偉人『オディロン・ルドン』

若き頃彼の作品をどうしても好きになれなかった。その理由は見た目の奇妙さといい知れぬ恐怖感を感じていたからである。しかし子供が誕生し絵画集を一緒に見ていると子供は無意識で彼のページをじっと見ているのである。怖い夢でも見て夜泣きをされても困ると慌ててルドンページを飛ばすのであるが、子供はそのページを見て「どうして目ばかり描いてるの?」「まっくろくろすけもいるよ。おもしろいね。」と私の予想を覆す感性で見ていたのである。子供がなぜルドンの作品そう捉えたのかを知りたくなりルドンに関心を持ち本を読み漁り、画集を食い入るように眺め展覧会に足を運んだ。すると仕事柄ルドンという人物の人となりから学ぶ事が多かったのである。今回はこのルドンの人生から親の学びを考えてみよう。


1840年4月20日南フランスのボルドーで誕生。父ベルトラン・ルドンはアメリカのルイジアナ州ニューオリンズ森林開拓で財をなし、フランスに帰国してからはワイナリーの経営を行う人物でありルドンは裕福な家庭に生まれた。彼の人生に関する書物を読むと病弱なためボルドーよりも気候の良いメドック地方の叔父のところに里子としてだされたと記されているが、実はルドンを出産したばかりの母オデューユ・マリーがルドンを出産直後から拒んだ事が大きな理由である。母はルドンの4歳上の兄を溺愛するあまりルドンの育児を放棄した生後2日目にして里子に出された事が真実である。

ルドンは乳母と共に里子に出されたメドックに移り住み、叔父に歓迎されることはなく病弱なルドンは内向的で孤独な少年として育ち、その親と切り離された環境は11歳まで続いたのである。この幼少期の経験が彼の性格を決定付けたと言っても過言ではない。そして寄宿学校に入学してからも孤独な環境は変わらず一人行う読書と素描を行う日々を送った。その後の彼の進路は父の希望で建築家になる方向性が決定されたのであるが、残念ながら建築家になるための受験に失敗し父の期待に応えることはできなかった。父の期待に応えたのは弟のガストン・ルドンで彼はパリ装飾芸術美術館を手がけた人物であり、兄は音楽家として母の期待に応えた。ルドンの中には兄弟が親の期待を実現したという事実がさらに彼を孤独の世界に誘ったのかも知れない。

子供が成長と共に自分自身の居場所となる場所の獲得をしていく中で、ルドンは親元の安全基地を得られないまま、そして無条件で自分自身を愛してくれる親がいないということが彼の心身の発達に影を落とし内向的で自分自身を見つめる内観を推し進めたのだろう。

15歳で絵画教育を受けるようになりそれと同時にアルマン・クラヴォから顕微鏡下の世界の分子生物を学び魅了され作風に多大な影響を与えた。彼の作品に共通するのは『花と目がテーマであり、描かれたその目が不気味で悍ましくもあり、ミステリアスで彼の心の中の葛藤や自然界からのメッセージを読み取り表現しているようにも思える。しかしその作品の根底にあるのは誰からも関心を寄せてもらえない見てもらえていないという幼少期の寂しさを表現したのであろうか、それとも自身の存在を直視できない自分がいたのだろうか、はたまた人との関わりを持つことに不安があったのか、この時期の彼の描く目玉は全て上向きの視線で正面を向いているものはない。そこに違和感を感じることもあったのだがしかしそれだけであろうかとふと思うのである。それは子供が発した言葉が引っかかっていたからであ離、私が固定概念で彼を見ていたのではないかという私の中の常識を覆すべきではないだろうかと学んだ瞬間でもあった。

私自身の色眼鏡を外し彼の作品を知れば知るほど見えてくるものが違ったのである。一見おどろおどろしく見えるものであっても見方を変えると実はコミカルな一面があり、また当時は自然科学で大きな分岐点を迎えダーウィンが提唱した種の起源をルドンも影響を受けていたと確信できたのである。

ここで余談ではあるが水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉親父はルドンの作品から着想を得ているという。水木しげるの作品は幼心に見た記憶があるがルドンに繋がっていたとは考えもしなかった。もしルドンの作品にコミカルさがなければ水木しげる氏の感性には引っかからず、楳図かずお氏に影響を与えていたかも知れない。私の勝手な想像でいくとルドンが発信した芸術性は必ずしも人間や妖怪の恐怖を感じさせるものではなく、人間の中にスッと入っていく自然な感性を持っているのではないだろうか。するとしっかりと受取り表現する才能のある人物が新たな新風を吹き込んで文化が生まれるとも言える。水木しげる氏のように生涯子供心を持ち合わせた人物だけではなく、我が子も含めて少し怖い作品を見てみたいという衝動を人間は持っているのだろう。我が子が感じ取ったものは大人の常識というものさしでは計り知れない芸術性を見ていた瞬間であったと今はそう思える。

進撃の巨人のような人間を喰らってしまう場面を描いた作品を目にすると描いた当時の彼の心情がどうであったのか興味深いのであるが、49歳で長男が生まれてから少しずつ作品に変化が現れる。しかし生後半年で長男が夭逝しその頃の作品はまた内向的な要素をはらんでいたが、次男が誕生するとその作風が一転する。母親から完全に見放された暗い幼少の過去から決別するように彼は息子を心の底から愛し、その影響は作品にも反映され穏やかで神秘的で明るく幸福感に満たされた作品を描いている。彼の作品はモノクロと色彩に二分されるわかりやすさもある。

画風の変化は画家の人生が現れるというが黒くおどろどろしい作風から一転して色彩豊かになったのは子供の誕生だけではないく、彼が幼少期辛い思いをしながら育ったベイルルバートの土地が売却されたことで幼少期の苦悩から解放され大転換機を迎えたとも言われている。

孤独な心のまま描いた不可解な妖怪の黒の時代から内面を見つめることに徹した時代、そして色彩の時代へと変化した中で親に見捨てられた子供たちが辿る寂しさから脱線し、後半生の人生を全うできたのにはもう一つの理由がある。それは幼少期から親しんできた読書を通して真実を見抜く力を鍛えたことにある。

彼はある書物の中でこのように語っている。「読書は精神を養う素晴らしい源です。我々を変え完成します。思想を残した偉大な人物の大きな精神との無言の静かな対話ができます。そうは言っても、読書だけでは健全に強く働く精神が完成されないのは事実です。魂を培う要素を取り入れるには目が必要です。目で見る能力、正しく真実を見る能力を発達させていない人は不完全な知性しか持たないでしょう。」

彼が親の愛情を感じずに育ったとはいえ愛情を持って妻や息子を愛し、画家仲間や若き芸術家たちとの交流を行い尊敬される人物であったのは、やはり自分自身の内面と向き合う事ができたからである。そしてその向き合いの中で親とは何かを学ぶ事ができたのであろう。彼が人生を踏み外さず生きたのは読書の成果である。人生がうまくいかないと親を恨むこともできたであろうが、自分自身を拒絶した母の名前を生涯使用し続けるなど精神性の高い人物でなければできないルドンの行動はそう真似のできることではない。さまざまな理不尽を感じながらも深いところで物事を捉え解釈し、自分自身を内観する事ができる人物であったからこそなのだ。そう考えると私たち親が子供達に教え受け継がせるできることは、自分自身の内なるものを俯瞰し正しい生き方とは何かを考える事ができる人物に育てることではないだろうか。親自身が自分自身の内なる声に耳を傾け正しい判断をすることを実践する必要があるのだということをオデュロン・ルドンの人生から導き出せる。


大知事世界大戦で従軍した次男アリは生死不明となった。ルドン老体に鞭打ち息子アリを探し続け体調を崩し76歳でこの世を去った。親の愛情を受けずに育ったルドンが多くの愛情を息子に注ぎ人生に幕下ろした。切ない事実ではあるが愛情というのは自分自身の力で生み育てる事ができるのだということもまた彼の人生から学びとる事ができるものであった。来年は自分自身の常識を常識と新しい視点で物事を考えようではないか。

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