偉人『ジョン・エヴァレット・ミレイ』

今週日は川に関する絵本、提案『川遊びの薦め』、おもちゃを取り上げてきた。よって川に関する偉人を自らの引き出しの中に探したのであるが、出てきたのは19世紀のイギリスを代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』である。実は2021年5月21日の偉人『夏目漱石』記事で登場させようかどうか迷った人物でもある。偉人のことを知れば知るほど彼らは先人の天才からインスパイアを受け、また彼らの持つエネルギーが後世の天才たちに影響をもたらしていることを実感する。ミレイもまたその道を通る継承者であり、伝道者でもある。

今回は彼の天才的絵画を通して後世に多大な影響をもたらしていることをヒントに子育てを考えてみる。

彼の代表作と言えば何といっても22歳で描き上げた『オフィーリア』である。一度その絵を見たことのある人ならその繊細で儚げで美しい絵画に魅了されるであろう。この川面に浮かぶ美しい女性が描かれているのは、シェークスピアの4大悲劇作品の『ハムレット』7場面でオフィーリアの死を王女が語る場面である。

オフィーリアは恋人のハムレットに父親を刺し殺され、自らも捨てられ錯乱した状態で花輪を枝に掛けようとし川に転落死する寸前の何とも悲劇的な場面を描いている。『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』で始まる日本語訳のシェイクスピアであるが、直訳すると『このままでいいのか、いけないのか、それだけが問題だ』の文学的内容の語りからミレイは画家という立場で崇高なるシェイクスピアの世界観下から影響を受け、人々を魅了するこの作品に仕上げたのである。また日本人の死生観にマッチした翻訳もまた翻訳家の技量であったように思う。


ミレイの繊細な解釈と精密な画家としての表現がもの悲しげで生気を失った表情に加え半開きの口元から何かを囁いているのか、歌を口ずさんでいるの分からない弱々しさを描き出し、手にしている花の可憐さと描かれた花々の指し示す言葉の意味は貪欲な文学的解釈を有し、天才画家としてイギリス南部のサリー州に移り住みボックズミル川でのスケッチを4ヶ月(1500時間以上)かけ、後々画家仲間のダンテ・ガブリエル・ロセッティの妻となるエリザベル・ジダルをバスタブに入れ描いた。これぞ天才画家としての拘りでありその作風の緻密さはミレイの真骨頂である。


ミレイが画力を発揮できたのは彼の才能だけでなく、劇聖であるウィリアム・シャークスピアの作品あってのことである。そしてミレイの作風に感化され作品を残したのが夏目漱石である。漱石がイギリスに留学し言葉の壁にぶつかり相談相手も無く、国費留学生としての重圧に押し潰され神経衰弱の状態に陥った頃、美術館でこのミレイの『オフィーリア』を鑑賞し『草枕』の中で劇中劇としてオフィーリアを描いている。草枕を生み出す源になったのがミレイ作品である。そして漱石の草枕を読んだ宮崎駿氏が『崖の上のポニョ』でオフィーリアをポニョの母親グランマンマーレとして描いている。この経緯についてはまたどこかで記したいと考えているが、ここで注目すべき点は19世紀のミレイが時空を超えて明治時代の日本文学界の代表夏目漱石や現代の日本を代表するアニメ映画界の巨匠宮崎駿に多大なる影響を与えていることである。こう考えると芸術的なことにだけ当てはまりそうなことであるが、実は子育てに於いても先人の知恵と現代の子育てを自分なりに解釈し、現代ならではの素敵な子育てができるか否かは母親の考え方や手法により生み出すことができるものだと考えている。

ではジョン・エヴァレット・ミレイがなぜこのような才能を開花させたのか考えてみる。

1829年6月8日イングランド南部のサザンプトンで父ジョン・ウィリアム・ミレイと母のもとに誕生する。父の家はイギリス・ジャージ島の旧家で、母方は裕福な馬具製造販売を手掛ける家で父も馬具製造の仕事をしていた。ミレイは比較的裕福な家庭で育ったが虚弱体質で学校へは通わず、母が家庭で教育を施し彼の絵画の才能に気付き、1839年息子に絵画教育を施すためにロンドンに移り住み、早速9歳で素描学校に通わせコンクールで賞を受賞している。

1840年ロイヤルアカデミー付属美術学校へ史上最年少の11歳で入学が許可されたのである。そこからの活躍は目まぐるしく13歳で下記の作品でコンクール銀賞を獲得し、そこから躍進の道を歩んでいる。

1848年19歳でロイヤル・アカデミーの美術的考え方に不満を持ち反旗を翻し、ルナサンス、ラファエロ以前の美術に立ち戻ろうとするラファエロ前派を仲間と共に立ち上げたのである。しかし彼らの行動は大きな批判を浴びたが、批評家ラスキンの擁護でその批判は和らぎ1852年『オフィーリア』のアカデミー店に出品され高い評価を受け、1853年ロイヤルアカデミーの準会員の打診を受けあっさりと反旗を下ろし仲間を裏切ったのである。その後はラファエル前派のスタイルを捨て人気画家として順風満帆の画家人生を送っていくのである。

また批評家ラスキンの妻を紆余曲折ありながらも妻に娶り8人の子供を養うために仕事をこなしていった画家でもある。彼の作品には子供たちも登場し温かな目線とメッセージを込めていることに彼特有の絵画性と文学性を感じるのである。

以下の絵画は娘がモデルになっている。左側の絵は『初めての説教』というタイトルで教会で司祭による説教を緊張した面持ちで聞いているが、右では『二度目の説教』というタイトルをつけ、為になる説教であっても長すぎると緊張の糸が切れ居眠りをしてしまうという意味を持たせている。この作品をある司祭が大変気に入っていたというのである。批判じみた作品であっても彼の手にかかれば作品の醸し出す愛らしさから教訓を素直に受け入れることへと導かれてしまうのである。

天才画家ミレイの作品に存在する緻密な筆致もさることながらその絵画の中に存在する文学性が夏目漱石や宮崎駿氏のみならず、当時の人々を虜にし肖像画を依頼するまでになり彼の作品を愛でていた。その中にイギリスの女王がいたことも忘れてはならない。

絵画的才能だけでは人を感動にさせることができないことは当時も今も変わらない。そこにどれだけの想いが込められているかが重要である。その思いを込めるということが子育てにも通じるんだと確信している。思いを込めるということが深く考えることであり、子供を深く愛すことであり、自分自身の人生も深く見つめることになるのではないか。

もしあなたは何のために仕事をしているのかと問われたら、子供を通して自分自身の人生を見つめているのかもしれないと答える。

ジョン・エヴァレット・ミレイの作品を通して何が見えてくるのか、それは多くの天才や芸術家と呼ばれる人々の作品や人生と共鳴し合うことができれば、多くのものを手にする思考が生まれさらに豊かになる可能性が広がるのだということである。子育てもまた子供と親が共鳴し合い、親がどれだけ子育てに思いを込めたか、その後の子供の人生の豊かさの可能性を信じて楽しんでほしいのである。

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