偉人『横綱 千代の富士』

節分豆まきといえば私が思い出すのは力士の豆まきである。学生時代成田山新勝寺近くに実家のある友人の自宅にお呼ばれをし豆まきを見に行った経験がある。彼女の家に行くと相撲好きのおばあ様が千葉の美味しい産物でもてなしてくれ、その代わり相撲談義に付き合って繰り返される歴代の横綱の話に相槌を打つことになった。その時におばあ様のお気に入りであったのが昭和最後の大横綱千代の富士である。我が父も相撲好きであったため少々の知識はあったが、大先輩の恋する千代の富士の魅力を知ったのはこの時だった。

今回彼の記事を書くにあたりそういえばどこかに彼が表紙になったものがあったはずだと本棚を探すと出てきたのが以下の写真である。柔らかそうな外見を持つ力士の中にあって一際目立つ筋骨隆々とした姿がとても懐かしい。

今回なぜウルフと呼ばれた昭和の大横綱を取り上げるのかといえば、彼の衝撃的な映像が脳裏から忘れなかったこと、そして千代の富士の活躍の裏にある強さと努力を子育てに活かせる記事が書けるのではなかろうかと考えたからである。

その衝撃な映像とは何か、力士には珍しく小柄でありながら筋骨隆々の身体に土俵に上がった時の眼力の強さとはあまりにも対象すぎる彼の打ちひしがれた姿であった。1989年春場所27回目の優勝を果たして間も無く三女を乳児突然死症候群で亡くしていた彼のインタビューだったのか、ニュース映像だったのかもう定かではないが強いイメージの彼が涙を流す姿に私も感極まったのを覚えている。

この仕事をしていると母性性と父性性の愛情の根本的な違いを感じることがある。母親が感情溢れさせ子供を受け入れ包み込みつつ、そこに先々のことを俯瞰した躾や生活面に関することを注視しながら今に視点を置き子供を育てようとすることが主であるのに対して、父親はその時々に集中して楽しく過ごそうとしながらも将来の社会的ルールを教える立場を意識してか母親以上に感情が昂ることはないように感じている。しかし千代の富士はあまりにも幼い三女への思いを母親のような情を全面に出していたように感じる。

もう私の記事の流れを知っている方々は何を言わんとしているのかがお分かりであろうが、男性であっても乳児期に母親から愛情を深く注がれることにより母性性に近い愛情を持つ男性に成長する。千代の富士はそのような環境の中でお育ちになったのであろう。彼自身が亡くなった時の記事でお嬢さん二人(長女と次女)の誕生日までは生きたいと思われていた記事を読んだ記憶があり、お子さん思い家族愛に溢れていた方であったことは三女を亡くされた時から生涯お変わりなかたのであろうと容易に推測できる。


愛情と優しさと読み手によっては弱さを記事の流れで感じているかもしれないが、相撲道に於いての彼の名言を読んでいくと弱さは微塵もなく、相撲道を極めるにあたり自分自身の弱さを強さに変えた人物であり、常に現状の努力と数年先のために努力を怠らないバランス感覚の優れた人物であった。そして彼の言葉には相手を重んじる優しさが満ち溢れていることにほんものの強さを感じるのである。

「礼に始まり礼に終わる。勝った喜びよりも敗者を敬うことを重んじる。それが相撲道だ。」

彼のこの愛情溢れる言葉は相撲道のみならず全ての事柄に当てはまることだと思う。そして彼が身を投じた相撲の世界で強さと努力すること、横綱としての立ち居振る舞いに磨きをかけたのであろう。

彼のような母性愛溢れる人としての輝きと、相撲という世界で己の道を歩んでいくという父性を兼ね合わせて持つ人は多くはないと思うのである。このような人が61歳という若さで他界をされたことが残念でならない。

これから男の子を育てようというお母様方には大横綱千代の富士こと九重親方のような優しさと強さを持つ子育てをしてほしいと思うのである。

Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。