偉人『ポール・セザンヌ』

今回は自己肯定感が高過ぎて振り切ってしまった近代絵画の父ポール・セザンヌの人生を通して子供の自己肯定感の高さと己を客観視させることについて話を進めたいと考える。

自己肯定感が高いということは自信を持って自分らしく生きるためには必要不可欠なものである。がしかし振り切ってしまうほどのレベルだと自分自身を客観視できず、自分自身を追い込んでしまう場合があるのだ。セザンヌは経済的にも恵まれ、親友のエミール・ゾラの励ましがあり、時代が後押しになり若き芸術からが賞賛したお陰で現代の名声がある稀なラッキー人物なのだ。

セザンヌはリンゴやサント・ヴィクトワール山、裸婦の水浴画が有名である。彼の作品がのみかといえば彼の努力は認めるが、画集を眺める度にその良さを見つけようとするのであるが感覚的に好きになれない。長いこと西洋美術に触れていてもその良さに気づく事ができずにいるのが固定概念の仕業なのか、そもそも芸術を見抜く目を持ち合わせていないのかと悩ましさを思い起こさせる画家でもある。

がしかし子供が幼稚園の頃四方観察の学習を進めていくうちに絵画集を見ていて不思議なことを言い始めたのである。「この絵変だよ。目がいっぱいあるみたい。」見れば見るほど絵も歪んで見えるというのである。子供の感性やものを見る目の鋭さに手応えを感じた瞬間であった。子供に教えられるということはこういうことかと実感しながら彼の作品を見ると、なぜそこまであらゆる視点で描き込んだかも不思議に感じたが、柔らかい布がコンポートや皿と同じ質感で描かれている事が引っかかったのである。もしやセザンヌはめっぽう描く事が下手だったのでは・・・?ものを捉える視覚は優れていても画家としてのモータースキルと技量がなかったのだろうか?事実現代に名が残る多くの画家らはサロン入選を果たしているが、セザンヌは何度応募しても箸にも棒にも引っ掛からなかったのである。

少しだけ文章の解釈をセザンヌの絵を用いて確認してみる。視点を矢印で現そうと色々試してみたのであるがかなり難しいく、真正面のリンゴにはとうとう矢印を記入できなかった。これまでの巨匠らは一つの視点で描き切っているのであるが、セザンヌはちゃぶ台をひっくり返すような潔いで自分の技量に合わせて見え方の違う対象物を一つの画面に書き入れている。だからこそ歪んで斬新で衝撃的だった。彼が「リンゴでパリを驚かせたい」と言ったことが現実となった瞬間である。


1839年1月19日南フランスのエクス=アン=プロヴァンスの田舎町でセザンヌは生まれた。父は元々帽子店を経営していたが野心家でビジネスのセンスがあり町唯一の銀行を設立し大成功をおさめていた。セザンヌは経済的に恵まれ何不自由なく生活し、高圧的な父からは銀行を継ぐよう厳しく育てられ、銀行を継ぐことを目的としながら法律家としても道に進むよう促されたのである。一旦は地元の大学で法律を学んだがどうしても画家の道が諦めきれず2年かけて父を説得する。彼がなぜこれほどまでに画家の道を熱望したのか、それはリセ(中学校)での校内絵画コンクールで1位をとったからである。しかし残念なことに誰の目から見ても彼に絵の才能があったとは思えない。以下の絵は21歳の時にパリ行きをかけて父を説得した作品だ。

父の別荘の壁に掲げるための4部作を描いたものである。遠近感もモノの質感も写実的なテクニックも全くない作品だ。父がパリ行きを承諾したのにはおそらくこの技量だは国立美術学校には到底合格できず、すぐに諦めて帰郷し法律の道に進むだろうと考えてのことだったのではないだろうか。

パリでの国立美術学校にはやはり合格できず落胆したのであるが、自分自身の実力を客観視できる才能はなかった様である。つまり自己肯定感が強過ぎて自分自身を俯瞰する目が育っていなかったのである。パリでの印象派画家との実力は明らかで自己肯定感の高い彼は、彼の作品いついて意見を交わす仲間たちの批判に負けじと対抗し毒舌を繰り返し馴染めずとうとう田舎に帰郷した。しかし根拠jのない自信というものは自分自身を俯瞰したり内観する力が不足する傾向にあり、現実を直視することが難しく気付くことすらできない場合もある。またそれだけではなく現実を薄々聞きながらもそれを受け入れることを拒む可能性もあるのだ。セザンヌはその結果印象派の仲間らと対立し印象派展からも早々に離脱した。エミール・ゾラと出会った頃の純粋さはやがて仲間と対抗するあまり彼を偏屈な人物、付き合いづらい人物、無愛想、喧嘩っ早い、毒舌を吐く、人の心情の裏を疑う、厄介者扱いされてしまう状況に陥った。純粋無垢な少年がそうなるにはやはり幼少期の土台がある。父に高圧的に厳しく育てられたということがベースにあるのは間違いなく、父のような格上の人物に逆らうことはできなくても自分と同等の人物たちからの批判を受けた場合には、真っ向から戦う土台は父の姿から学んでいたはずである。自己肯定感が高いが振り切るとプライドもものすごく高くなり、自分自身を攻撃されると売られたケンカは必ず買うはずであるが、セザンヌの場合には切磋琢磨する仲間の意見が素直に受け入れる事ができず、彼が苦しい時に精神面そして経済的にも支えた親友の作家エミール・ゾラとの絶縁も引き起こしてしまった。

子供の自己肯定感を高める子育てを行う場合には同時に素直さや人の意見に耳を貸す心のゆとり、人と対立せず調和するなどバランス、そして何より自分自身を内観し俯瞰できるように育てていくことをセザンヌの人生から学ぶべきだと考える。

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