偉人『新美南吉』

週一でお母様だけのお勉強をなさっている美しい生徒さんがおられるのだが、ここ暫く絵本のことについて意見を交わしながら楽しい学び時間を過ごしている。今週は愛情をダイレクトに伝える絵本と悲しい寂しい不条理な状況下で愛を失う悲しみの絵本について話す機会があり、そこで新美南吉作品の話が出たという理由で今回『新美南吉』の悲しみをテーマとして多くの作品を世に送ることになった人生と子育てにおける悲しみを背負う子供たちの心理を考えてみたいと思う。

私の人生に新美南吉との出会いを作ってくれたのは小学校一年生時の恩師である。私の記憶が確かなものであれば先生は先の沖縄戦でご主人を亡くしお子さんを一人で育て上げ、教師生活最後の年に私の担任となられた。教室の先生の机の横に休み時間ごとに駆け寄り、先生は集まる生徒たちに新美南吉の『里の春山の春』や詩集を読んでくださった。先生の机の上には幾つかの童話が常にあり子供心に『でんでんむしのかなしみ』が置いてあったことが折りに触れてどうしてだったのだろうかと思い出される。新美南吉のように肉親を失った悲しみを抱えていたことは確かだと思うのであるが、長きにわたる教師生活にピリオドを打たれることへの寂しさがおありだったのか、それとも新美南吉作品が愛好書だったのか、はたまた新美南吉と同じ教師という立場に親近感を抱いておられたのだろうか。しかしその理由を知る術は無い。新美南吉作品を読むたびに優しさと悲しみや寂しさの中に存在する愛情や言葉の美しさを感じるのは小学校1年生の頃、窓辺の古びた机の周りに集まって優しい声で読んでくれた恩師のお陰である。この新美南吉の美しくも儚い世界の中に存在する愛の物語を彼の人生を知った上で読んでほしいと思う。

1913年7月30日畳職人をしていた父渡辺多蔵と母りゑの次男として生まれ、早世した兄と同じ名前をつけられた。南吉4歳の頃母が病死し、8歳で母方の新美家の養子となるもあまりの寂しさに耐えかねて5ヶ月で新見姓のまま父の元へ戻される。間も無く父が再婚し異母兄弟が生まれたものの幼少期の実母のいない悲しさや寂しさを抱えたまま成長していく。南吉は元々病弱であったが学業は頗る良く文才のに至っては担任教師が将来小説家になれるだろうとお墨付きを与えたほどである。しかし師範学校の受験をするが体力の審査で不合格となり進学の夢を絶たれた彼は母校の代理教員として働きながら執筆活動を行い、日本人の多くが小学校の国語単元として習う『ごんぎつね』を執筆したのである。執筆中の作品を子供たちに披露すると涙を流す子供まで現れ、自分の生み出した作品が純粋な子供達の美しい涙に値することに嬉しさを感じたという。

彼の作品に共通することは悲しさというものは誰もが抱えその悲しみに耐えながら生きなければならないということや親子の愛情を描いているもの、人や動物やちの心の通いあいや絆、信頼とは何かをテーマにした作品が抒情詩的な美しい言葉で書かれている作品が多い。宮沢賢治が雄大な宇宙観のスケールを表したと言われるのに対して、南吉は等身大の人間や動物など身近な世界を繊細な言葉で表現し、尚且つ人間の奥底に眠っている心を揺さぶり動かす切なさや侘しさ、居た堪れない気持ちを持たせつつ、やはり行き着くところは人の温もりを思い出させ気付かせてくれる心理描写に卓越した作品ばかりである。ではなぜその様な作品が書けたのか。これは門外漢であっても彼の幼少期を紐解けば気付くことである。

少し話を南吉の幼少期に戻そう。4歳と言えばまだまだ母恋しい年齢であるが彼はその母を亡くし、父一人では育てられないと踏んだのか裕福な母の実家へ引き取られる。母を亡くした寂しさもさることながら父と離れて暮らす不安はいかばかりであっただろう。たとえ血の繋がりのある祖母に引き取られても子供にとって親に勝る心の拠り所はない、ましてや住み慣れた場所や目に映るもの手に触れるもの友達、一切合切全てが180度ガラッと変わるのである。母を失い心の中で母を求め母のいない寂しさを抱えた幼い南吉にとってそこ知れぬ不安に苛まれたであろう。南吉の作品のテーマの多くがこのようにどこかしら寂しさや悲しみそしてその中にある優しさが溢れているのは、この幼少期の体験が根底にあることは誰の目から見ても明らかである。彼の作品に見え隠れする人に対しての優しさは母の愛情や慈しみが深かったからこそではないだろうか。彼は避けることのできない自分自身の中にある悲しみを母を想うこととその想いを作品に投影させることで昇華させた。南吉の作品や彼の生き様から人間にはそれぞれが抱える悲しみがあり、それを受け入れ自分らしく生きる強さに変えよと言われているようでもある。また彼の優しさは作品の中ばかりではなく、読み手の子供達に対しての優しいメッセージも発信している。機会があれば『おじいさんトランプ』という作品とその作品を読む子どもに当てた彼の言葉に注目して読んでほしい。

それでは南吉の人生から子育てを考えてみよう。

今年の春はお母様の復職で新たな環境に置かれる生徒さんが例年よりも多くおられた。2月ごろから急に赤ちゃん返りのような状況になるお子さんやお迎え時に急に甘え出したり、一人でのレッスンは嫌だと泣き出す生徒さんまで現れた。子供は敏感に親から離れる瞬間の訪れを察知し言葉ならぬ態度でサインを送り始めたのである。そこをどう乗りきるかが子供の心に寂しさで満たされぬ思いを残すのか、寂しさを忘れて社会的参加にシフトできるかの分かれ道である。乳児なら泣くことが増えたり、幼児なら抱っこしてほしいとせがんできたり、就学後なら母親を呼ぶ回数が急に多くなったりすればそのサインが出たことになり、初期の頃にしっかりと対応すべきであるが、私はその環境変化のサインが出る前にしっかりと対応しておくことが必要だということを伝えている。そうすれば幼い時に感じた寂しさを抱えて成長することなく過ごすことができる。寂しさを抱えて成長することは子供の心理や行動に大きな作用を及ぼすことを知っているからだ。今回の新美南吉は生涯その想いを抱え作品にすることができた稀な人物である。しかしその寂しさや悲しみを抱えて生きることは辛いことであるのは間違いない。

私が大学生頃去りかけている彼氏を引き止めるためにあの手この手でどうにか引き止めようとしている同級生がいた。なぜそこまでしなければ気が済まないのか疑問だったのであるが、彼女の生い立ちを知ると納得した。彼女の両親は離婚をし母親が家を出たという。自分が母の言うことを聞かなかったから出て行ったのだろうと子供時代は胸を痛めていたそうだ。実は子供が社会的精神的発達を健全に行うためには、養育をする親と親密な関係を築かなければ子供はやがて社会的にも心理学的に問題を抱えることが明らかになっている。友人も小学校低学年での母親が自分自身を置いて家を出たという寂しい経験から一時的に愛情を傾けてくれた彼氏に縋ろうとしたのであろう。そして自分を愛してくれる人から離れたくない置き去りにされたくないという思いがあったであろう。この様な話は子育てにおいては極端な話のように思えるかもしれないが、小さな頃の寂しさの種は大なり小なり刈り取ることができるものは早めに刈り取るに越したことはない。また子どもにとっての大きな衝撃を与える事案は大人の責任の上でしっかりと対処や配慮をすべきである。また南吉のように親を失う体験は大きな悲しみをどうしても伴うものである。日にち薬も必要であるし、亡き親に見守られているという教えも必要であり周りの大人の配慮はとても重要である。

現代は合理的に結果を求める時代でもあるが人間の根本的なものは何も変わることはない。その普遍的なものの一つが親子の絆である。親は時に空のように大きな心で子供を包み、時に海のように深く深く子供を愛し、弛みなかく愛情を持ち注ぎ心がしっかりと繋がっていると実感すれば、保育園や幼稚園、学校や学童で子供たちは逞しく時間を過ごしているはずである。

童話作家 新美南吉が私たち現代人に残してくれるメッセージは小さな子供から忙しさで何かを忘れかけた大人や大小に関わらず悲しみを抱えている場合などいろいろな立場で南吉の言葉が心の中に染み渡っていくものであるからこそ情感を育てたいのであれば就学後に読んでほしい作品である。

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