偉人『ランドルフ・コールデコット』
今週月曜日に取り上げた絵本『その絵ときたら!』(記事はこちら)の主人公であるランドルフ・コールデコットは、19世紀半までの絵本が文字中心だったのに対して、絵と文章を一体化させて物語を生き生きと描写する手法を確立した絵本の革新者である。私の思い出の一冊であるランドルフの『ハートのクイン』は小さな子供でも楽しむことができ、登場人物のハートのクインが作るタルトに憧れ母に作って欲しいとせがんだ懐かしい絵本である。日本の絵本ともアメリカのキャラクターのインパクトが強い絵本とも異なる繊細なタッチにの中に見え隠れする愛らしさとユニークさそして躍動感がある今でも大好きな絵本作家である。今回はランドルフ・コールデコットがなぜ絵本の世界を大きく変えることができたのかを彼の育ちから考え、この夏親子で大きく成長できる提案もしていく。
1846年3月22日イングランドのチェスター近郊で父ジョン・コールデコットと母メアリー・ディナ・ブルックスの第三子として誕生。父は勘定士で現代でいうところの会計士として働き、ランドルフ家は中流家庭の安定した暮らしを営み教育に理解ある家庭であった。ランドルフは12人兄弟で育ち、兄弟はチェスター王立学校に通い兄から弟たちへと歴代ヘットボーイ(生徒会長)を務め、責任感とリーダーシップとは何かを兄弟間で学ぶことができた意識の高い家庭環境であった。特に弟のアルフレッド・コールデコットは哲学者、聖職者として活躍しただけではなくケンブリッジで教鞭をとり学術研究に身を捧げた人物でもある。つまりランドルフの育った家庭環境というものは責任感やリーダシップに対しては高い意識を持つで家柄であったと言える。
ランドルフ・コールデコットは子供の頃の高熱が原因で心臓が弱くなり病弱な子供時代を過ごすが、木彫りで動物を掘りスケッチを楽しんだり、体調の良い日は自然の中で過ごすことが好きだった。『好きは物の上手の元』で絵を描くことと自然が大好きな少年は動物や人々をスケッチすることが日に日に上達し観察力を研ぎ澄ましていったのである。教科書や練習帳の余白には踊る動物や自然風景などがびっしりと描かれ、健康のために温暖な地方へ移住した場所や旅先でも外で見たものを家に帰り思い出しながら描くことが多い少年期を送る。どんな時にでもペンを走らせて絵を描いている息子の様子が気になり将来を案じる父は、15歳のランドルフに銀行家になるよう命じ、ランドルフは若くして銀行家になるためウィチューチに移り住んだ。しかし彼が移り住んだ下宿先のイェオマン家は農家でアヒルやガチョウ、馬に羊、犬、雌鶏などのスケッチの対象となる家畜も多く、また農村風景に加え農民の働く姿や人々の仕草に注目し心ゆくまでスケッチを楽しむ環境にあった。父の監視下に置かれず自由に描きたいだけ描けるものがあり、日々の生活の中で絵画教室や美術学校に通う以上の刺激があったのである。彼の後の独創的な視線で描かれた作品のベースはこの下宿時代に培われたのである。つまり『道は好むところによって安し』だったのである。
病弱な幼い頃も、銀行家として下宿していたウィットチャーチ時代、マンチェスター時代のいずれもスケッチブックとペンを片時も離さず、友人たちとの狐狩りの時であってもスケッチ道具を携えその場でスケッチをし続けたと言われている。この行く先々で彼が目にした動物や人々の動きを捉えるスケッチが彼を挿絵画家と導き、後に絵本作家の大成へと導くことになった。後付けのような言い方になるが父ジョージが息子のランドルフを絵画の世界から遠ざける思惑は大きく外れ、結局は絵を存分に描くことができる環境が整い、絵本の世界に導かれるような環境がいくつも準備されていたように思う。偶然は一切なく必然だったと言わざる得ない。
1861年15歳で銀行勤めを始めた直後、チェスターのホテル火災の迫力に燃え盛る炎をスケッチしその絵が『Illustrated London News』に掲載され、ランドルフは自らの技量に自信を持ちこれで食べていけるかもしれないと確信した。彼の作品はその後も有名な雑誌に掲載されランドルフはロンドンに行き自身の力を試そうと決意したのである。しかしロンドンに来てみると自分以上の実力を持つ芸術家が大勢いることに心が折れた。しかし彼は強かった。
彼の立ち上がりが早かったのはその精神の強さにある。その強い精神は12人兄弟の大所帯で兄弟が歴代のヘッドボーイ(生徒会長)を務め、競い合い、励まし合いそして共感する中で責任感と協調性を学んでいたことにある。到底敵わない秀でた芸術家の存在を認めつつも自分自身を卑下することなく、自分の立ち位置を確認し自分にしかできないこと、新しくできることを考える強さを生み出していたのだ。天才芸術家たちが描く美しい風景や人物画を描くのではなく、彼らが描かない人々のユニークな動作やコミカルな表情を描くことを決め旅行雑誌の挿絵や部屋に飾る小さな絵を描く道へと進んだ。
今回ランドルフ・コールデコットから学ぶことはずばり『勤勉さと責任感の習得』だ。兄から弟へと受け継がれた学業の勤勉さとリーダーシップを発揮して己の責任を果たすという責任感が身についたランドルフは、銀行勤務時代には仕事をきちんとこなし創作活動も怠らなかった。そして絵本の道一本に絞り仕事をしてからは非常に紳士的で完璧主義的な面があり、自らの絵がどのように印刷され製本されているのか細かく関わり手抜きを許さない職人のような責任感があったようだ。だからこそ現代に通ずる近代絵本を確立できたのである。
19世紀後半に活躍したイギリスの絵本作家ランドルフは現代の絵本の基礎を築き、絵を見ていると物語が見えてきたり、物語の内容を耳にすると絵が想像を手助けしてくれる。誰もが想像もしなかった挿絵と物語の融合で画期的な絵本の世界を切り拓いた功績が、彼の名前を冠にした『コールデコット賞』に引き継がれ、その功績の軌跡を辿るように現代の絵本作家たちがその賞を目指しているのだ。彼の勤勉さと責任感が子供たちに絵本の世界の扉を開け想像の翼を広げることができる形にした。これからを担う子供にこの勤勉さと責任感を授けることができれば、子供は自ずと自立と自身を活かす人生を送ることができるだろう。
ではどのようにして勤勉さと責任感を持たせるのかを考えてみよう。
今も昔もご家庭のカラーは多種多様であるが大きく分けて過保護、過干渉、放任、そして子供の自立を視野に入れた過保護と放任の両方の長所を取り入れた絶妙な育て方がある。私はこの過保護と放任の長所を取り入れた絶妙なバランスの良い子育て方がランドルフや弟のアルフレッドのような構成に名を残す勤勉さと責任感を獲得させるであろうと確信をしている。つまり親として子供をしっかりと愛する一方で、子供が生き生きと活躍できる環境も整える。そしてその環境の中には強制と自由のバランスの良さを意識した修正を常に実行することが鍵であると考えている。そのような育て方の指針はどこにあり、その指針をどのように親が持つかで子育ては大きく左右されるのだ。
ではどのように指針を持つか・・・それはデーターであると考える。
ではそのデーターはどこにあるのか。その答えは先人の生きてきた人生にあり、多くのヒントが偉人に隠されていると考えている。偉人の記事を難しいと感じておられる親御さんもおられるようであるが、偉人の人生の軌跡を辿るとそこかしこに子育てのヒントが山のようにある。親は子供に学べと尻を叩くのに親が学ばず何となく子育てをしているのは何と矛盾していることであろうか。親の学ぶべきことは学習を教えることだけでもなく、躾をどのように行うのかを学ぶことだけでもなければ、質の良いおもちゃや絵本を与え旅行などの経験を与え、勝ち抜くための情報を集めるものだけでもない。これらは必ず直面することであ裏必要なことではあるが、子供の人間性を考えるに必ず必要になるのが偉人の失敗や成功から学ぶことであると確信をしている。誰もが羨ましがる人生とは親の深いところでの意識改革によってもたらせるものであり、目の前の宝に手をださないことはみすみす宝を手に入れずすごすごと引き返しているものである。もし目の前に何億ものお金が置かれ「ご自由にどうぞ」と立て札があれば一銭も手にせず引き返すだろうか。欲深い人であれば根こそぎ持っていくであろう。しかし欲というものは金銭などの目に見えるものにばかりに手を出していては人間の豊かさは得られない。却って浅ましい損得でものを考えるだけの人物になってしまう。本当の人間の豊かさとは生き方にあるのだ。偉人の伝記は誰もが手にできる平等なチャンスである。
この夏お子さんと共にあまりある時間を偉人伝を読むことに使い、子供と共に感想や互いの意見を述べ合う時間を設けてみてはどうであろうか。偉人伝は難しいつまらないと思うのであれば子供向けの偉人伝の読み聞かせを行う道もある。動かなければ何も手に入らない、動いたものにしか得られないのが人の豊かさというものである。
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