偉人『ヘミングウェイ』

今週は海に関する内容を多く取り上げたため海に関係する人物をと考えてみたのであるが、どうしてもヘミングウェイの『老人と海』が去来し脳裏を離れないため彼を取り上げることにした。なんと軽はずみなチョイスだろうかと思うのだが、これもまた我が頭脳内での化学反応ではないかと信じ論ずる。その化学反応が吉と出るか否か、まとめ上げる事ができるかは不明であるが、ヘミングウェイ自身が作品に取り組む時の心情としていたひたすら書くことを実践した通り彼を真似て頭中に浮かび上がることを綴ることとする。

アーネスト・ヘミングウェイは1899年7月21日 アメリカ・イリノイ州オーク・パークで裕福な家庭の6人兄弟の長男として誕生した。

父クラレンスは医師。勤勉で酒やタバコはせず保守的な人物であったが、狩猟や釣りの楽しさをヘミングウェイに教え、自然研究団体を立ち上げ息子を近所の子供達と共に野山を駆け回る遊びを存分にさせ、動植物の観察や標本集めなどに夢中にさせてくれた。また父はネイティブ・アメリカンの無料診療を行い、ヘミングウェイのアウトドア好きに多大な影響を与えたのである。

一方母グレースは音楽と絵画を愛する人物で声楽家であり、夫の20倍以上を稼ぎ自立した女性であった。しかしとても支配的で夫や息子の野外活動的行動が理解できず、夫の大事なアウトドアの道具を火にくべ、その道具を灰の中から拾う夫の様子を笑いながら見つめる女性であった。またヘミングウェイとの関係性も父と行動を共にする息子を認める事ができず、生涯仲違いをしたままの親子関係で終わった。しかし彼にとって最も苦悩したことは母親に女の子の格好を4歳まで強いられた事である。母グレースがなぜ男児を拒み女児のように息子を扱ったのか謎であるが、よくある男児が無事に育つことを祈願しての行動であったと信じたいものである。

ヘミングウェイ一家は大変裕福な家庭で夏に過ごす別荘をミシガン州の北部ベア湖のほとりに所有し、彼は夏のバカンスをその地で毎年楽しみ多く執筆作品の下地をこの場所で培ったのである。そのような家庭環境で育ち高校では文才を発揮し、別荘で出会った作家の2つの助言により彼はペンを糧に生きる決断をしたのである。

その助言は以下のとおりである。

1、文才を磨くためにひたすら執筆活動を行うこと

2、自らが経験したことをテーマに執筆することが重要であること

この助言を大切に作家としての道を歩むのであるが、彼の作品を読むと自身のことを記しているであろうという作品や文体が容易に想像ができる。『われらの時代に』や自らの経験がもとに執筆したであろう『武器よさらば』『日はまた昇る』を読めば彼についてより深く人となりを知る事ができるであろう。

さて高校卒業後ヘミングウェイは大学へは進学せず報道記者の道へと進んだ。当時第1次世界大戦が起き彼は軍属へ志願したが左目の弱視が原因で入隊出来ず、それならばと傷病兵運搬車のドライバーとなり戦火を経験するためイタリアに渡った。しかし2ヶ月後に銃弾を受け負傷した。その時看護にあたってくれた7歳年上の女性に恋心を抱くも大失恋の痛手も受け、心身ともに傷を負いアメリカへ帰国する。しかし母との諍いがきっかけで母との絶縁が決定的となった。以後彼は母との関係を断ち、母の葬儀にすら出ていないのである。

興味深いことにヘミングウェイの人生を紐解いていくと大作の裏には必ず女性関係がちらつき、4度の結婚と数々の女性関係が浮かび上がってくる。彼が心惹かれた女性に共通していることは、彼自身が甘えることができる女性を選んでいるという事である。

そのことについてはヘミングウェイ研究者も母親に対する彼の願望がなせることだったと仮定している。大好きな父を蔑ろにしう鬱病に苦しむ夫に冷たくあたる母に対する憎悪を持ちつつも、どこかで女性の中に母親を求めていることは幼少期の育ちを考えれば当然の事である。母の愛情の上に社会性を身に付けなければならない人格形成が歪んでしまったのであるから、それを補おうとする心の動きや状況は当然のことである。

人間はどこかで満たされないものや本能的に獲得しなければならないことを補おうとする力や心情が働くものである。このことを踏まえた上で母に対する愛情をプライベートで心を許す伴侶や恋人に求め、執筆という社会的活動は父から多くの影響を受け継いでいる。母性性と父性性の影響が一人のノーベル文学賞を受賞した偉大なる作家の人生にも深く読み解くことができるのである。改めて感じることだが私たち母親の子育てに於ける責任が、子供の幼少期に深く関係し長き人生にも作用することを自覚し、如何に重要で人格形成に携わる尊い仕事であるかを熟知するべきなのだ。

一方父から学んだことは作品に存分に活かされ、彼自身もまた父のようにアウトドアである海釣り、狩猟、野球にボクシング、闘牛などのアウトドアやスポーツをこよなく愛し作品の随所にそのことが盛り込まれている。作家の心えを教えてもらった若き日のことを常に実践し、自分自身が経験したことをテーマに作品を生み出すことを貫き通したのである。

そして晩年は2度の飛行機事故で健康を害しうつ状態になっていたことは父と同じで、また父と同じ自死に至ったことは大変残念である。やはり彼もまた親の行動を良くも悪くもダイレクトに影響を受けてしまったのだ。

ヘミングウェイの作風の特徴として視覚化しやすい読みやすい作品が多くを占めるが、『老人と海』は人間の心情が読み取れ人間の思考を超越した何かを見出せる作品であると考える。

私は彼がこの作品で自分の人生と両親をダブらせていたのではないかと推測する。父と紡いだ良好な関係と決して交わることのなかった母との関係を全て作品の中に曝して生き切ったように思う。作家が作家であるために次々に降り掛かる困難な出来事は、さながら老人と海の主人公であるサンチアゴが困難に直面しながらも体力の限り闘う姿そのものである。親が子に与える影響は大きなものであるが、それを乗り切るだけの力を子供は有しているとも言えよう。

私たち親が力を尽くしても子供に全ての幸せを与えることはできないが、何かを表現できる力や自らの人生に与えられた全てを自分自身の力に変えることができるような強さを持たせることができるのではないだろうか。もしそれを言葉で表せるとしたら『全てを受け入れる強さであろう。もし母親を受け入れることができていたら何かが変わっていたのではないだろうか。それは仮定の話であるが『老人と海』を超越したスケールの大きな作品が読めたのではないだろうかとこの夏の暑日にふと思うのである。



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