偉人『松本零士』

今週は4月20日の提案絵本『おやすみなさい』に始まり、4月21日月曜の提案『睡眠への誘い』という流れで睡眠に関わる記事を配信してきた。ということで幼い頃の私が寝る前に勝手に想像の旅に出る手段として活用していたアニメの『銀河鐵道999』の原作者である松本零士氏を取り上げる。

1938年1月25日福岡県久留米市で誕生する。父強は大日本帝国陸軍に入隊し陸軍航空隊のパイロットとして戦時下を経験し、生涯戦争の愚かさと平和の尊さについて語り爆弾投下や部隊唯一の生き残りとして罪悪感に苛まれていたそうである。父は爆弾投下について「あいつも死ねば悲しむ家族や子供がいると一瞬ボタンが押せないが鬼になって撃墜した」と心境を子供や家族に語った。そんな父の下に見知らぬ女性が訪ねて来た。「なんで息子を連れて帰ってくださらなかったのですか」と戦死した部下の母に責められ父は頭を下げるしかなかった。父のその姿を幼い松本零士氏は目にし後に父強の所属部隊で助かったのが父だけだったという事実を知った。

当時陸軍パイロットの多くが自衛隊パイロットとして復職をする中、父強だけは幾度もの誘いを受けるも「自分は空を二度と飛ばない」と断り続けたという。そして野菜や炭売りをしてリヤカーを引く極貧生活に身を投じた。ある日父の引くリヤカーが邪魔だというアメリカ兵に対して父はただ黙って道を譲ったが、松本零士氏はそのことが我慢ならず「覚えていろ、いつか絶対やっつけてやる」と言うと父は「馬鹿者、そんなことを言っているから愚かな戦争を繰り返すんだ」と息子を叱ったという。

この文章を読んだだけで父強が生き残ってしまったという重荷を背負っていたことや生き残った者の責任としてどのような感情や行動が戦争へと向かわせるのかを深く理解していたことが分かる。私がこれまで触れてきた戦争当時者は貝のように口を閉じ戦争について語ることが少ない話を知っているが、父強は息子を諌め子供らに戦争の愚かさを口癖のように語り伝えていたという。生き残った者がせめてできることとは何かを考えた責任感のある人物であり、冷静に物事を判断できる人物であったと言える。戦争とは一人の人間が容易に加害者にも被害者もなり得る惨たらしい人類の黒歴史である。果たして自分自身がその戦争に加担したことを包み隠さず我が子や家族に積極的に言えるだろうか。人間とは弱いもので私なら後悔の念に苛まれてやはり貝のように押し黙りそのことに触れられると逃げ出すに違いない。しかし父強は正面を切って子供達や家族に自分自身の過ちを曝け出し、これからの時代のあり方や人間の命の重みを解いていたのである。だからこそ松本零士氏は父強の意志を引き継ぐ形で漫画活動のみならず多くの場面で命の重要性を事あるごとに語ったのであろう。

松本零士氏の作品のテーマの多くが『永遠の命』であったことはやはり父強の教えが強い。また彼自身が記憶が残る小学校低学年から戦争体験をしていたこともあるだろうが、父強の語る罪悪感や後悔、逃れられない苦しみの上に語られていた戦争の惨さや平和や命の尊さが大きく影響していると考えて良いだろう。だからこそ「人は死ぬために生まれてくるのではなく、生きるために生まれてくるのだ」と語り漫画のストーリに反映し続けたのである。私が心惹かれた『銀河鐵道999』も登場人物の星野鉄郎が機械の体をタダでもらえる星に行きたいと願い、謎の美女メーテルと様々な星を旅する中で人々の生き様死に様を目の当たりにするうちに永遠の命を約束された機械の体を得るよりも、今の生身の命がどれだけ尊いものであるかを理解する内容となっている。何ものにも変え難い尊い命の重要性を後世に伝えるべきテーマとして描いているからこそ心に響いてきたような気もする一方で、沖縄県という場所柄子供の頃から地上戦で多くの命や文化、自然、人々の変凡な日常を失う怖さを語り継いできた教育を受けていたからこそ、この作品に多くのことを自分自身のことのように投影し思考できていたと考える。沖縄戦の教育方法については異論もあるが、戦争というものが何を引き起こすのかを想像させる教育は人間が最も大事にすべき想像することを引き出す教育であるとも考える。想像力はこのような場合最大の思いやりの上に物事を思考することができるものである。想像すれば争いなど起きないのであるが、その想像の欠如というものが残念ながら平和のこの時代でも大きく欠如する詐欺や窃盗事件事故が起きている。

しかしそんな犯罪絡みのことでなくても相手を責め立てることが至る所で見受けられる現代である。いかに想像する力が劇的に低下しているのかがよくわかる残念な時代になってしまった。私の知り合いにも相手の過剰な批判で心療内科へ通った知人がいる。よくよく話を聞いてみると両者どこかで折り合いが容易につけられるような内容なのだが、一方的に被害者だと思う相手が攻撃を繰り出し坂道を転がり落ちるように状態を悪化させた。そうなると話し合いで決着がつくようなものではない。つまり『お互い様』というような感覚が全く無く、互いが学び合う機会を一方的に放棄しているのだ。一昔前の『人の振り見て我が振り直せの精神』はどこへやら、『目には目を歯には歯をの精神』がまかり通って生きづらい世の中になっているのである。このような考え方では憎しみや対立しか生まれない。被害を被ったときこそなぜ相手はそのような行動に出たのかを考え、自分自身が深い思考に身を置くべきときではないだろうか。そしてそのような考えに立ち入った者にしか与えられない思考の深さ、理性の磨き、相手を許す心、倫理観や道徳心に磨きをかけられるのだと考える。

我が父が困った時にこそ窮鼠猫を噛むようなことを人には強制せず求めず、首を垂れるべきで日本には負けの美学というものがありその美学をお互いが磨くことで人間関係が潤滑に回ると話していた事が脳裏を過ぎる。そのような域に達することができる親であれば必ず清らかさを我が子にも受け流すことができると考える。

実際我が家に起きたことを記しておこう。我が子が中学生の頃、成績がどうしても我が子に勝てないと考えたクラスメートが我が子のノートや教科書、提出物を隠してしまったということがあった。担任教師からスクールカウンセラーが入り相手の親御さんが謝罪をしたいとの申し出があったという連絡を受けた。実際に我が家では子供自身が紛失が続いていることを嘆いていたため親子でそのことが共有できており「やはりそうだったか」と合点がいったのであるが、我が父の言葉を直に聞いていた孫はすぐさま「学校で直に謝ってくれたし、クラスメートの気持ちも少しわかるところがある。でも自分が許したんだから親が出てくることは不要」とあっけらかんとしていた。ということで相手の親御さんとお子さんが向き合うということを条件に我が家への謝罪をお断りした経緯がある。もし私や孫が父から相手を責めずお互い様という精神を学んでいなければ大事にして批判し、困った子供だ親の顔を一度は見ておこうとしていた可能性だってあったかも知れぬ。しかし私や我が子がそう考えなかったのはしっかりとした教えを残してくれた父がいたからである。松本零士氏もまた父強の考え方で後世に残すべきこととして命の尊さを作品を通して残したのである。

このことでわかることは親が子供に伝えることがいかに子供の心に刻まれ、ものの考え方や受け取り方に大きく影響するかということである。親の伝え方一つで子供を大きく成長させることもできるし、消極的やマイナス的成長にベクトルを向かわせるのこともできる。親が大きな視点で物事を捉え俯瞰することにより人としての美学を我が子供に身につけさせるチャンスが生まれるのではないだろうか。ピンチな時にこそ第三者的俯瞰で物事を捉えることが親には必要なことなのかも知れない。『お互い様』ということを親は心に刻んでおきたいものである。

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