偉人『ジョアキーノ・ロッシーニ』

この春から入室してきた生徒さんには好き嫌いについて聞き取りをすることが続いている。このことが子供の成長やレッスンとどのような関係があるのか、みなさん疑問に思うだろう。しかしこの好き嫌いは予想以上に子供達の成長に深く関係しているのだ。好きという経験の多い子供はあらゆることをよういい受け入れることができ、関心や興味を持ち事にあたるため能力が高いことを実感している。だからその子の好き嫌いの度合いを知る事で物事を受け入れるキャパがどのくらいあるのか目安になるのだ。今回はその『好き』をもって2つの世界を究極なまでに追求した作曲家ジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニを取り上げる。

ロッシーニはオペラ作曲家として有名な人物であるから今回の記事はオペラ風に書いてみようか・・・いや、彼のような大作を書ける自信もないので序曲止まりにしておき、彼の人生を紐解く主要部分への導入として私が見聞きしたロッシーニ像について序曲もどきの内容を先に記しておく。

今では音大の教授をなさっている先生が県を跨いで子のためのレッスンを快く引き受けてくれた。大先生は抽象語を多用される方でそのニュアンスを子供に伝えるために大変苦慮されていたが、ある時どうしてもクレッシェンドの表現が足りなかったようでロッシーニのオペラを聴くよう宿題が出された。彼の作品はこれまでのイタリアオペラに見られる悲劇的なものではなく彼の人生を表していいるような明朗快活的作品が多い。まるで彼の作曲家人生を表現しているようだ。

またその日のレッスン終わりロッシーニの美食家転身の話になった。彼のような呑気で楽天的で経済的に将来が保障されるのであれば、自分自身も好きな食道楽を音楽とを絡めて余生を送れたらどんなにか幸せだろうかとも話された。フレンチレストランに行けば彼の名前のつく料理名を目にしたことがある方も多いだろう。音楽的天賦の才があったにも関わらず早々に音楽界からの引退を表明し、会員制のレストランを開いたり、毎土曜日サロンを開き豪華な晩餐を用意しもてなし書き上げた小曲をフランツ・リストに演奏させていたなかなかの強者である。

今回は彼の足跡を追いながら「好きだ」という思いの行きついくところはどのような所なのか子育てに活かせることはどのようなことかを覗き見てみよう。

この肖像画を見る度にミュージカル俳優の山崎育三郎氏に似ているなと思うのだが、晩年の恰幅が良すぎるロッシーニからは想像もできないが幼少期は端正な顔立ちをしていたそうである。

1792年2月29日イタリア・ベーザロという港町に生まれた。父は食肉工場の監督官でありオペラ劇場でトランペットやホルン演奏家として活躍し、母はオペラ歌手であったため早くから音楽教育を受けたのである。しかしフランスに傾倒していた父は政治運動に参加し投獄された。母は生活の糧を得るため祖母に彼を預けオペラ歌手として地方巡業に出なければならなかった。父母のいない寂しさを感じたのか素行が悪くなった時期もあり、7歳のロッシーニは教会に忍び込んでミサ用のワインを飲み干してしまったこともあったという。両親への手紙で学校への不満を募らせると両親は彼を豚肉屋や鍛冶屋の見習いに出した。しかし8歳のロッシーには働くことよりも学校で学んでいる方がどんなに楽かということに気ついたのである。10歳になりようやく父母との生活が実現し、教会の合唱団に入りチェロやチャンバロを習い始め、14歳でボローニャの音楽学校に入学後はチェロとピアノ、作曲法を学んだ。そして18歳のオペラ初演で大成功を成功を納め一躍イタリア・フランスオペラのアイドル的スターとの道を歩むことになった。音楽教育でその道を極め、豚肉やで方向に出されたからかはたまた父の職業である生肉工場の影響があったのか美食家へ転向し、教会のミサでワインを飲み干した味が忘れられなかったかワインソムリエを彷彿とさせる知識を獲得していった。誠に彼の歩む道が決められているかのような出来事ばかり・・・これでオペラの序曲のストーリーが出揃った。

それではここから彼の人生のアリアを高らかに語っていこう。

彼の作曲家としての活動は20年にも満たない。18歳で順風な作曲家人生をスタートさせ37歳で引退表明をしたのであるから、なんとまぁあっさりとした引き際であったか。絶頂期には1年で大作を3〜4つ書き上げ上演成功を果たし、あの気難しいベートーヴェンまでが賞賛し彼の才能を妬んだというのであるから実力のある人物であった。その反面手抜きの天才とも言われている。自作品の使い回しは勿論のこと、他者の作品も自作の作品に織り込んでしまうこともあったようだが、見方を変えるとアレンジの才能があったともいえる。観衆もそのことに気付きながら彼の作品に心満たされるというのだから、これは自己表現を邁進していた人物であることは間違いない。生まれながらにして音楽的環境が整っていたことの天才音楽家についてははこれまで数人取り上げてきたが、彼らと全く異なっていたのが彼の恵まれた経済的理由である。

モーツアルトとをはじめとする天賦の才溢れる多くの音楽家が柊生楽曲や演奏会などで糧を得ていたにも関わらず、ロッシーニは経済的なことを一切考えずに生きることができた。だから好きな音楽を片手間に、貪欲に追求したい美食をメインに生きることができたのである。ではなぜ彼が37歳そこらで音楽の世界から身を引くことができたのか。憶測は色々あるが大きな理由はフランス国王シャルル10世の第一音楽家として任命されたこと、そして終生年金を受け取っていたことにある。

しかし彼の人生は一見華やかなように見えて暗い時代を経験し躁鬱病にも罹っていた時代があ流。ヨーロッパ全土に端を発したの革命や動乱に巻き込まれながら精神的錯乱や自殺まで考えた時期があることもしっかりと音楽に表現していることを鑑みると浮き沈みを経験した人生であることが伺える。妻の献身的看護で切り抜けたとされているがその当時の肖像画を見るとロッシーニの明朗快活な作品に程遠い姿になっている。人生とはどんなに華やかに見えてもその裏にはそれぞれが苦悩する経験が平等に準備されているようにも思うのだ。

しかしロッシーニを奮い立たせたのは音楽よりも食することであったのではないかと考える。

彼の名前がつく料理の中でも最も有名なのが『トゥールド・ロッシーニ』牛ヒレに肉にフォアグラを載せトリフソースを添えたものである。この贅沢極まりない料理以外にも彼の名前のつくフレンチは数多く存在する。彼は晩年「大人になったら豚肉屋になろうと思っていたのに、間違えて作曲家になってしまった」と語っている。父は食肉工場の監督官をし、ロッシーニも子供の頃肉屋での見習いをしている。そのことがただの偶然なのか必然なのかわからないと言いたい所だが、あまりにも接点が多すぎてどう解釈すればいいのか分からなくなってくる。人間誰しも不安なことを考えると食が落ちてしまうが、食べることは生きる事であり、彼にとって音楽以上のものが食の中に存在していたのだろう。人間はあることに熟達するためにはそれを楽しめるようになることが肝心である。四字熟語の『一意専心』や諺『好きこそ物の上手なれ』『下手の横好き』とあるように好きという感情が持てるということはその人に活力が生まれてくるとも解釈できる。少々脱線してしまうが我が父もケアマネージャーさんから「生きがいは?楽しみは?」とよく問われていた。そう考えると人間は誰しも生きるために好きなものを持たせる人生が必要なのだと実感している。これからの未来ある子供にとってはその好きという種が多ければ多いほど喜びに出会うチャンスは多いとも言えるのだ。

では子供達を育てる上で好きなものをどのくらい持たせるかということになるのだが、子供達がこの世に生まれて真っ先に感じるのが口に入れるものの好みである。母乳で育てていた友人が乳腺炎になり投薬を受けるために一時的にミルクにしたのであるが、子供がミルクを拒み飲んでくれないと悩んでいたがこれも好き嫌いである。

また手に握るものがある特定のものばかりだとするとそれ以外のものを握ろうとしない触ろうともしないという状況になってしまう。先日も生徒さんが芝や砂を嫌がって泣くという話を耳にした。もう少し月齢の小さな頃から環境設定してあげれば嫌がらずにハイハイをしたであろう。しかし嫌がるからといってその環境を与えないとその嫌(イヤ)は嫌いというところに着地してしまう。よって嫌だという間に好きに変換する知恵を親が作る必要があるのだ。

結論は何か。

それは子供がある特定のものや事柄を好きなものと嫌いなものとに分類する前に、多くの環境設定下で五感に刺激を送ることであり、子供がありとあらゆることを寛容に受け入れることが行えるように親が取り計らうべきなのである。また嫌いなものを意識させるのではなく、苦手なものを受け入れる環境を作り嫌ではないというレベルまでに持っていき、好きになるものを増やしていく作業に入ると良い。少し苦手なことはあるが受け入れてみようという気持ちや思考に持っていくのも重要な働きかけである。このような段階を経て子供が成長していけば、嫌いなものによって行動や思考が制限されることは少なり、経験値の幅も広げやすくなると同時にいろいろなチャンスに恵まれることはしかりである。そこから子供自身が好きなものを追求させていけばいいだけの話なのだ。


小説家スタンダールが「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」と絶賛した大作曲家であり美食家のジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニはドイツの芸術的堅苦しいオペラをやイタリアの悲劇的オペラを快活に明るく誰もが娯楽的に楽しめるオペラに変えた。そして名声と富を入手しながらも自分の作品が時代遅れの産物にならぬように引き際の美学を実践した人物でもある。ある種自分自身の中に存在する職と食への探究心を自己実現し、方や引き際の美学として表明しつつも実際は仲間内で水面下的に音楽を奏で、新たに会員制レストラン『グルメのための天国』を開いたビジネスマンでもある。

彼の人生にように好きなもので人生を全うできたらどんなにか幸せだろうか。しかし未来ある子供たちが二足、三足の草鞋を履いて活躍する時代も到来している。なんと素敵なことであろうか。私が成し得なかった未来を子供たちが成し得るであろうと夢を見、未来を想像しながらいるのもこれまた私の生きがいでもある。ロッシーニの人生から壮大な子供達の未来を想像する時間をいただいたのである。『ウイリアム・テル』でも聴きながら子供達の未來を走る姿を想像して至福の時間に浸る週末にしたいものだ。

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