偉人『カンディンスキー』

私とカンディンスキーとの出会いは中学校の美術教科書だったような気がする。そして時はだいぶ流れ彼の作品を目にすることが多くなったのは子供を持ち音楽家との交流が盛んになってからである。幼い頃から母の影響で音楽と絵画は impress 、そして子供を持ち芸術家の知人たちによりexpress を獲得できたことでこの記事を書くことができることを考えると、人生とは様々なところで豊かさを得られる機会が存在しているが、それも一期一会の機会なのか袖触り合うも他生の縁なのだろうか、間髪入れずにその前髪を捉えよというのだ解釈している。

さて前置きが長くなったが今週は音楽に関する記事を書いている。。がしかし今回は音楽家ではなく画家のワリシー・カンディンスキーに焦点を当てて子供の持つ力について考えてみたい。

1866年12月4日、ロシア・モスワで誕生し現在戦禍となっているオデーサで育った。紅茶商人の父は裕福な生活を子供達に与え、カンディンスキーはピアノを習い、チェロとヴァイオリンを買い与えてもらい音楽をこよなく愛した。彼が絵画に音楽的要素を組み込むことができたのは単にシェーンベルクの音楽に感化されただけではなく、楽器に触れていた経験から音楽を楽しむことを知っていたからである。

また彼の絵画に色彩の豊かさを盛り込むことができたのも幼い頃に色彩に対する興味を強く受けていたことが一因だ。特定の色彩に興味を抱き緑・白・深い紅色・黒・黄土色を好んだという。この色彩に対する興味と関心は生涯続き彼の多くの作品の中でそれらの色は輝きを放っている。この幼少期の色彩に対する貪欲さが、大学時代の身俗学的研究旅行で再燃し呼び起こされていった。モスクワ大学で法律と政治経済を学び、地方の大学教授の椅子が約束されていながら絵画の道へ進むことを決断したのも子供の頃の色彩に対する強い思いが増していったからだと考える。

子供の発達にはそれぞれの発達で脳力開花のベストタイミング(敏感期)があるのだが、タイミングを逸した子供はその積み残しを埋めようとすることがある。おそらくカンディンスキーにも少なからず色彩を意識した積み残しや成就できなかった思いがあり、政治や法律の道ではなく絵画なのだと気付いたのではないだろうか。だからこその思いに突き動かされ約束された椅子を蹴ってまで絵画の道に進むという決断ができたのではないかとこれまでの経験からそう判断している。

30歳にしておそかりしチャレンジを行うのであるが、それは当時モネの描いた『つみわら』を目にし、自分の進む道は絵画の世界だと直感しパリに次いで芸術の都であったドイツ・ミュンヘンに旅立ったのである。彼の前期の作品はその色彩と抽象絵画の創始者と言われる彼自身の作風とは大きく異なるものである。事実子供達に彼の前期の作品と後期の作品を比較しみせたことがあるのだが、子供たちが後期の作品を楽しむ様子を目の当たりにした。

以下の彼の作品を見てほしい。最初の作品は前期の作品で見えたままを色彩豊かに描いているのに対し、後者は色彩と形の変化を表す抽象的な絵画となり同じ人間が描いた作品とは考えにくいものである。彼が抽象的な作品に感化されていったのは、目に見えないものや現実世界に存在しないものを表現しようとする神知性と文字や数字や音が色彩化して見えるという共感覚というものを表現してからである。


ではなぜ子供達が視覚的にすぐ何が描いてあるかを表す作品よりも抽象的な絵画を好むのであろうか。私なりの解釈であるが、感受性の高い子供達が抽象的なものを好むのは自由に解釈ができ、その解釈の余白の大きさが子供達の想像力を掻き立てるからであろうと考えている。またこれも私が生後間もない乳児の頃から接している生徒さんに勧めている絵本を読んでもらった場合カンディンスキーに反応を示している。人間の顔を模したような絵本をたくさん読んで見てきた子供たちに限りその想像する力が長けていることを年数をかけて確認している。乳児初期に見せる絵本の重要性はまだ認知浅ではあるが、芸術的センスや感受性、コミュニケーション力を高めることは明らかでカンディンスキーからも取り入れてほしいものだ。また横道に逸れるのであるが、絵画には多くのことが情報が溢れている。その情報を読み解こうと日々取り組みの中に入れている子供たちは表やグラフを読み解く力が高い。その力は偏差値の高い受験校では毎年入試問題で理科や社会にその力を推しはかる問題が出題されている。また社会的に理性に溢れていりる人々はこの能力が大変高くいつも感心している。一見絵画とは関係のないものの見方捉え方を子供の頃から触れておくことは、唯一無二の存在である自分自身を高めることに繋がると感じさる得ないのである。

カンディンスキーが目に見えないものを表現する抽象画に辿り着いたのは時代的な影響を受けていると考えられるが、やはり子供の頃に影響を受けたものがその礎になっていることは言うまでもない。世界的に名を馳せる天才が数%であるとしたならば、平均値の子供時代を持つカンディンスキーのような人物でも感受性豊かで何かを表現しようとし努力したことによってその道で活躍できるようになるであろう。もし刺激の少ない人生や何にでも興味を抱けないことや楽しみを見出さない人生に豊かさを持ち込むことは難しいのではないか。

今回彼の人生から学ぶことは子供が何かに興味を見出したりすることはとても尊いもので、その興味や夢中になるものを満足いくまでさせてみることが、子供の人生に面白い化学反応を起こすことになるであろうと考えると同時に心の豊かさを育むのであろうと考える。

ワリシー・カンディンスキーの絵画から音楽を感じると共感できる人もあれば、宇宙の広がりを感じたり、昆虫の世界を見出したりとみる人によって色々な見方ができるので是非ともこの機会にお子さんと鑑賞してみてはどうであろうか。

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