偉人『武者小路実篤』

中学2年の頃絵が上手なクラスメートの作品を見にお宅にお邪魔したことがあった。すると彼女のお兄さんが玄関に座り込んで武者小路実篤の『友情』を読んでいたのである。無類の文学青年であることは聞き知っていたのだが玄関で私たちの訪問に目もくれず読み耽る光景に戸惑いを覚えた。私にしてみればその姿も気になったが彼の足を跨がねばならない私たち数人の行動に微動だにしないほどの内容なのかと作品のことが気になった。帰りしな『友情』が気になり家の前を通り過ぎて近所の本屋に駆け込んだのが私と武者小路実篤とのファーストコンタクトだった。

『友情』が恋愛本だったことが衝撃すぎて翌日図書館に駆け込んで続きを読もうとしたのだが一緒に彼女の家を訪れた友人に先を越されていた。ハーレークウィーン小説好きの友人が古臭いと言って『友情』を一笑するかと思えば、これはこれでありということで絵の上手い友人に登場人物の杉子が大宮をパリへ追うシーンを頼み込んで描いてもらった。中学校2年生の休み時間のちょっとしたお遊びに一役買った古き良き時代の恋愛と友情物語は、キャッキャしていた懐かしさも運んでくる。『お目でたき人』や『若き日の思い出』『愛と死』なども読み回して絵を描いてもらったのだがやはり『友情』を超えるほどの楽しさはなかった。それから数年経ち大学進学を機に調布出身の友人宅にお邪魔した際たまたま友人のお母様が実篤推しということもあり、中学校の頃の話をすると椅子から転げ落ちる程その話を楽しんでくれた。調布の武者小路実篤記念館にもう少し寄っていろいろな側面の実篤を見ておけば良かったと後悔をしているところであるが、今回はとにかく自己肯定感の高い武者小路実篤の根底には何があるのかを再確認したいと考える。

彼の残した多くの言葉の中で私が最も心に刻んでいるのが『私は思う。今が一番大事な時だ。もう一歩』である。毎日がこの言葉を意識して活動できればいいのだがそうもいかない。しかし困難な時や心身ともに疲れた時に自分自身を奮い立たせる時にこの言葉を思い出し、心の中で反復しながら一歩踏み出すようにしている。武者小路実篤の前半生は「人生は楽ではない。そこが面白いのだ」と自分自身を鼓舞し大変厳しい時を送っていたようだが、晩年は愛情に満ちていた子煩悩な父親で孫思いの祖父としての姿がある。

彼は元を辿れば公家の家柄であり父実世は岩倉具視使節団として2年半ドイツへ渡航していた経験がある子爵である。そんな格式高い家柄の彼の人生は誰しもが裕福で何不自由のない暮らしをしていたであろうと思うであろうが、実篤が2歳の頃父実世は肺結核で他界している。父の死後は複雑な家柄で経済的にも厳しい状況を母秋子は子供を慈しんで育て家計のやりくりをしどうにか息子二人を学習院に進学させた。学習院での環境は子供の実篤を強情っぱりにさせ他人からの侮辱と嘘に敏感な子供に成長させた。この言葉の裏には子爵としてのお気楽な育ちとはかけ離れた現実の世界で生きる実篤の葛藤が伺える。子供達の世界にも容赦なく入り込んでくる大人社会の縮図が差別に繋がったのであろう。裕福さとは無縁の華族と経済的に恵まれた家柄の子供との間に流れる目には見えぬ大きな隔たりを感じつつ武者小路実篤はなぜこうも楽天家で自己肯定感の高い人物に成長することができたのであろうか。

1885年5月12日東京・麹町生まれで公家の出の子爵実世と同じ公家出身の母秋子の間に8人兄弟の末っ子として誕生する。しかし上の5人は幼くして夭折し、すぐ上の姉も21歳という若さで肺結核で亡くなっている。残ったのはすぐ上の兄公共と実篤だけであった。

父は肺結核を患い自身の死を覚悟した時に実篤に対する切ない親心を吐露している。この言葉こそが強情っぱりで喧嘩っ早い実篤を変えたのである。

「もしこの子(実篤)をよく育ててくれる人があったらな。そしたらこの子は世界に一人という人間になるのだが。」

死を覚悟した父のこの言葉が実篤のその後の人生を肯定的に受け止める一手になり、実篤の自己肯定感の高さや自分自身を信じる力に導いたのだ。生きて傍にいる父の存在を感じることができずとも父の残した言葉を思い出すたびに実篤はアイデンティティを確認することができ、自分自身をしっかりと持ち主体的に見ることができた。折に触れて父の言葉を噛み締めて歩んできたことは彼の作品にも見ることができる。誰がなんと侮辱的な言葉を浴びせても自分という人間を認めてくる親がいるというのは、子供にとっては最強の安全基地を手に入れたにも等しい。私たち親はやはり最強の安全基地を日々構築しなければならず、子供にかける言葉の重要性も鑑みる必要があろう。


実篤のように自己肯定感の高い人物はやはり自身の中にある幸福度も高いものである。そのことを物語っている実篤の言葉をもう一つ取り上げる。

「幸福を感じるのには、童心とか無心とか素直さとかいうものが必要である。」

親になるとこれまでの自身の人生でこんなにも幸せを実感できる瞬間があったであろうかと感じることがある。これが母性や父性と言うものであるが、無邪気な子供の笑顔や行動に幸せを感じ、損得を考えず無心に楽しんでいる様子を見てハッとさせられ、素直に物事を受け入れてくれる愛らしさが存在し子供の純粋無垢さに圧倒的な大人と子供の違いを見せつけられ、親は人生の分岐点で落とした大切なものを思い出すのである。実篤は常に何事にも左右されず純真無垢な人間らしい本質を見抜いて自分自身に必要なものは何かを自問自答している。この実篤の幸福を手に入れるために必要なことを子育て真最中の親が手に入れるためにすべきことは、親自身が童心に帰り無心に子育てをし子供と共に楽しいと思えるものを見つけ、そして親自身が素直な心で物事を受け入れるだけの許容をどう持つかにかかっているのではないだろうか。

子供のように何かに夢中になっている大人は目が輝き、素直さを持っている大人は笑顔が溢れている。そんな大人の姿を見せていれば自ずと子供もそのように育っていく。子供に受け継がせるべきものは金銭的ものもある程度必要だとは思うが、最も重要なものは君は君のままが素敵なんだという自己肯定感に通ずるものである。

では最後に武者小路実篤の自己肯定感がとても高い点の理由をさらに探っていこう。

彼が残した言葉を耳にした人の中には説教じみしている、叱咤激励が辛い、金言が重すぎる、前向き過ぎてついていけないなどと感じる人も多いというが決してこれら多くの言葉を彼は人に対して発しているではなく、自分自身にこうすべきだ、ああなるべきだと言い聞かせているのだと私は考えている。彼の作品を読めばわかるのだが彼が自身の人生を通して一貫して行っているのが、自分自身の身の丈に合うことだけを行い他のことは自ずと道が開けるまで待てと言うことだ。それは彼が経験した事柄を全て踏まえてのことであり、その行動で成功に終わっても万歳、失敗しても万歳と受け止める器を持つことの重要性も自分自身に言い聞かせている。

彼の作品の中で人間愛や人生の賛美しつつも『君は君、我は我也、されど仲良き』と自分自身を持って自分らしく生きること、そして人それぞれの個性を尊重し敬い適度な距離を持つことの重要性、自他を分離しつつもそこには人間愛がきちんと介在していることを心の豊かさと捉えている。なぜ彼がそこまで割り切った考え方ができるようになったのか、それはやはり父の残してくれた言葉が大きな根っこにあり、その後幼少期から多くの書物を読破してきたことにある。彼は小学生の頃から音読を嗜み読書が好きで多くの海外国内の文学のみならずキリスト教や仏教についても書物を通して学んだとされている。読書は先人たちの叡智の結集であり成功も失敗も悲喜交々のことが多角的に文章化されている。自分自身の考えの中に存在しない文面を目の当たりにすると紫電一閃の如く考え方がガラッと変わることさえあるのだ。実篤のように日々読書を通してその書き換えが行われると自分自身を高めることができる。

そして彼は自分自身の立ち位置を理解し白樺派を崇高なものにするために西洋美術の紹介を思いついたのである。ゴッホやロダン、セザンヌを日本に一早く紹介したのが武者小路実篤である。先見の明があり常に向学心があるのも自己肯定感の高さにあるといえよう。

武者小路実篤の人生において最も重要だったのは父の残したアイデンティティの源となる言葉であり、彼がこよなく愛した読書である。武者小路実篤の新風を取り入れ今が一番大切な時なんだ、もう一歩もう一歩と進んでみてはいかかであろう。

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