偉人『渋沢栄一 第2弾』
前週の2024年6月14日『渋沢栄一』に於いて迷走する若き渋沢栄一と父市郎右衛門との蜜なる関係性を記したが、今回は近代日本経済の父と呼ばれる栄一が500もの会社を設立し今もなお日本を代表する企業として存在し、また600余りの教育や社会事業に尽力していたのかを彼の育ちとその中で育んだ考え方を子育てに導入できることもあるかも知れないと考え、内容展開をしていくこととする。
前回も記したが渋沢栄一は農民の出でありながら尊皇攘夷運動に参加しようと血気盛んに倒幕を叫んでいた迷走時期があるが、ひょんなことから討幕をしようとしていた徳川最後の将軍である一橋慶喜の幕臣として使えることになり、その弟昭武のパリ万博に随行し日本に帰国した後は江戸幕府の終焉を受け経済人として活躍していった人物である。農民でありながら幕臣となり経済人として日本のリーダー的活躍を果たせたのには家庭教育が大きく関わっている。
渋沢家は農民であっても藍玉の製造販売を手掛ける豪農であり、士農工商の残る時代に父市郎右衛門は中国古典に親しんだ教育を受け武道にも秀でており、栄一は父より中国古典の学び、ものを見抜くという点で父から商売のノウハウを学び、商売の才覚もあっと言われている。と同時に父の代理として藩主から無理難題の御用金を求められた時にもキッパリと窮状を説明するなど立場の弱いもの意見が罷り通らないことに苛立ちを募らせる経験をしている。この経験が経済人としての手腕を振るうときの糧にもなっているのだ。
大蔵省を辞任し経済人として歩き出した栄一の元にイギリス人商社から「日本人の取引はインチキばかりでまともな取引ができない」という罵詈雑言を浴びた。あまりにもその言葉が衝撃すぎてこれではいかんと日本経済の信頼回復を願い『道徳経済合一』を唱え、たとえ利潤目的の商売であっても道徳心を持ち、公の責任を持たなければならないと日本社会にそのことを浸透させようと奔走した。実はこの考えは幼い頃に父から受けた中国古典の論語であり、また藍玉に関する商売の目利きが深く関係している。余談であるが今世界の注目の的になっている大谷翔平もまた日本ハムファイターズ時の栗山監督からの教えで論語を学び、自身の糧にしているのだとか。一流は論語から学び続けているんだと渋沢栄一との共通点を見つけたような気がする。
さて余談はここまでにして、ここで久々に孔子の論語世界を覗いてみようではないか。
栄一が信頼回復を声高に唱えていたのは孔子と弟子の士貢のやりとりから影響を受けている。国のリーダーとして重要なことは何かと弟子の士貢に問われた孔子は3つあると答えた。
1、国民の生活を安定させること
2、軍備を十分整えること
3、信頼を得ること
すると弟子の士貢は一つ捨てるとしたらどれかと尋ねると孔子は絶対に捨ててはならないことがあるとし、それは信頼を得ることだと答えたという。この孔子の教えこそが栄一の考え方の根底にある。そしてその教えは渋沢一族に脈々と受け継がれていた輝かしい話があり、掻い摘んで記しておこう。
第二次世界大戦で敗戦した日本はGHQによって華族制度や財閥の解体が行われたわけであるが、この時に渋沢一族の会社も対象になった。しかし他の財閥とは全く異なり私服をこやしている様子がどこをどう調べても出てこず、GHQは渋沢一族の解体はしなくて良いと判断を下した。しかし渋沢一族はそれでは他の財閥と足並みが揃わないとして自らその座を放棄したという。もしGHQの判断をそのまま受け入れていれば、渋沢家の信頼は失墜していたに違いない。潔く座を辞して信頼を担保したという見事なまでの決断である。きっとその幕引きを渋沢栄一は空の上から称賛していたであろう。
さて多くの会社設立を軌道に乗せた後、責任を負える人物に任せて次の新たな事業に乗り出す栄一であったが、35歳で立ち上げた東京養育院は死の間際までの50年を院長として責任を果たしていた。その養育院は孤児や今でいう育児放棄をされた子供たち、病気や生活苦に苦しむ人々を受け入れる施設で子供から老人までを保護し、彼らの生活の安定、教育、病気の治療を担っている福祉施設の運営に心を配った。特に貧困・病気・孤児・育児放棄の子供達を取り分け気にかけていたという。これからの日本を担う子供達の教育に真摯に向き合い、時にお父さん、お爺さん、曽祖父という立場で子供たちと向き合っていたそうである。
多くの問題を抱えている子供達というのは愛情の欠損が大きく人を信頼することができないと言われている。私も長年この仕事をしていると愛情が子供に伝わっておらず、親の愛情を確かめるような子供もいれば、私に心を開くのにものすごく時間がかかる子供もいた。その根本は何かと探ればやはり親の愛情を知らずに育つ=人を信頼できない子供に育つというところに着地してしまう。信頼というものを重視し日本社会を考えるに至る栄一であれば、子供達の世界にも人を信じる力を身にさせなければならないと痛切に感じていたであろうと容易に想像ができる。だからこそ多くの仕事を他者に譲ってきてもこの福祉事業だけは死の間際まで手放さなかったのではないだろうか。
これまで多くの偉人を調べてきたのであるが、世界を見ていたり大きな方向性を見定めている人物は時として足元をしっかりと見ておらず、足元から総崩れをする偉人や芸術家も案外多いものである。しかし渋沢栄一という人物は壮大なものを見ているが、そこに到達するためには何が必要なのかを把握し、そのためにはどのような手腕を発揮すれば良いのかを決断できる人物であり、そして自分自身が幼い頃に学んだことをしっかりと理解し、本筋を見極める能力を持ったバランス感覚の優れた人物と言える。原点に立ち返ることができる人物でいられるようにすることがとても重要だと考える。その原点に立ち返るための指針を子供に持たせるのも親の役目であろう。渋沢栄一のような原点となる指針を持たせ全てを考えるバランス感覚で物事にあたる事を重視することを学ばせ子育てを行っていくとその子供の未来は明るいのではないだろうか。
また親は自分自身の子供をしっかり見極める観察眼を磨くことは必要不可欠な事である。お腹を痛めて産んだ我が子供が何を求めているのか、何を感じ考えているのか、何に興味があり何が得意で、何が苦手てでそれらをどう克服させるかなど親として知ることができれば、どのように子育てをすればいいのか迷走することはない。まずやるべきことは学力をつける事だけを視野に置いての学習教育を強制する事を最優先することよりも、今の子供の状況をしっかりと見ることである。渋沢栄一の父市郎右衛門が幼い栄一をしっかりと見て育て、子供の行動全てをまず受け入れて教育の場を設け、物事の判断をできる年齢に至った時に手を離すことができる親になれるかどうかを自問自答するのも親のなすべきことであり、それができれば子供は栄一のように親からの教えを胸に刻んで自分の人生を歩み謳歌することができるであろう。
『我が子は今何を楽しんでいるのかな?』から始まり、『私は子供から信頼される親となっているだろうか』、『私は何があっても子供を信頼できるか』と自問自答してみることも時には必要かもしれない。
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