偉人『アンリー・ルソー』

日曜画家と言われ絵画教育を一切受けていないアンリ・ルソー。素朴画と言われる彼の作品は遠近法などの技法はなく平面的で、見れば見るほど可笑しな作品ばかりである。しかしその滑稽さと素朴さであのピカソが彼の作品に一目置き「俺にはかけない」と言わしめたのである。彼は世界で一番下手な画家と言われながら当時のモンマルトルの芸術家たちを魅了し、今もなお世界的愛好家は多く、そのアウトサイダー的作品は純粋な子供たちが様々な発見をする要素が詰まっている。今回は彼の人生を通してなぜ子供が楽しく鑑賞できるのかを探ってみようと考える。

1844年5月21日フランス・ラヴァルで配管工の家に誕生したルソーは幼くして家を差し押さえられるという衝撃的体験をしている。ルソーの父は家業の配管工としての仕事よりも不動産業にのめり込み、後先考えない売買を繰り返しとうとう貧しき底辺の生活を余儀なくされた言われている。実際のところ本人が語りたがらずその話題には触れないでくれという態度であったため詳しく知る由もないのだが、幼くして生きていくために働かざるおえない状況で窃盗で捕まった事実もある。かなり厳しい極貧生活であったと推測できるが、幼い頃から絵を描くことが好きであったことは間違いないようである。がその好きな絵画の道を極める教育を受けることができなかったのも貧困が理由がある。しかしルソーは自らの人生を見直し弁護士になるために法律の勉強をしたが挫折し、軍隊に入隊したのちにパリの入市税関として生計を立てる道を自ら切り開いたのである。日中は税務官として働き、余暇を使い絵画を描くことを40歳すぎから始め50歳にして絵で生計を立てる決心を固めた。

偉人についてひたすらいろいろな人物を追いかけていると、人は好きなものを人生を遠回りしてでも手に入れている事に気づく。それが大抵は子供の頃の夢として片付けられたり、人生を歩むにあたり消失してしまう夢のように思われがちであるが、実は子供の頃から大変興味のあるものや何気なく子供が口から発する言葉に人生の目標が隠されていることが多い。私の歪曲した視点や考え方であることを差し引いても偉人の人生を紐解くとそれが実証されているのだ。ルソーもまたその私の基本的概念にすっぽりと収まってしまったのである。


一切の専門的教育を受けていないためコンクール的な場への出品は行わず、誰もが自由に出品できる展示会的アンデパンダン展にのみ出品した。そこからフォーヴィズム(野獣派)画家たちからの注目を集め一躍名だたる画家たちの中心に座し交流が始まった。

彼は幼い頃から絵を描くことを好きで生涯を通し自我流で描き続けていたルソーは、独自のユニークなスタイルで表現し、アカデミックな絵画教育を受けていないため西洋絵画のセオリーである遠近法も明暗法も完全無視した作品である。一見稚拙に見えるが彼の作品はなぜ当時の名だたる芸術家たちが虜になったのであろうか。私が感じたことであるが彼の作品には人柄が出ている。そのシンプルな生き方や人柄が時代的にあらゆるものを削ぎ落とした表現者として受け入れられたに違いない。

ルソーの晩年はピカソやブラック、詩人ギヨーム・アポリネールやマリー・ローランサンなどの芸術家が集い、輪の中心に常に居てどんなに揶揄されることがあっても穏やかで和かにしていたという。彼にとって人から何を言われても自らが感じ得たものを表現すること以外に重視することはなく、他者との分離を前向きに捉えることができていた。ではなぜ人の評価を気にしなければ生計を立てることができない画家が他者との分離を図り自分自身の道を進めたのであろうか。

彼の人生を辿ってみるとそれは長年好きなことが変わらなかったということ、そして家族のために歩んできた人生から脱却し自らのしたいことを表現できるタイミングが到来したこと、そして何よりも自分自身の弱点を認識しているということではないだろうか。

アカデミックな絵画教育を受けていない事を年下の芸術家から馬鹿にされても微笑んでいられる器の大きさやその事実をしっかりと受け入れ好きな絵画描ける遅咲き画家の幸福感があったと考える。そう考えると自分の弱点を知りそれを受け入れたルソーの強さから『自分は自分、それでいいんだ』という自己を肯定する感情を読み取ることができる。

ルソーという遅咲きの画家の作品は鑑賞すればするほどルソーの感性の豊かさに気づくことができる。上記の『眠るジプシー女』は現実世界ではライオンに襲われてもおかしくない状況だが、実は静まり返る月光の下で眠るジプシー女の寝息とライオンがその女の匂いを嗅ぐ神秘的な世界観を描いている。想像力豊かな子は初見でライオンに食べられる絵だと感じていても細かくその絵を見てているうちに、ルソー描きたかったライオンは女を食べはしないという真意に辿り着いて観るという境地に着地することができていたりする。

また下記の『夢』ではジャングルの中にソファーに横たわる裸体の女性が出現し、それを木々の間から覗き見る動物たち。なんだか変な絵だと子供達は鑑賞するがルソーの非現実的世界観に引き込まれ、ジャングルの中のライオンになりきって遊ぶなど絵画を発想の起点にできる作風というのが子供たちを虜にしているのだ。ではなぜそのような力を与えるのか。私たち大人は現実的世界の中で生きていることが圧倒的であるが、子供は現実的世界と非現実世界の間を行き来し想像力や発想力を磨いていくことが能力の発達段階の要を占めている。だからこそルソーの豊かで澱みの無いエネルギッシュな世界観に引き込まれ、純粋で素直な感受性豊かな子供達にヒットするのであろう。

人間自分自身の弱点を知ることができれば、いかに楽に気負わず日々を過ごすことができるのかをアンリ・ルソーから学ぶことができる。遠回りをして自分自身のやりたいことを手にした彼であったが生活に困窮すると人間心廃れることがあっても不思議ではないが、彼が誰からも慕われる人物であったことは彼の心の中に満たされる好きなものがあったからである。

これからの時代を担う子供たちにも自分はこれが好きなんだ、こういうことがしたいのだ、これをしていると楽しんだという思いを獲得してほしいと望む。

彼の作品は4、5歳の男児にはヒットするようである。男児特有のユーモラスさの発達シグナルが出る頃に是非とも鑑賞して大いに笑い、座を和ますような明るさの獲得に至って欲しいものだ。


アンリ・ルソーを紐解くとさかなクンのお母様の発言が頭をよぎる。いずれこのこともどこで記事にできればと考えている。これからも拙い日本語の文章と考え方であるがお付き合いいただければ幸いである。

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