偉人『エドゥアルト・グリーグ』

春といえばジャンル問わず思い浮かべる曲が何曲もあるがその中からまだ取り上げていない偉人は誰がいるのかとあれこれ考えてみた。すると作曲家エドゥアルト・グリーグをふと思い出したのである。グリーグといえば『ペール・ギュント』を思い出す人も多いかも知れぬがグリーグはシューマンの音楽の流れを受け継いだ美しい曲とノルウェーの民族的音楽を盛り込んだ作品を多く作曲している。特に抒情小曲集第3巻『春に寄す』の美しい旋律や2つの悲しい旋律より『過ぎし春』など趣があって良い。今回はこれらの美しい小曲を生み出したグリーグにも幼い頃のにあった反骨精神の是非について考えてみたい。

1843年ノルウェーのベルゲンで生まれたグリーグの生家は代々貿易関係の仕事をし音楽と文化をこよなく愛した家柄である。父アレクサンダー・グリーグはイギリス領事で働きながらアマチュアのオーケストラで管弦楽演奏をする人物で、一方母ゲシネ・ユディト・グリーグはハンブルグでピアノの専門教育を受けた地元では有名なピアニストであった。また母は名家の出身ということもあり音楽のみならず戯曲も書く文才も備わっていたと言われている。その二人の両親の元グリーグは5人兄弟の4番目として誕生する。やや遅いような気もするがグリーグは6歳から母の厳しいピアノのレッスンを受けメキメキとテクニックを習得していった。音楽家が我が子に音楽教育を施すことの難しさをよく耳にするが、この母と息子は大成功を収めた部類に入るのではないだろうか。

グリーグは母に手解きを受けたピアノ演奏が楽しくなり転校したばかりの学校へ楽譜を持って登校し、教師からピアノに夢中にならずに学業に励むよう注意を受けそこから授業をサボるようになり不真面目な行動をとることが多くなった。彼にとって最も楽しい音楽を否定された事による反抗的行動であり、厳しいレッスンを受けその先に楽しさを見出した幼いグリークにとっては教師の言葉は納得できるものではなかったのであろう。

グリーク家では度々音楽サロンが行われ、幼いながらに即興演奏が好きなグリーグは自由な発想を膨らませ演奏をしていたそうである。1858年の家族の音楽サロンにゲストとして訪れた作曲家でヴァイオリニストのオーレ・ブルにより15歳のグリーグはメンデルスゾーンが創設したドイツのライプツィヒ音楽学院への留学させることを勧められ両親の説得に当たった。しかし15歳の少年にとって家族と離れ異国の地ドイツの大都会での生活は耐え難いホームシックを抱え、尚且つ即興で自由に音楽を奏でていたグリーグにとって師から学ぶように言われる基本の繰り返しは耐え難いものであった。そこでグリーグは担当教師を変えてもらう要望を出した。これはグリーグの名誉のために付け加えておくが、海外では今でもこのようなことは行われ決して高飛車な生徒ではなく音楽を追求するための判断であった。

その後新たに出会った恩師はシューマンの親友であった E.F.ヴェンツェルで彼からいかシューマンが音楽に情熱的であったか、そしてシューマンの内面生を学んだ。またグリーグにとっての重要な学びがゲヴァントハウスで開かれるシューマンの妻クララ・シューマンの演奏で聴くシューマン作品であった。文化的水準の高くないノルウェーでは未聴きすることのできないシューマンの語り部であるクララの演奏は、グリーグの音楽的才能を引き上げたと言っても過言ではない。しかし音楽院生活で胸膜炎という病に罹り一時期療養のためにノルウェーに戻りながらも無事に音楽院を卒業することができた。

グリーグのように両親の与えた資質や環境は羨ましいと言えるが、グリーグに備わっていた反骨精神を教師は汲み取ることが重要であった。反骨精神とは既存の権威や慣習、周囲の圧力に屈せず自分自身の信念を曲げない強い意志の事をさすが、その反骨精神は鬱屈した感情が凄まじいエネルギーとなることがあり何か行動するための原動力になりやすい。グリーグの場合にはその反骨精神が音楽を愛し追求するという面と授業をサボるという反発行動に繋がったが、音楽の道を追求することで人生の道を大きく外れることはなかった。

反骨精神は悔しさや腹立たしさという怒りを原動力に行動するため、その精神で頑張り抜いた場合や成功を積み重ねてきた場合には失敗や挫折を極端に恐れたり、心を閉ざし頑なさ持ち合わせプライドだけが高かくなることがある。そして負のエネルギーでの行動が自分自身も周りの人も傷つける可能性があり立ち直りが難しい場合もある。思春期の子供を扱う場合にはこのような反骨精神は時に刃になるため注視しなければならない。反骨精神は勝つか負けるか、上か下か、結果を出さなければ人に舐めら、強くなければ人に馬鹿にされるなど人の目を気にした生き方しかできなくなってしまう。本来人間の豊かさといいものは人に評価されるものではなく、自分自身がいかに満たされているかを感じることである。子供には反骨精神を手放しいかに自分らしさを取り戻すことを教え諭し気づかせることができるかが教育だと考える。現代の子供達の中にもグリーグのように反骨精神を持つ思春期の子供は多いだろう。しかしグリーグのような秀でた才能を持つ子供ばかりでなはい。だからこそ反骨精神だけが研ぎ澄まされ角が立つような時間を子供には送らせるべきではない。そのことを大人は十分理解し対応しなければならないのだ。

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