偉人『ルチアーノ・パヴァロッティ』

毎年開けのルーティーンといえば新年の早朝はお雑煮の準備で始まりそこには『渡りざう』か『越天楽をかける。私一人であれば子供の頃のお正月気分を味わうために琉球箏曲『渡りざう』、主人がいたら雅楽の『越天楽』である。そしてウィーンフィル。そして新年が終わり仕事モードに入るために聴くのはやはり毎年変わらずルチアーノ・パヴァロッティのイタリア歌曲である。というわけで今回は太陽のテナー、ルチアーノ・パヴァロッティ様を取り上げる。

今回は今は亡きパヴァロッティの類希なる集中力について考えていく。

男性の声はテノールが好きだが特に軽く明るめな声を持つパヴァロッティをこよなく愛している。何が魅力なのかといえばハイC(高いド)の音が出せるだけでなく何よりも伸びやかで、声量があるにも拘らずレガート(滑らか)的で、それでいて底抜けに明るい彼の声は一度聴いたら恋に落ちるような魅力があり惹きつけられてしまう。軽く私の年齢計算ができてしまうが彼の声に恋をした1980年ごろは小学校6年生だった。学校ではジャニーズ一色の友人が多い中かなり変わった小学生だったかもしれない。小学校で習った『帰れソレント』、今から思えば音楽の先生は声楽選考であっただろう。折に触れてオペラを聴かせてくれた。勿論パヴァロッティの歌う『帰れソレント』もだ。家に帰り母と共に高良楽器店へ行きCDを探した記憶がある。母を巻き込んでの大捜索だったがこれはまさしく母のクラシック好きが影響して生まれた行動であったといえるであろう。少々記事から脱線するが、子供の頃の衝撃は生涯忘れることができないものであることを私自身の経験から言えることであり、是非お子さん達にも歓喜の声が上がる経験を惜しみなく与えておかれるべきだろうと考える。雷に打たれたような全身に広がり漲る力を年明けに注入することが私のルティーンで勿論今年も欠かさず我が家には家中彼の歌声が響き渡り、この記事を書いている傍らでも彼の豊かな歌声に浸りながら指先は動き回っている。彼は「皆を幸せにするために歌いたい」と語っていたのであるが、今まさに私は彼に愛をもらい幸せに包まれながらカーソル音でリズムを刻んでいる。今回はかなり彼を援護する記事になると思うのだが、私が幸せに包まれていれば素敵なレッスンに繋がると信じてご勘弁いただこう。

1935年10月12日イタリア・モデナに誕生。父フェルディナンドはパン職人でありアマチュアのテノール歌手であった。彼は幼い頃から父の録音した歌を聴いて育ち音楽に興味を抱いていたという。母は葉巻工場で働き幼少期は貧困に直面して育った。幼い頃はサッカーに夢中になりプロのゴールキーパーとして活躍することを夢見ていたという。そのことを頭のどこかに置いて記事を読み進めてほしい。母の勧めで教師になるために師範学校を卒業し2年ほど教師として活動するが、歌うことが捨てられず20の頃父と所属していた男性合唱団として参加していた国際コンクールで最優秀賞を受賞。この受賞がきっかけでプロになることを意識し、26歳でレッジョ・エミーリアの声楽コンクールの応募し優勝。その副賞としてオペラ『ラ・ボエーム』のロドルフォ役でオペラデビューしその役は彼の当たり役となり、ここから彼のオペラ界での目覚ましい躍進が始まる。彼は微動だにしない姿勢で表情を変えずに一点を凝視し歌い上げ、歌い終えた後はそれまでの厳しい表情とは真逆の笑顔で人の心を掴む。普段の姿は庶民的で気さくで陽気でいつも物事を楽しむ素敵なおじさまと言ったところである。彼のその陽気で全てを包み込むようなありのままに生きるという姿勢は、子供の頃に破傷風で死にかけたという経験と故郷モデナを心から愛するということが原点であるが、自ら朗らかに生きることを実践し歌うことを通してイタリアオペラのような滑らかで些細なことは気にしない、太陽の下で生きて行こうと人々を導いた唯一無二の人物だ。心の奥底にあるものがそのまま歌と生き方に滲み出たからこそ人々を虜にしたとも言える。もし機会があれば彼の人生を絵描いたパヴァロッティ太陽のテノール』を見れば私の言わんとしていることが明確に理解できるであろう。

ここからは彼の類希なる集中力について話を進めよう。彼の人生を紐解くことに必要なのは彼の歌声だけではなく、歌っている姿を分析する必要がある。

一般的なオペラを歌っている男性とパヴァロッティを比べ見ることはあまりにも無情ではあるが、そうすることでパヴァロッティの凄さを知ることができる。一般的なオペラ歌手が声を出すために空気を体に取り込むためや声を出すために大きく身体を動かしている様子や視線が目まぐるしく動かすのに対し、パヴァロッティはつま先立ちで軸を取るだけで身体はほぼ動かさず、直立した状態でハリのある明るい声で伸びやかに1本芯の通る声を響き渡らせるのである。そう考えると彼の身体全体が名器であり集中力を操って歌っているとしか思えない。どこか一点を見つめて歌っている様子からしても彼の集中力は類希なるものがあり人とは桁外れなんだろう。彼の息遣いや呼吸、そしてヴィブラートの揺らぎ、明るく高く澄み切ったハイトーンボイス全てがこの集中力から生み出されているかと思うと、子供達にその集中力の方法をほんの欠片でもいい獲得してほしいと思うのだ。多くの声楽家が彼の集中力は並外れているというがそれはどこからくるのかはわからないという。強いてあげるなら彼の意識と身体全身が名器であると話しているのだが、そんな当たり前の言葉で片付けられるのであろうかと感じるのだ。私の生涯に渡り彼を知ることで必ずやその集中力の源がどこにあるのかを突き詰めたい、いや辿り着きたいと考えている。彼の集中力は凡人が持つ集中力とは明らかに違う桁外れの大集中力である。

彼の場合父もアマチュアでありながらもテノール歌手であったということから生まれながらの名楽器を持ってこの世に誕生したことは間違いないが、彼の作品との向き合い方を考えると歌うことを極めるという意識は桁外れの集中力がなければ実現できなかった。晩年はハイトーンに頼らず低い音を表現することに挑戦し、野外でのコンサートで3大テノールとしての活動や新たな取り組みとしてマライアキャリーなどのポップス歌手とも共演をするなど常に自分の可能性を広げようと努力をしているのである。新しい変化を取り入れながら自分自身のやるべきことに向き合う人生とはなんと素晴らしいことか。

本来は軽率すぎて書きたくはないのだがこの集中力を子供時代に獲得していたとすれば、彼がサッカーのゴールキーパーとしてプロになりたいと考えていた子供の頃にその集中力に芽生えがあっあことは間違いないと考えている。いつどこから飛んでくるかもしれぬボールに集中しゴールポストを守る、これが集中力の芽生えであったと今回は結びとしておこう。その先の集中力に磨きをかけた要因についてはまだまだ研究をしなければならない人物なのだ。その回答がある日突然閃く日が訪れるまで彼の底抜けに明るい作品を聴き続けるであろう。

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