偉人『マリア・モンテッソーリ』
木の実が一本の木にたわわな実を付ける様子を殊更去年から考える私だが、一本の木の葉が次世代の葉にバトンを渡す様子を日本語で「譲り葉(ゆずりは)」というなんとも奥ゆかしい美しい言葉で表現する。解釈は色々あるが次世代の子供に何を伝えるのか、子供の生まれた家系を一本の木に見立てて帝王学を身に付けさせなければならないご家庭の教育方針、家業の継承を望むご家庭、愛情を如何なく子どもに伝え続けたいと願い実践すること、子どもの特性や特技に磨き上げて生業に結びつけたい、将来の子供の人脈を豊かなものにと考えあらゆる経験を積ませたい、学業に専念させるなど多くの思いを子どもに託されようとなさっている親御さんの姿を目にする。そう考えた時子どもにとっても最も重要なのは何であるか。子供に何を譲り葉するのかはその立場によって違えども、最も重要なことは教育と教育環境である。様々な教育方法を常に更新し検証しているが、現段階ではどのような立場にあるご家庭のお子さんでも教育と教育環境という点において「モンテッソーリ教育」の右に出るものは無いと実感している。今回はその教育を生み出したイタリアの女性医師を取り上げる。
マリア・モンテッソーリ、彼女の名前を目にし耳にするたびに感謝の思いが沸き起こってくる。イタリアの女性医師でモンテッソーリ教育を開発した教育者でもある。一般的な教育者としての指導方法をではなく、より科学的な実験や実証に基づいて子供たちが学びに対し自発性をもってその能力を最大限に引き出し、子供の周りにいる保育者や大人は子供の情熱を育む環境を作り出す責任があることを提唱している。1897年に教育哲学モンテッソーリ教育を立ち上げ現代も尚世界各国で行われ多くの著名な人物も受けているこの魅力的な教育が、どのようにして生まれたのかを彼女の生い立ちから考察してみる。
1870年8月31日イタリアの中部アンコーナ近郊の小地主の娘として誕生する。当時は男女差別が激しく父は娘の平凡な結婚を望んだ。一方母ニルデは娘の類まれなる学習能力に気付き彼女の向学的能力の後押しを行った。彼女自身も自らの学習能力や習得の早さに気付き学ぶ楽しさを感じた。マリアが成長していくと両親は教育者となることを望んだが彼女は医学の道へと進むことを我が道とし、両親の反対を押しきり医学の道へ進んだ。しかし当時の女性差別と偏見で優秀な成績は収めたもの望むキャリアは積めず、辛うじて精神疾患を患う病院へと勤めることができたのである。
そこで彼女が発見したのは知的障害のある子どもが床におちているパン屑で夢中に遊んでいる様子である。その様子に着目し指先を鍛えるおもちゃを与え、その集中力を伸ばすことで知的能力が向上し様々な力を獲得することを実証したのである。しかし彼女が子どもの集中力に気付いたのは実は学生の頃である。母親が物乞いをする横で2歳ぐらいの子どもが目を輝かせ満ち足りた表情で赤い色紙で遊んでいたという。その時の親と子どもの表情の違いにはっとし子どもの集中力に気付いたことが最初気付きだといわれている。ではなぜマリアが子どもの集中力に気付く観察眼を持っていたのかを彼女の幼少期から想像してみる。
マリア・モンテッソーリーが編み出した教育法は、彼女が子ども一人一人をよく観察し、それぞれに共通する事柄を分析し、子供をよりよく伸ばすために創意工夫し開発した方法を実践したからである。彼女の類まれなる観察力がなければこの教育法が生まれなかったのである。
ではなぜ彼女がそれまでに鋭い観察力も持っていたのかを勝手に想像してみる。
生まれたての乳児の視覚は目の前にあるものがぼんやりと見える程度から、生後3ヶ月で0.02、生後半年で0.05前後、1歳で0.2程度の視力しかないのである。明瞭ではない状況から刻々と見え方が変化することをじっと集中して固視する力を獲得していくのである。この固視する力は目の前に見るものが多ければ多いほど磨かれていく能力である。その対象が母親の顔であればあるほどその観察眼を磨く機会は増え、視覚発達と共に母子の目を合わせることが表情を読むことになり熟視に繋がるだけではなく、コミュニケーション能力も伸ばしていくのである。その乳児期がまさに観察眼を獲得する重要な時期なのである。我が教室でも母親に子供を胸に抱いて顔の表情を見せる取り組みと同時に、ラトルを使用し視覚訓練で物を追視するトレーニングを行い観察眼の土台作りを行っている。
おそらくマリア・モンテッソーリは乳児期にしっかりと母に抱かれて母の顔を見つめることを実行し、この観察眼の土台作りを行なっていたと考えている。また彼女の類まれなる学習能力はわずかな働きかけで学習を理解していたという。このことからも容易にマリアが熟視を通して全ての学びのコツを掴み、観察眼をもって判断分析をし、思考力で教育法の生み出しを行なっていたと想像ができる。マリアの母親は彼女の才能を信じ学ぶことを常に後押ししていたということからもわかるように、マリアが世界に広まる教育方法を生み出した力を獲得させた原点はこの乳児期の熟視と幼児期の観察力にあること、そして母の支えであったと私は確信している。(幼児期の観察力についてはまた別の機会にと考えている。)
彼女の人生を知れば知るほど乳児期の母と子の関わりの重要性を確認でき、幼児期においては子どもの特性を知ることの重要性が最も重要であることを認識できる。昨今はモンテッソーリをご自宅で取り入れて実践される方も多いが、手先の取り組みだけを実践されるだけではこのモンテッソーリ教育を生かし子供に反映することにはならない。我が子もモンテッソーリーの専門的幼稚園に通うことで多くのことを学ばせてもらった。縦割りのクラスの中で年長さんにお世話をしてもらうことで年上の子を尊敬し、年中で同年齢の子と息を合わせることを学び、年長で年下の子をお世話することを学んだ。またお仕事を通して集中力や手先の器用さの獲得し、教具や自然を通して多くの概念や学習を学ぶ土台を作り、文化的学び、道徳心、モラル、挨拶、礼儀などそこには溢れんばかりの輝きと学びが存在していた。よって手先のことだけで満足している家庭内のモンテッソーリではみすみす宝物を逃しているように感じてならない。
いろいろな見解があるであろうがマリア・モンテッソーリが生み出した教育法には子どもの普遍的発達をしっかりと抑えた真実が存在している。だからこそ19世紀に生まれた教育法が今も尚世界各国で広がっているのであるから是非しっかりとしたモンテッソーリ教育を実践している園に通うことを薦めする。
マリア・モンテッソーリはまだまだ興味深いエピソードがたくさんある。彼女の父が普通の結婚を望んだが彼女はシングルマザーとなり、その後両親が望んだ教師の道へは進まず医学の道を志したが彼女の最終の着地点は子どもの教育であった。奇しくも両親が望んだ道に収まることになったのであるが両親が想像した以上の世界的教育者になったのでる。こじつけになるであろうが教育者になるために医学の道に進んだのではないかとさえ思うのである。また機会を見つけて彼女が見出した子どもの本質に改めて迫りたいものだ。
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