偉人『アントニオ・ガウディ』

スペインの神の建築家と呼ばれるサクラダ・ファミリアを建築したのがアントニオ・ガウディである。初代のサクラダ・ファミリアの建築家の跡を継いで彼が建築に携わったのであるが、その建築物を見るとあまりに複雑でその個性を遺憾なく発揮した独特な作風で知られ、彼でなければ世界遺産に押し上げることはなかったであろう。しかしあまりにも奇抜すぎるデザインや装飾性の華やかさはコテコテ感が出ていると意見もあるが、彼の作品を知れば知るほどシンプルであることに驚きを隠せない。

今回は彼の独特すぎる感性の中になぜシンプルな物が見えてくるのかを紐解いていきたい。

私は彼の作品を子供と楽しんでみた経験がある。最初はそんなに関心を示さなかった子供たちが、見終わる頃には目を爛々と輝かせ興奮冷めやらぬ状況であったことから、とにかく幼い子供たちが素直に受け入れていくその作品に親も感銘を受けた。一個人の建築家が7つもの世界遺産を生み出したことからも分かるように彼には特別な才能があったとしか思えないのである。

彼が天命を与えられた神の建築家と言われた所以を幼少期の家庭環境と自ら獲得していった事実を並べて考えてみようと思う。

1852年スペインのカタルーニャ地方で銅細工師の父フランセスクと母クルネットの間の5人めの子供として誕生する。

兄姉2人を病で亡くした両親の元に生まれたガウディは、リウマチを患い自由に動くことができず病がちな子供だった。母親は幼くして2人の子供を亡くしているため病弱なガウディを殊の外愛情深く育てたのである。ガウディは病弱なため学業は遅れがちでどちらかというと学業についていけない生徒であった。

がしかし神の建築家と称される土台がこの頃に培われたのである。リウマチの痛みで苦しんで自由に動くことができない幼い頃、ガウディは自然に目を向けて多くを学んだとされている。学校の教師が鳥は飛ぶために翼があるといえば、ガウディは鶏は走るために翼を動かすのだと意見を述べた。彼は自然の中からものの本質を理解した。また彼自身がこう述べている。「自然は常に開かれており、努めて読むのに適切な偉大な書物である」と。自然が書物であると例えていることが彼の幼少期にどれほどの影響を与えのかを推し量ることができる。そう彼にとっては見るもの全てに注視しながら本質を見抜こうと努めていたことに天才の片鱗を垣間見た気がする。

彼の作品には立体的な曲線の美しさを随所に感じることができる。なぜ彼がそのような美の感性を持ち合わせたのかを考えるとそれは家庭環境にある。ガウディは父方母方共に銅細工の家系であり母方の祖父母の家で育った。祖父が朝早くから銅板を打ち付ける音を聞きながら成長し、朝に平たい銅板が夕方になると立体的なものに仕上がるものを見て育ったのである。ミケランジェロが石切場で育ち彫刻を追求したようにガウディもまた家庭環境の中で影響を受けた美の感性を仕事にしたのである。彼の作品に於ける美の曲線は家庭環境から刺激を受け、自然界のあらゆるものから拾い上げていったと考える。

1863年貧しい家庭の子供たちが通う修道会の学校に入学し、落ちこぼれの路線を歩いていたガウディにとって転機となる親友2人との出会いがあった。優秀な友人二人に引き上げられるように学業も伸び始め、友人と共に廃墟となった修道院の修復計画を立てたりしながらやがてガウディは建築の道へと進む。しかし建築高騰技術学校に進学してからも優秀とは言い難い一面があったとされている。

26歳で建築家としての資格を得てからパリ万博のクメーリャ手袋店のショーケースをデザインし、これがきっかけで40年もの間彼のパトロンとなる大富豪エウセビオ・グエルと出会う。ガウディが存分に活躍がてきたのはグエルあってのこと、そして彼自身のものを観察する目と物事を一つの形に成し遂げる思考が彼にしかなし得ない建築を生み出したのである。

以前サクラダ・ファミリアの主任彫刻家として活躍する外尾悦郎氏の講演を聞いたことがあるが、彼の作品のみならず我々人間ができることは観察と発見であると話していた。その上でガウディが問題を一つの解決策で解決しようとするのではなく、一つの問題をいくつもの考え方で結論を導き出す才能を持ち、そこに晩年傾倒したキリスト教的内容を織り交ぜていると話していた。ガウディの未完成の作品に多くの人々の尽力と時間、そして世界から訪れる観光客を魅了しているのは、やはり彼の独特すぎる作品の中に存在するシンプルな自然を見ているのではないかと考える。人間の生み出すもののベースは自然の中に存在すると多くの偉人が示してきたようにガウディもまた作品の中にもそれを見出すことができるのである。やはりガウディの人生からも子供は自然の中に多くのものを発見する遊びが重要なのだろう。そういつもそのの着地点に降り立つのである。

複雑そうに見えてシンプルなものこそ自然の中から影響を受けている。その根本にあるのは幼少期の観察眼であることをガウディの作り上げた空間に身を置き、再び彼の思考の中を想像し氏たいものである。今なら新たな発見をできそうな気がする。

300年はかかると言われていたサクラダ・ファミリアだが IT技術の革新的発達で2026年が完成予定であると発表された。これは衝撃の事実であったがガウディの考えていた世界を見ることができることにワクワクが止まらない。これからの子供達には偉人を紐解いてさらに一歩進んだものの見解を知り、子供たち自身の様々な叡智となることを期待したいものだ。

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