尊重していける強いエネルギーが存在すると考える。

ロダンの父が読み書き計算ができない息子の芳しくない成績に嘆いてどうにかしなくてはならないと考えていた視点から、息子の欠点をカバーさせるために絵画を与え、ロダン自身が自分自身を尊ぶことしか考えられない個性を発揮したからこそ成しえた偉業である。

ロダンの父が息子を不出来として見ていたことは残念であるが、現代は医学も療育も研究が進み前向きに個性を持つ人々が生きやすい人生を歩めるようにとの考え方もだいぶ浸透してきている。当事者にとっては葛藤も多いことだろうが、個性を持つ子供は自分自身を大事に尊重する力を持ち、人の目を気にせずに自分自身の人生を生きる力やエネルギーに溢れているのである。親や個性を持つ子供と関わる第三者がその子どもの自尊心を活かせるように育んでいくという気持ちの切り替えが実は非常に重要なことである。

ロダンの驚異的な制作点数から見ても分かるように、個性の中に存在する強いエネルギーを開花させるためには、その子の持つ能力や好きなことを最大限に伸ばすことである。世界をアッと言わせる大輪名花が咲く可能性を持って生まれていることに一早く気付くjことが重要である。


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