偉人『ヘンリー・フォード』

今回は自動車を大衆のものにした立役者ヘンリー・フォードを取り上げる。

私のフォード車の思い出といえば幼少期のご近所さん所有のフォード車であり、弟がどこかしこで動かし遊んでいたフォードやフェラーリのミニカーであ理、またアメリカの大衆車フォード車とGMの高級車キャデラックの存在を教えてくれたのは父である。おそらく弟に話していたのを私がそば耳を立てて聞いていたというのが正確なのかもしれないが、車に対しての知識は家庭の中から生まれたものである。家庭環境というものが凡人の私だけでなく、大偉業を成し遂げたヘンリー・フォードが自動車生産の道に進んだきっかけも家庭環境からであったことを踏まえて、子供に与える家庭という最小単位の環境とは何かを彼の人生から知り得てほしいものである。

ヘンリーフォードは農場を経営するアイルランドで生まれの父ウィリアム・フォードとベルギー移民の母メアリ・リトゴット・フォードの間に1863年7月30日アメリカミシガン州のディアボーンで生まれる。

彼は母を13歳で亡くし農場にいる意味さえも無いと語ったと言われ、その頃に没頭したのが懐中時計の修理である。15歳にして同級生や近所の人々の懐中時計を修理し糧を得ていたフォードは、農業よりも技術者としての道を進むことに決め16歳で家を飛び出したのである。

彼が技術者としての道に進むことを決めたのが、実は父が広大な農場で働く重労働を見ていて「この重労働をどうにかしたい」「労働を軽減できる道具や作業車を作りたい」という思いから機械工としての道を決めたと言われている。その思いで最初は鉄鋼業の仕事に就き、次に蒸気関係の会社へ、エンジン、ガスと次々と技術を追求するために会社を転々とし、28歳でエジソン照明会社へ就職する。すでにこの頃には自動車に関する機械工としての技術を身につけていた。そこで同僚にもガソリンで動く自動車開発の話をしてみたのだが、照明会社で働く同僚は「これからは電気である」と相手にしなかったが、フォードの話に賛成し意見交換をしたのがエジソンである。そのエジソンの後押しもありフォードは自動車開発にのめり込んでいくことになる。

1890年に最初の自動車会社を設立するも失敗、2度目には裕福な出資者からの援助で新たな会社も設立するが意見の相違で会社を潰してしまう。裕福な出資者は高級車の製造を要求したが、フォードは大衆向けの誰もが簡単に運転ができ、人々の足となり、修理が簡単であること、一般の人々が無理なく購入できる価格帯である自動車生産に拘った。このことからも分かるように出資者とフォードの間には決定的なコンセプトの相違があったのである。

実家の農業を楽にするための技術者になりたいと決意したことから、多くの経験をした先に幅広い人々のための自動車生産を実現したいという強い思いに変化し、それを信念を持って実現した人物である。

ヘンリー・フォードが生んだ自動車は多くの先人や偉人が見果てぬ夢として構想を育んできた。1480年レオナルド・ダ・ヴィンチはゼンマイを歯車として自走車を作ろうとし、・ニュートンは蒸気で前進する自動車の構想を立てて、1769年フランス人のニコラ=ジョゼフ・キュニョーが蒸気機関の技術を活用し、その後電気自動車も発明された。自動車を生み出すことは多くの人物の発想や構想、努力で成り立った分野である。フォードもまた諦めずにガソリン車を作ることだけに没頭し、昼夜を問わず努力したことで自分自身の夢を実現した。私たちがあたかも現代の乗り物として使用している自動車は。多くの先人たちの努力が古き時代からバトンを受け継ぎ繋いできた技術の結晶である。

親として彼から学ぶことは何か。まず親として意識しておきたいことは、子供は育った家庭環境下で親が考えている以上に物事をよく見ているということである。そして親の育て方だけではなく、そこに介在するものからも影響を受け自分自身の道を決めることもあるということだ。おそらくフォードの父は農業という自然相手の仕事をするにあたり、日々臨機応変に対応することを余儀なくされていたであろう。ということは失ヘンリー・フォードは敗も成功も清濁のみ合わせる状況を日々幼い頃から見ていたに違いない。だからこそ諦めずに技術の革新のみならず、苦難立ちはだかる生産や販売にも対応できる強さを持っていたのだろう。

フォードは家業である農業に対しての思いは希薄であったが、そこで働かく家族や人々の仕事を楽にできはしないかと考えたことが偉業の出発点であり、彼の弛まぬ努力によって多くのことを学び獲得した。彼の何事にも屈しないという精神性の強さは、自然相手の仕事をした両親の強さが根底にある。私たち親は子供に要求する事が多いが、実は自分自身を鏡に映して子供に要求する事ができているか否か、子供に強いる努力を親である自分自身ができているかを凝視しなければならないんだと思う。案外子供に要求していることができていないことに驚くかもしれない。親とはそういうものであり、そこに気づいた親だけが子供に共感する思いを実感でき、良い親子関係が成立するのだと実感している日々である。


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