偉人『アガサ・クリスティー』

20世紀を代表するイギリスの推理小説作家アガサ・クリスティーは推理小説に欠かせないトリックとプロットのありとあらゆるものを自らの作品に投入した。さしずめクラッシック界のマーラーのような存在である。

人々がアッと驚くような大胆なトリックを次から次へと新しい作品の中で展開させ、現代の推理小説家らは今も彼女を超えるものを生み出そうと苦戦している。とはいえ彼女は幼い頃から文学的才能を持ち合わせていたわけではなく、逆に文章を読むことは得意であったが確かな教育を受けず学生時代は文法の授業で苦戦を強いられたタイプであった。母の意向で音楽家としての道で生業を見付けよう漠然と考えていたが詰まるところ才能がないと言われてしまったのである。その後姉に感化され小説を書きたいと思い始めたものの自信を持つことができずにいたクリスティーを後押ししたのは母であった。一体どのような働きかけをしたのであろうか。今回は特に自信を持つことができない子供をお持ちの親御さんには是非読んでいただきたい記事である。

1890年9月15日、今から130年余り前のイギリス南部トーキイで親の遺した資産投資で生活していた裕福なアメリカ人の父フレデリック・ミラーとイギリス人の母クラリッサの3番目の次女として誕生する。11歳の年上の姉マージョリーと10歳上の兄ルイ・モンタントは寄宿学校に入学していたためクリスティーは両親と使用人たちと共に暮らしていた。母は7歳までは読み書き計算などの学習は目と脳にはよく無いという考え方示しクリスティーを学校へは通わせず家庭教育を施した。家の中では『子猫ちゃんごっこ』という一人芝居遊びに興じ空想の世界でただ一人で遊んでいたのである。また使用人たちに本を読んでもらうことも多く、文字を教えていないのにも関わらず本に触れる機会が多いため4歳にしてスラスラと文字を読んでいたという。そのことを使用人から伝えられた両親は驚き、父は文字を読めているのだから学習を進めるべきだと決断し読み書き計算学習を家庭内で行うこととなった。当時としては学校が義務教育では無いことから裕福な家庭では家庭教師を雇い教育することはよくあることであったが、私は上二人の子供を寄宿学校へ進ませてしまった母親の寂しさから学校へ通わせなかったのではないだろうかとも勝手に想像している。

アガサ・クリスティーにとって歳の離れた姉や兄が帰省してくることを心待ちにしていたであろうと容易に想像できるが、特に姉マージョリーが自作していた小説の話を姉の語りで聞くことが楽しみでよくせがんだそうである。姉マージョリーはいたずら心でクリスティーを怖がらせる話をし、クリスティーはその怖さが不思議と楽しいと感じ彼女の推理小説への原点は姉の小説である。

11歳で父を病で亡くし経済的にも厳しい状況に陥っていたが、母は14歳のクリスティーを初めて女学校に入学させた。しかし文法や文字のスペル自体を覚えることが難しいと感じていた。女学校での通常の学びだけではなく母は音楽教育も施した。母に連れられパリとイギリスの音楽学校での教育を受けてある程度のテクニックを獲得したが、師事した教師にテクニックがあっても大舞台で演奏ができるほどの精神力はないと言われピアノを諦めた。次に転向した声楽でもソプラノ歌手にはなれるが花形のオペラ歌手としての才能はないと言われ思春期のクリスティーは自信喪失したのである。

進むべき道を見失い精神的理由から病に倒れたクリスティーに母は姉と同じように小説を書いてはどうだろうかと提案した。おそらく病み上がりの娘に無理をしてほしくなったための言葉だったように思うのだが、文章を書くことが苦手のクリスティーは「無理だ」と答えた。しかし自信のない娘に対して母は重要な言葉を投げかけたのである。

「どうして無理なの? やったこともないのに」

もしかすると母は娘の幼い頃からの一人芝居的遊びや姉の小説に夢中になる様子を目にして音楽ではなく文才があるのでは?と別の道を導き出していたのであろうか。


母に言われた意味を考えクリスティーは姉に心の内を打ち明けた。小説を書いて雑誌に掲載されたことのある姉に「小説を書いてみたい」と。しかし姉は妹に対して「できるわけない。あなたに推理小説なんて書けない。小説を書くということはそんなに容易いことではない。」と言い放ったのである。彼女はまた心折れた。


しかし母は落ち込んでいるクリスティーの様子を見て話を聞き

「どうしたの? 小説が書きたいのでしょう。できるわけないに決まっているなんてことはないわよ。だってあなたはまだ書いてみたことはないんでしょう。

そして母は小説を書くためのノートを買い「これに書いてごらんなさい、今日からでも書いていいのよ。今から書いてみればいいじゃないの。」とクリスティー18歳の日のことである。

与えられた環境の中で音楽家になろうと努力をしていても彼女は常にその中でのトップという位置に立ちたかったという好奇心があった。が無理だと諦めざるを得ない状況に陥った音楽の世界とは異なり、母の後押しと姉に「絶対無理、かけてもいいわ」と言われた肉親からの言葉に反骨精神も芽生えたのであろう。この姉の発言がなければアガサ・クリスティーの作品を読むことができなかったとも言える。


根拠のない自信に溢れている子と自信の無い子は対照的に何が違うのかを実感している。根拠のない自信に溢れている子は堂々としていて本当に強いく多少の失敗もdon't mind で乗り切る力があるのだが、この根拠のない自信に溢れている子供は年々減っているようにも感じる一方、自信の無い様子が見て取れる子供は増えているだけではなく低年齢化しているようにも感じている。私が子供の頃は根拠のない自信に溢れている子供はわんさかいたものでそれを信じている大人も多くいた。

アガサ・クリスティーのように思春期にできることをやり通し高みを目指せるだけの才能は無いのだと知ってしまったのであれば自信をなくすことには納得がいく。がしかし現代は4、5歳の子供が自信喪失しているだ。それはどうしてなのか?とその見えないものを見ようと探ってみるとこれはやはり大人側の問題ではないかという結論に行き着く。

根拠のない自信に溢れている子供達の親御さんは謙遜をしながらも根拠のない子供の自信を肯定的に捉えている。『根拠のない子供の自信を根拠なく信じてあげる親の姿勢が子供に通じている』のだろうとと感じている。子供の成長をあれこ考えず心配せず、子供の将来進むべき未来が見えなくてもただただ子供を信じてあげるということが私も含めて現代の親には不十分なのだろう。

クリスティーの母クラリッサは自信を無くして先に進むことができない娘に、『あなたがやれるかやれないか、いい結果を生むか生まないかなんて関係ないわ。ただやってみればいいのよ。やってみなさい。私はあなたがただただ一歩踏み出すことを信じるまでだわ。根拠なくあなたを信じてる。』そう伝えたかったのではないだろうかと彼女があっする言葉まで想像してしまった。

クリスティーが書くことに自信がない状況でのスタートにも関わらず、母は何も不安がらずに後押しをしたからこそ現代でもリメイクされた映像作品が作られ、世界的に増販され読み継がれている作品を残すことできたに違いない。もし母クラリッサが娘を信じることができずに彼女の人生の先々を想像しオロオロしていたならばこのような大成を成し得ていないだろう。

子供が幼い頃からしっかりと親が観察していたからこそ導くことができたケースだったのではないだろうか。また親の無条件の愛から出た真の言葉掛けが功を奏したともいえる。

アガサ・クリスティーの人生から読み解くことができたのは以下のことである。

『子供の根拠のない自信は、親の根拠のない信じる力』によって成立するものである。

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