提案『父としての役割』
来週6月16日(日)は父の日です。世の中で怖いものとして称されていた『地震、雷、火事、親父』の怖い親父のイメージから外された父親像が今では家事や育児に協力的な優しいお父さんへと変わり、その存在はイクメンという俗語で表されるようにもなっています。現在は育児休暇を取得し育児に関わる男性も少しずつ増え、当教室でも育児休暇制度を活用し子育てに参加されておられるお父様やお子さんのために職業を変えてご教育に時間を割いておられるお父様もいらっしゃいます。私の時代からすると劇的な変化で驚きを隠せません。
私の子育て時代は多くのご家庭でお父様は外で働き、子育ては母親任せという場合や共働きでも家事は今日二分して行うも子供の教育は母親任せという時代でした。我が家も御多分に洩れず平日は子供の寝た後に帰宅する主人に「休日ぐらいはと子供達との時間を持つように」と強いることが多かったように思います。休日ぐらいは休ませてほしいという主人ではなくアクティブに動く主人だったため率先していろいろな場所に外出し協力してくれました。そのお陰か父と子達の良い関係が今でも保たれたのだと考えています。
時代は遡り私が子供の頃のことを考えると、確かに父は当時大変忙しく休みは日曜だけ、その日曜も時に仕事で不在になることも屡々でしたが、常に父は子供達のことを考えてくれる人で父と過ごす時間は特別なもので心に刻まれることばかりでした。よって思春期に友人たちが父親との距離を置くことが私には全くなく、父の辛抱強さと人生を自分の力で切り開いてきた格好良さは憧れでもあります。主人と父を見ていて素晴らしい男性陣に出会えたと感謝しかありません。世の中を渡り歩いている父親だからこそ子供達に見せる姿は子供の人生に大きな影響を及ぼすものだと考えて日々じゃ代わりを持っていただきたいと思います。
今回は父親として3つのことを心がけて子供と接していただけたらと提案して参ります。
1、行動を確りと見せる
2024年5月6日提案『母ということを考える』記事で母と子との関わりは言葉を通して伝えることを記事にしました。では父は何を持って子供と向き合うかということですがそれは『行動で手本を見せる』ということです。
このことを思い浮かべるときに『男は黙ってサッポロビール』というCMが脳裏を掠めるのですが、やはり父親とは言葉で子供に物事を教えていく母親とは真逆で行動で手本を子供に見せていくことが必要になります。
父が子供に見せる行動とは子供達がその父の姿を見て父のようになりたいと憧れを抱き、格好いい、素敵だという尊敬の眼差しを向けてくれるような行動を起こすことが重要です。社会のルールや規律などを守ることを確りと見せ理解させ、忍耐や努力を積み重ねる姿や責任感を持ってことを成し遂げるなどの社会的生き方を見せることと同時に、社会で柔軟に生きるための術や知恵を子供達に授けるのもまた父親の役目です。
また我が家の話を少ししておきましょう。ある日高速道路を降りる時かなりの渋滞でやっと出口に差し掛かると、直進で走ってきた車がウィンカーを出して車線変更で出口に向かおうとしていました。しかし前方のどの車も入れずにいます。すると主人がその車を入れた途端渋滞にうんざりとしていた子供が「みんな長い列作って並んでいるのに強引に入ろうとしてる車を入れちゃダメじゃない?」と子供が言うと主人がこう諭しました。「その気持ちも分かるけど、もしかしたら降りる直前で気づいたのかもしれない。またこのことがきっかけで次はこのように強引な入り方をしないでおこうと行動を改めるかもしれない。いずれにしても誰かが道を譲らないと高速道路だから事故が発生したら大事故になるよ。状況判断は適切に感情ではなく理性で冷静に判断しなければ・・・急がば回れって言葉があるやろ。」これは見事な大岡越前守のお捌きのようでした。主人が行動で示してくれたことが子供達にも受け継がれ、常に冷静に物事を見通せる大人に成長したとような気がします。
でもそんな社会人としての模範のような部分もあれば、逆に美味しいものを食べたいことや一流のものを見聞きしたいと投資をするという父親譲りの欲行動も確りと受け継いでいます。天才彫刻家のミケランジェロでもこんなにもにた父子像下を作離あげることはできないだろうと考えています。それくらい父子の結び付きは深いものであると言えるでしょう。
2、大きな存在になる
我が家では父親不在の時であっても父親の座る所定の位置には絶対に誰も座ららないことを徹底していました。そして父親が働いているからこそ何不自由のない生活が成り立ち、学校や習い事にも通え好きなことができることを理解させようとも努めてきました。
なぜそのようにしてきたかと言うことですが、子供の目指す存在が間近に居なくてはならないと考えていたからです。父親=大きな存在であることは子供の目標という一面といざという時に子供を守る大きな存在という一面もあります。両親ともに子供にとっては安全基地ではありますが、子育てに於いて社会的な対応が必要ないざという時に、状況判断を的確に行い最善の策を講じるということを父が担うためには、大きな存在でなければ子供は安心して頼ることができません。
例えばご家庭それぞれ課題や問題は異なるでしょうが、子供の発達や学習、教育、進路、教育資金のみならず、ここぞと言う判断が必要になる病気、いじめ、不登校など子供の生命や心理面に直結する事は全てを確りと受け止めてくれ頼れる大きな存在でいることが、子供の不安の排除や勇気の源にもなる最も重要なことです。
離別や死別に於いても子供の存在意義を示すことになる父の存在は重要です。子供はお父さんと同居している子供よりも寂しい思いは必ず味わっていますし、父の愛情をどこかで求めることもあるでしょう。また時には自分自身の存在の意味を深く考えることもあります。離別の場合にはどのような理由があろうとも父親を否定することは子供自身を否定してしまうことになるので避けるべきだと考えます。子供にとっては両親に愛され自分自身は誕生したのだと感じることができるか否かが健全な成長に繋がるのはいうまでもありません。子供自身が自分自身を肯定して歩む人生の第一歩は、両親に望まれて誕生したと言う事実が根底になるのです。
また死別の場合にはお父様が死別した時の子供の年齢でサポートは大きく変わります。物心ついてお父様を亡くすと寂しさはかなり大きくなるためフォローが重要となりますが、父の存在をいつでも感じることに転じさせる心強さをお持たせることが必要になります。また子供が小さく父親の顔も覚えていない年齢の時には、父親の存在自体を理解できないことになるのでその存在を自覚させることも必要です。
父親の存在とは母親同様重要な存在ですが役割は異っつています。特に社会的な場面においては時代が変遷しようとも頼りになり、いかなることも受け止めてくれる存在であることや子供が父親に相談ができる大きな存在でいてほしいと考えます。
子供にとって親の存在の大きさを知るのはその子供が親になったタイミングです。ああ自分の親はこんなにも時間や労力そして愛情を十分かけて育ててくれたのだと気づいてはじめて、その親を越えようと自分自身の子育てに挑むのです。私も親がしてくれた以上のことを子供達にしてあげられたのかと考えるとまだまだ親を超えていないと思うのですが、それでも親を超えられるように努めようと今も奮闘中です。これは親になった以上大きな存在の親を越えようとするものなんだろうと感じています。
3、聳り立つ大きな壁となり、苦言を呈す存在であること
人が忌み嫌うのは困難や苦難だと思いますが、どのような人にもどのような家庭にもこの問題が解決すれば楽だと思うことがあります。その困難苦難そして壁にぶつかる時に人生をを切り開こうと立ち向かう姿勢や行動する姿を子供達に見せることはかなり重要なことだと考えています。問題や課題から逃げることや避けて通ることを子供に見せていれば、子供も親と同じ行動をとるでしょう。しか人生に於いては必ず乗り越えなくてはならないことがその人の目の前に聳え立ちます。このような時には確りとした受け止め分析判断をし、実行できる時には実行しその姿を確りと見せることが困難や苦難といった課題を乗り越えることを学ばせるチャンスになります。これは私ごとですが我が父の困難は並外れたものがありました。それでもその事実に抗うことなく確りと受け止め自分自身の人生を切り開き、家族を大切にすると同時に他者にも同様な手助けをしてきた人でもあります。何不自由のない暮らしの中で父と母から守られ生きてきた私には真似のできない大きな壁を乗り越える姿を見せてくれた父です。そのことを考えると自分自身に起きる困難や苦難というのは大したものではないと思えるので、心強く立ち向かうことができます。よって私はどんな困難や苦難も乗り越える姿勢を子供に見せることが、次の世代に残せる立ち向かいの勇気を獲得させることに繋がると考えています。
また子供達に苦言を呈すことができる存在でいることもまた重要な役割です。子供の望むものを与えたり、好きなことをさせたり、勉強を教えるだけが良き親ではありません。子供本人のためになると判断した厳しいことをさせることや本人のためにならないと判断したことを阻止することもまた親にとっては重要働きでもあるのです。時には獅子の子落としのように厳しい状況に子供を追い込むことや子供のために高き壁になることも必要だと言うことです。私が社会情勢が危うくなっている国に再度留学で戻る際に母は全力で阻止してきましたが、父は本人が行くというのだから仕方がないとし、その生死の補償のない国で何があっても仕方がないと自己責任を負うのなら行ってよしと許可を出してくれました。父が存命の時にその時の胸の内を尋ねてみると「行くという子供に何を言ってもダメだというのは自分の子供だから実行することは分かっていたし、何があっても生命力のある子供だと疑わなかった」と話していました。今親になってみると私が親なら諦めて行かせたかもしれず、この子は大丈夫だと確信に似た何かを持つことができたかといえばできなかったと考えます。苦言を呈すにも清濁合わせ飲み込んできた父のような器にもなっておらず、親としてはまだまだ学ばなければならない若輩者です。
今回は父親の心構えとした大きな柱を3つほど記しました。ここからたくさんのテクニカルな枝葉が広がりますので来年の父の日に記して参ります。どうぞ来年もブログ記事を覗いてみて下さい。
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