偉人『エドワード・ベンジャミン・ブリテン』

クラシックはヨーロッパを中心に発展したものであるが、国によっては鳴かず飛ばずでその国発信の作品や代表する音楽家が長らく生まれていなかった場合がある。その差異たる国がイギリスだ。ヘンデルがドイツ人でありながらイギリスに帰化して以降は19世紀のエルガーまで国を代表する音楽家はいない。その流れでホルストやヴォーン=ウィリアムズが続き、20世紀に現れたのが現代イギリス最大の国際的音楽家エドワード・ベンジャミン・ブリテンである。

しかしこのエドワード・ベンジャミン・ブリテンの名前を知る日本人は少ない。本国イギリスでは王妃から直接オペラ作曲を依頼された功績で有名な音楽家であり、実は日本政府から1939年に皇紀2600年奉祝曲を依頼されてもいる。しかし彼は亡き両親を思い作ってしまったためレクイエムで縁起が悪いとされ採用されることはなかった。また日本を訪れた際に能を鑑賞し作品も生み出しており知る人ぞ知る日本と関係ある音楽家なのだ。

今回はクリスマスシーズンなので彼の代表的作品でもある合唱曲『キャロルの祭典』を聴きながらブログを記しているというわけだ。

実は彼は男爵である。ブリテン男爵エドワード=ベンジャミン・ブリテンは1913年11月22日サフォーク州のローストフトで医師の父ロバート・ビクター・ブリテンとアマチュアソプラノ歌手母イーティス・ローダのもとに誕生する。音楽的才能は早くから開花し、2歳でピアノに触れ、5歳で歌曲、7歳でピアノ曲を作曲し、9歳で最初の間弦楽四重奏を完成させるなどの音楽的才能を開花させた。父ロバートは息子の音楽的才能を認め才能を更に伸ばそうと環境を整えることに尽力した。10歳の頃音楽祭でフランク・フリッジオの作品に感銘を受け、音楽祭終了後に彼の元を訪れいかに感動を受けたかを伝えている。10歳の少年がその音楽祭の重鎮である音楽家を訪ねるなどそう簡単にできるわけではない。面会したチャンスを逃すことなく師弟関係をも結んでいる。つまり本人の志の高さは勿論のこと両親のサポートが実を結んだ瞬間である。そのその後の活躍は目覚ましく無事にロンドンの王立音楽大学に進学し音楽専攻をした。しかし大学での音楽専攻に物足りなさを感じウィーン留学を希望したが大学からの留学許可が降りず留学を断念せざる得なかった。大学時代から多くの作品を残し今でもその作品が親しまれていることから、もしブリテンが留学許可を得ていたならば大きく成長し今以上の音楽家としての知名度が上がっていたのではないかと想像する。大学側がなぜ留学許可を与えなかったのか・・・彼の才能を大学内で留め失いたくなかったのか、具体的に師事する音楽家を決めていたということに関係して何かしらのしがらみがあったとも言われている。そう考えると一人の若き天才の才能をイギリス国内や大学内で囲ってしまい、成長のチャンスを断ってしまったことが大変口惜しい。

ただ彼は留学許可が出なかった状況は彼に別の道を与えた。彼は大学を去った後、音楽の道には進まずイギリス郵便局の映画部に入社しドキュメンタリーや記録映画を制作する仕事に就いた。その時に知り合ったのが20世紀最高峰のイギリス詩人ウィスタン・ヒュー・オーデンである。彼の思想や作品から多くの影響を受けその後の音楽活動に得たものを還元していったのである。道半ばで留学の機会が閉ざされ苦悩し遠回りをせざる得ない心境に追い込まれたのかも知れぬが、やはり道を極めた人物はその道に回帰するのだとブリテンからも回答を得たような気持ちだ。

その後音楽活動を精力的にこなし器学・声学・編曲・舞台音楽など幅の広い活躍をしていたが、彼が最も主軸とした音楽活動していたのがテノール歌手のピーター・ピアーズの音楽活動である。同性愛としての親密な関係性が取り沙汰されているが、ピアーズのためにブリテンは作品を贈り、ピアーズがブリテンの作品を歌わない時にはブリテン自らピアノ伴奏をするなどしかなり親密な関係性であったことは周知の事実であった。ブリテンが作品を生み出しているにも関わらず世に名を知らしめることができなかったのには同性愛も関係しているとも言われているが、それと作品の関係性を絡めて判断するのは大変愚かなことである。デリケートな問題でさまざまな意見がありはするが、性別を超えて人が心が惹かれ合うことは誰にも止められない。現代は多様性が受け入れられやすい環境になりつつあるが、19世紀の特に伝統を重んじる国イギリスで同性愛ということは受け入れられないことであったのだ。事実彼らが天に召された後に彼らの同性愛が大きく取り沙汰されることになったのだ。芸術を追求する人々の作品を鑑賞する場合にはそのようなバックグラウンドを気にする事なく、純粋にそして単純に芸術だけを鑑賞することがあって然りではないだろうか。

つまり人の生き方は自由であり、自分の生き方を選択し進むことができる時代には生まれや育ち、趣味趣向などが偏見差別に晒されることなく、それぞれ自分の人生を選択することができる本当の自由の獲得が望まれる。人間のあるべき姿というものがこれからもますます議論されることを望むと同時にこれからの子供達には芸術作品を色眼鏡なしに単純に楽しむ心のシンプルさを持っていて欲しいと望む。そして何よりも自分の思い描く道が閉ざされたとしてもそこから何かを見出して自分らしく進む決断をする強さを持ち合わせてほしいものである。

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