偉人『アンドリュー・カーネギー 第1弾』

年末から年始にかけてはクラシックコンサートに出掛けるのが年納めと年初めの楽しみの一つであるが、大舞台に立つアーティストたちの憧れの舞台はアメリカ・ニューヨークマンハッタンのカーネギーホールである。1891年鉄鋼王アンドリュー・カーネギーによって建てられた5つからなるこの劇場は現在も世界最高峰の演奏が行われる名高き場所であり、音楽好きのアンドリューが最後の最後まで手放すことがなかった場所なのだ。そんなこんなと妄想を繰り広げていただけの理由でアンドリュー・カーネギーを取り上げる。

アンドリュー・カーネギーといえば貧しい家庭で育ちスコットランドからアメリカに移住し、自らの手で史上2番目に多い資産を成した人物であるが、実は実業界から比較的早くに身を引き図書館の建設や教育施設、平和機関などの福祉事業に多額の資産約30兆円を投じ慈善事業家として晩年を送った人物でもある。今回は彼が生涯やり続けてきたこと3つに着目し子供の教育について考えていくこととする。


先ず1つ目は家計を助けるために幼き頃から労働を厭わなかったということ。

アンドリュー・カーネギーが誕生したのはスコットランド・ダンファームリンで、手織り職人の父ウィリアムと母マーガレットの長男として誕生した。当時は産業革命によって発達した蒸気機関を使用した工場生産を行うようになり父の手織り職人としての仕事が激減した。彼らは生活の困難さからアメリカに仕事を求めてピッツバーグへ移住したがその費用も借金をし工面した状況である。渡米してからも生活困窮は続き両親の苦悩を十分に認識していた彼もわずか13歳で週6日1日12時間の労働をしなければ生活が成り立たなかってと言われている。現代に置き換えると児童労働の問題に値するレベルの話である。しかし彼は自らの労働を苦にせず両親の生活を楽にさせたいという思いが強かったようである。つまり子供が親をそこまで思うと言うことは親が彼に対して愛情をしっかり注ぎ育てたということである。

幼きアンドリューは何度か転職をした後15歳で電気通信技師の資格をとり、18歳でペンシルベニア鉄道のトマス・アンダーソン・スコットに真剣に働き学ぶ姿勢をかわれて秘書として引き抜かれた。わずか13歳で1日の12時間を労働に充てながら長年働き、尚且つその仕事を真面目にこなし資格を取るなどの勤勉さというものを持ち備えていたことが優れた経営者の目に留まったと言うことである。織田信長の草履を懐で温めていた豊臣秀吉の話の次元とは大きく異なるものでアンドリューは出世を望んでそうしたわけではなく、労働しながらもその中で勤勉に働き学ぶことを幼い頃から身につけていたのだ。ではその勤勉さはどこで育まれたのか。それは幼い頃の両親の働きに大きく関係している。子供は親の背中だけではなく全てを見て育つ。つまりアンドリューの両親は勤勉に働く姿勢を見せていたと言うことである。と同時に子供達に愛情をしっかり注ぎ、子供達もその愛情を受け両親の生活を楽にさせたいという思いが自然と湧き上がってきたのであろう。この両親とアンドリューの関係性については今年最後の偉人記事2024年12月27日『アンドリュー・カーネギー第3弾』で記事にするため今年最後までお付き合いいただけたら思う。

2つ目は大変な読書家でその読書が彼を成功に導いたことである。

アンドリューはどんなに忙しく働いている時でも常に本を手にしていたと言われ、多くの社員が本を手にしている彼の姿を多く目撃している。つまり彼の読書に対する姿勢はスコットランドに住んでいた頃に育まれている。足繁く図書館に通い本を読んでいたことが原点であり、叔父のジョージ・ローダーによりスコットランドの歴史的偉人の武勇伝や様々な話を教え聞かせたことが彼の知りたい学びたいという意欲を育んだのである。

また幸いにもアメリカに渡り電信局で働いていた頃に近所に住むアンダーソン大佐の400冊もの所蔵した本を毎週土曜日に借りに行き、そこで多くの知識を得たのである。アンダーソン大佐は近所の子供達や労働者に個人的に本を貸し出し、貧しく働く少年たちに本で知識を与え生活向上させる方法を学ばせようと活動していた人物である。アンドリューもそれら多くの本を借り熱心に読み耽り、知識を得て生活を向上させる術を得たということを公言している。

叔父とアンダーソン大佐という2人の影響によりどのような状況に置かれても意欲を持って学ぶことを育んだと考えている。つまり子供達は両親以外の大人からも大きな影響を与えるという意味では大人は誰しも子供に見られているという意識を持つべきである。昨日生徒さんのお父様からコーヒーにお湯を注ぐ様子を見せていると、息子さんがその様子を真似て丁寧にゆっくりと空け移しを実行していたという話を伺った。お父様としては意図せずに見せていたという話であったが、このような行動の積み重ねが子供自身に多くのものを身につけさせることになるのだ。つまり大人の行動を子供はしっかりと見ていることが実証されたのである。

つまり大人の行動こそが子供にとっての軸となるものさし作りになり、素敵な行動をとった大人を模倣していくのだ。アンドリューもまた莫大な富を得たのちに慈善活動として2500余の図書館を創設することになり、とりわけ多くの貧困層や黒人層が住む地域にも積極的に図書館を創設したとされている。


3つ目は彼自身が自分の生み出した莫大な資産についてどのようにするべきかを考えていたことである。つまり多くの資産を有した場合贅沢三昧に使うこともできるが彼はこのように考えていた。

「裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ」「金持ちとして死ぬことほど不名誉なことはない」とも語っており、自分自身の財産の使い方を考え1911年カーネギー財団を設立したのである。そして今もなお世界各地で彼が築いた教育支援は行われ続けているのである。そのアンドリュー・カーネギーの考え方はビル・ゲイツや渋沢栄一、京セラの創業者の稲盛和夫にその精神を受け継がれている。しかし彼のこのような精神は実は幼い頃からすでに形成されており、彼の生まれ育った地域には貧しい商店の子どもや下請けの職人の子供も多く、家をの手伝いをして学校に通うことができない友人のために自らのノートを写させ、時に宿題を助け学ぶことの重要性を示していたともいわれている。人を助ける精神が実は幼い頃にすでに構築されていたのである。この勤勉さについては次回2024年12月20日『アンドリュー・カーネギー第2弾』で記事にする予定である。


アンドリュー・カーネギーの精神の基礎は幼い頃に形成されている。成功者と言われる人物はどのような育ちや生き方をしているのかを紐解くということはとても重要なことだと考えている。子供向けの偉人伝を読んでいると成功したことが輝かしい功績として記されているがその書物を読んだのちには、必ず偉人の失敗したことも至らぬこともトホホホな事実も全てひっくるめて知り、自分の人生に活かすことができるように現代の子供達は成長してほしいと考える。アンドリュー・カーネギーの失敗もその後の彼の行動についてもどこかで記事にできたらと妄想が広がるばかりで来年への持ち越し宿題になりそうである。

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