偉人『エレノア・ルーズベルト』

世界人権宣言という文字を目にすると今回の主人公『エレノア・ルーズベルト』を思い出す人も多いだろう。今回は32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの妻エレノアに焦点を当てる。

アメリカのファーストレディであり、国連のアメリカ代表として人権活動に尽力し1947年人権委員会に委員長に任命され、翌年1948年12月10日国連総会において『世界人権宣言』を採択させた人物である。今回は裕福な家庭に生まれたエレノアが幼少期の自己肯定感の低さから脱却を成し遂げ、生涯貫き通す信念の確立に至った事実を紐解きながら子育ての重要性を考えてみたいと思う。

1884年月日ニューヨークに生まれる。父エリオット・ルーズベルトは陽気な人物で彼女は父が大好きであった。父の家系はオランダからの移民政治家一家で、父の兄は第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトであ理、セオドアはエレノアの利発さを見抜き大変可愛がったと言われている。

一方、母は容姿端麗なスコットランドの名家の血筋で正真正銘の上流階級の育ちであり、父とは政略結婚であった。母は社交界の花として有名な美人であった。

母は生まれてきたエレノアの容姿に落胆し、娘をおばあちゃんの意味を持つ「Granny」と呼び子育てを乳母任せにした。当時の名家では子育てを乳母や家政婦に任せることは当然の慣習であったにせよ、母が我が子の容姿をいじることはあってはならないことである。しかし母の歯に衣着せぬ言葉にエレノアは大変傷つき、常に自分自身の容姿を気にし自信のない幼少期を過ごす。しかしその母もエレノア8歳の時に亡くなるのであるが、今度は祖母からエレノアは180センチを超える大柄な体と醜い容姿を埋めるためには上品さが必要だという教育を受け、さらに内気で陰気な子供になったと彼女自身がのちに語っている。

幸い名家の子女が通うイギリス・ロンドンの全寮制の女学校アレンズウッドに通うことになり、校長のスーペストール先生との出会いで女性の地位向上を目指し、女性であっても積極的に行動する事を学び、『全ての人にとって差別のない社会を作る』という信念を持ちこれまでの彼女とは真逆の人生観を構築していくのである。18歳でアメリカに帰国してからは恩師の教えを胸に慈善活動に参加した。

しかし遠縁のフランクリン・ルーズベルトとの縁談が持ち上がり、上流階級の妻としての立ち振る舞いを姑から求められ思うように活動ができず、良妻賢母としての日々を送ることになったのである。彼女なりに努力し政治家の妻として、そして母の梨えなかった自分自身での手による子育てに奔走した。夫の不貞行為に悩みながらも離婚を踏みとどまり自分自身とは何かと葛藤していた矢先に、夫ルーズベルトがポリオに罹り歩行困難の障害を負ってしまう。

夫になり代わり政治活動を続け夫の障害をひた隠しにしニューヨーク州知事に、そしてアメリカ初の障害を持つ大統領になしあげたのである。

しかし少女の頃から持ち続けていた『全ての人にとって差別がない社会の形成』は夫の政策でもある女性の地位向上や人種や福祉の進歩的な政策は、エレノアの助言によるものが多かったのである。しかし1945年任期中にオットフランクリンが亡くなると、彼の後継を担ったトルーマンによって彼女は障害持ち続けた信念を実現する立場になったのである。

彼女は生まれた家柄的には申し分のないものであったが、母親や祖母の外見に拘る容姿端麗の思考に囚われ心無い言葉を掛けられて育つ不運な環境で育ったが、裕福な家柄であったからこそフランス人恩師の先進的人権を学ぶ教育が受けられたのである。世の中には表裏一体という言葉があるが、彼女は人生の帰路に立つ度にその表裏一体を経験し自分の力で獲得してきたのである。人間に裏と表を選択するチャンスが到来した時にそのチャンスを表にできる人物とはどういう考え方を持っているのだろうか。

実は小さな子供であってもある程度のチャンスを掴み取る子とみすみす逃してしまう子がいる。その違いとは何か、それは忍耐であることは間違いない。そして常に自分自身が成功できるという想像力のある子である。根拠のない自信を持っている子供ほどチャンスを掴む確率が高いのである。人生経験を積むにあたり努力が左右するといえる。

エレノア・ルーズベルト、彼女は自分自身のコンプレックスで幼い頃に心に傷を負ったからこそ弱者の立場を理解することができ、信念を持ち続けることで自分自身を活かすことができたのである。社交界でのユダヤ系の人々が裕福をひけらかす会話をしていたことが嫌いであった彼女が、第二次世界大戦でナチスから迫害を受けたときや日系アメリカ人の強制収用に反対をし、リンカーン記念堂で黒人歌手マリアン・アンダーソンが歌うことを拒否された時にもう抗議をしてコンサートを開けるよう尽力した話は有名である。彼女が自分自身の経験や体験による判断ではなく、信念に照らし合わせ常に主観的に判断ができる人物であったことは子育てにおいて参考にすべきことである。

我が子が物事を客観視して何が重要なのかを判断できるバランスの取れた人物になれるよう子育てしていくことを彼女の人生からヒントを得てはどうであろうか。

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