偉人『フリッツ・クライスラー』

私の人生において今が一番分の踏ん張り所であるような気がする。一番の理解者である存在を見送る日が来ることは順番から行っても当然であるが、こんなにも喪失感が大きいものかと実感する日々である。がしかしもう一人大切な命の源が存在する限り彼女の残された人生を『愛の喜び』で満たしてあげたいと思う。

彼女曰くふとした瞬間に食事を準備してあげなくてはと思うらしい。そして朝起きるたびに彼の存在を確かめる自分がいるという。なるべく哀しみを感じないように孫との時間を過ごしているとも話す。これが『愛の悲しみ』かと感じる時、幼き時に聞いていたフリッツ・クライスラーの名曲を思い出した。というわけで独断と偏見極まりない個人的な思いを胸にクライスラーの人生を取り上げることにした。

1875年2月2日オーストリア・ウィーンにてユダヤ系の医者の息子として誕生する。父は医者でありながらアマチュアの弦楽奏者であり、その影響もあり3歳からヴァイオリンを習い始め卓越した飲み込みの早さで特例として7歳でウィーン高等音学院に入学し、10歳で首席卒業し12歳でパリ音楽院も首席で卒業というをする神童ぶりでその後はアメリカでの大成功を果たす。その後父の勧めもあり一度は医学の道へと進み5年間学ぶが解剖学が自分自身にはどうしても合わないとし医学の道から離れ、第一次世界大戦時に軍隊に入隊するも怪我のために戦地から帰還し父の病院経営をサポートするために再び音楽家としても道を再スタートする。しかしソロでの活動とは畑が違ったのかウィーン・フィルハーモニー交響楽団楽団員の試験に落ちソロとしての活動を始める。その後第二次世界大戦の戦禍を潜り抜けアメリカに移住し国籍を取得後音楽家として世界中を駆け回る人生を送り、86歳でアメリカの地で生涯を閉じた。

クライスラーを語る時彼の温厚な人柄が取り上げられることが多くやはり家庭環境というものが大きく関わっていると言えるだろう。父は善良なまでの町医者でかのフロイトとも親交が深かった人物である。その父が医師として患者と接する姿や室内楽を演奏し音楽を愛することを彼に模範として示していたからこそ、クライスラーの人格形成において穏やかさを獲得したと言える。ヴァイオリンという弦楽器の中でもテクニックやその存在から圧力的演奏や自らの力を誇示する曲想が先行しがちであるが、彼の残された演奏からはそのような刺々しさは一切なく、逆に柔らかで温かで大らかな演奏がクライスラーの人柄を物語っている。また残されたインタビュー映像やエピソードからも慈悲深く周りを笑いに包む温かさを感じずにはいられらない。特にラフマニノフとの演奏会においてどこを演奏しているか分からなくなった彼がラフマニノフに小声で助けを求めた時のエピソードは思わず吹き出してしまいそうになる。「Where are we?」とクライスラーがラフマニノフに助けを求めると、ラフマニノフがちゃめっ気たっぷりに「We are in Carnegie Hall」と答えている。一流の演奏家でも緊張するカーネギーでの演奏の最中にジョークを言わせてしまう彼の大らかさがあったのだ。周りの人を和ませる彼の人柄があったからこそ、他が心にも耳にも残る愛の三部作という名曲が生まれたのだろう。

愛に満ち溢れる家庭に育ち、才能を持ち合わせた彼にとっては当然至極の名曲を生み出している。そう私のように喪失感に苛まれている気持ちにもそっと寄り添ってくれ、癒してくれる優しさとその喪失感から立ち上がらせようとする慈愛に満ち溢れた励ましの曲なのだ。過去の偉大な作曲家が貧困と戦いながらもがき苦しみ生み出した壮大な曲ではなく、また自分自身の音楽に対するプライドを誇示した音楽家がこれ見よがしに見せ付けた作品でもなく、ただただ音楽をこよなく愛した素朴で優しく育ちの良さをオブラートに包んだ品の良い作品で現代人を勇気づけているのがフリッツ・クライスラーその人なのだ。

クライスラーの名曲『美しきロスマリン』という名曲をご存知であろうか。クライスラーの愛の三部作と言われる名曲である。海の雫を意味するローズマリーを指すロスマリンはこの曲では愛らしい女性の象徴だという。そしてクライスラーはアンコール曲として用いていた。敏腕マネージャーであり演奏会では控え室で演奏会の終わりを待っていた妻のために毎回弾いていたのであろうか。温和な人柄のクライスラーなら十分にあり得る話である。

そのクライスラーの曲を手土産に愛のお裾分けをしに私のもう一人の大切な命の源を勇気づけに出掛けてみようか。

Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。