偉人『アメリア・イヤハート』

今週は空に関する記事をいくつか取り上げているので今回の偉人ももれなく空に関する人物です。女性として初めて大西洋単独横断を果たしたアメリカ人の飛行士アメリア・イヤハートを取り上げます。当時のアメリカでも女性はお淑やかにという一般的な考えが主流であったが、アメリアは真逆の自由奔放で大胆な決断を次々とこなす先進的な女性像を確立したアメリカでは絶大な人気のある女性飛行士である。今回はそのアメリアという女性がなぜ大胆に生き切ることができたのかを幼少期から紐解いてみたい。

1897年7月24日アメリカ・カンザス州のドイツ系の裕福な家で生まれた。父はエドウィン・イヤハート法律学校に通うために働いていた。母エミールは豊かな法律家の娘であり、二人の結婚は家柄に差があり母は夫を改心させ家族に認めてもらえる様に努めた。

しかし夫は弁護士になったものの金の亡者と呼ばれる様になり、就職や転職を繰り返し転々と住まいを変え酒をこよなく愛好した飲んだくれ弁護士であった。

その一方で父エドウィンはアメリアに野球のバットやフットボールを買い与え、ネズミを撃つために使用する実弾入りの22口径のライフルを与えたのも父親であった。娘に与える様なものではなく、まるで息子に与える様なものを与えたのである。

またアメリアが直接的に空を飛びたいと思わせたカルフォルニアで行われた航空ショーに連れていったのは紛れもない父エドウィンであった。その航空ショーは自分らの方向めがけて飛んできた飛行機が急降下し彼女の頭を掠め飛び去っていったことに恐怖と興奮を覚えたそうである。

この感情を幼い男女差で思考すると明らかで男女差に組み込まれたものには大きな差がある。例えばカブトムシが突如羽を広げて目の前を飛び立てば女の子は怖い驚いたという感情が働いて静かに今年代を振り返るのだが、男児の多くはその真逆で驚き以上に興奮するスイッチが入る。見たことが興奮に直結しているとしか思えない行動を起こし、体が興奮と連動して収まりつかず中には突拍子もつかない行動を起こす場合もある。ジェンダレスの時代ではあるがその男女差の特徴的なものは変わらないものの、男の子であっても興奮に結びつかない子もいれば、女の子でありながら興奮冷めやらぬ状況を生み出している場合もある。

ではどうしてアメリアはこれまでの女性像を大きく変化させる様な行動が取れたのかを考えてみよう。

先述した通りアメリアが航空ショーで興奮を覚えたのは父エドウィンが幼い頃から与えた興奮を呼び起こすものが深く関係していると考える。打って投げてアドレナリンが放出される球技にライフルを持たせてネズミを射止めさせる射撃特有の高揚感が彼女の中に育っていたのは間違いないであろう。また彼女が思春期を迎えてハマったのが新聞のクリッピングである。男性が働く世界で活躍する女性を取り上げた記事を見つけ読んでクリッピングし、自分自身もいつか自分の道を見つけて活躍したいと気持ちを掻き立てていたという。

二十で出会った曲芸飛行に感化され、10ドルを払い操縦席の後ろに乗り数分間機上の時間を味わった数分後に飛行訓練所への入学を決意したという。『一番難しいのはやると決めて肚を括ること』と彼女が述べていただけに本当に潔い女性だったのだろう。そして高額な実技訓練に必要な授業料を過酷極まりなく猛烈なバイトと分割での支払いで支払い、1年後には2年間半分の訓練を受け初フライトし、次の目標である自分自身の航空機を購入するという目標を立てアルバイトで貯めた資金と母から借りたお金で初めてのを購入。そして高度記録に挑戦し女性の世界記録を樹立し、あまり歌人初の国際ライセンスも取得し無着陸大西洋横断を成功させた。どれだけ精神的にも肉体的にもタフな女性だろうか。

写真を見てもそのタフさが分かりずらいかもしれない。しかし空の背かに魅了するまえは医学の道を志している。今も昔も医療の道に進むことは相当なタフさが要求される。青の経験をしているのであればタフだということが容易に想像できるが調べていくと授業料を捻出するために砂利運搬の仕事やアマチュア写真家としての仕事、電話会社の事務など幾つの掛け持ちをして捻出している。しかし彼女が体力的にもきつい困難な仕事をない得たのには飛行機を操縦し大空を駆け巡りたいという情熱があったからだろう。軍の航空施設に足を運んだ時「彼らパイロッとたちは若く情熱的で、空への夢はロマンを求めるものにとってなんと魅力的なものだろう」と書き残している。同じ空を飛行する夢を持ったもの同士で共鳴し合うものや切磋琢磨する思いが沸々と湧き上がって励みになたのではないだろうか。

ではここで彼女のような心のタフさ強さを身につけるために幼少期にはどの様なことをさせておけば良いのだろうか、考えてみよう。

1歳のお誕生を迎える頃にはまだまだ集中力は短い時間しか働きませんが、小さなものを指先で扱うことに夢中になる1歳半以降になると自分自身でなんとかしようと物と向き合う時間が生まれます。これを私は小さな格闘時間または静かなる忍耐と呼んでいます。

実はこの時期に子供自身ができそうだけどなかなかできないようなことに挑戦させるということが重要になり、その挑戦させるタイミングが子供自身の中に芽生えてくる自立であり「自分でやる」と言い始めた時なのです。そのタイミングを逃さずにしっかりと育んであげることで精神のタフさが生まれ、失敗しても何度でも立ち上がる強さを育むようになります。自分自身の力でどうにかするという解決能力を育むためにも幼い頃の自立心を大切にし、親は子供の行動に対しゆとりを持って待てる様にすることこそが、これから何が起きてもおかしくない時代に対応できる生きる力を身につけさせることになるのではないでしょうか。

当時の新しい女性像として際立ったアメリア・イヤハートは男女差に縛られることなく、自分自身がしたいようにそしてその決断が自分で下せる女性であったからこそ、素直な自分と向き合い自分らしい道の選択ができたように思う。そしてその基礎となるものはやはり父の与えたものが大きく関係していると私は見ている。

「私は空というものを手に入れて大空の放浪者になった」「些細なことにとらわれず、どうせ死ぬならチャレンジして失敗して死にたい」と彼女が残した言葉通り1937年7月2日太平洋城で消息不明となった。

彼女はある記者になぜ挑戦するのかと尋ねられこう答えている。「自身の信念」と。この言葉を見聞する度に自分自身の信念をいかに大切に正直に捉え実践しているだろうかと自問自答する。その度に軌道修正を余儀なくされるがこのことに気づくことができることもまた自身の糧になる。子供達にも自分自身を信じ信念を持って自身のなすべきことを成せと伝え続けたいと思うのである。

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