偉人『アンディ・ウォーホール』
アンディ・ウォーホールは、アメリカのポップアートを代表する画家であり、20世紀の現代美術に多大な影響を与えた人物である。彼の代表作はやはりあのマリリン・モンローを思い浮かべる人が多いだろう。しかし私の場合はキャンベルスープ缶のイメージなのだ。作品を目にする度にトマトだチキンだ。思い入れのあるマシュルームではないのか?ビーフもあるのかと釘付けになった物である。一通りの種類を見た後に「おっ、缶の蓋が空いている作品もあるのか」と新鮮さすら感じたものである。つまり日常のありふれた缶詰がお洒落に切り取られることでアートになることに衝撃を受け、自分でもできるのではないかと変な錯覚にとらわれたものである。
アンディ・ウォーホールを知れば知るほど「すごい!」と感じることは、キャンベルスープ缶やコカ・コーラのような日常生活に埋もれ誰もが知っているものがお洒落な芸術作品になり、また1つの作品がシルクスクリーンの印刷技術で大量生産されるという芸術の大転換を迎えさせたことである。これまでのオリジナル作品こそが芸術という考え方を根底からひっくり返し、ポップなアメリカの芸術が生活の中に流れ込んでくるお洒落さを味わえたことである。しかし今ではポスターというような商業的世界観がいつの間にか芸術として扱われる域に貢献させた人物なのだ。芸術はこうでなくてはならないという考え方を打破した彼の生い立ちもまた興味が湧く。ということで彼の育ちや家庭環境、両親との関係を紐解いてみよう。
アンディ・ウォーホールは1928年8月6日 アメリカ ペンシルベニア州ピッツバーグでチェコスロバキア(現在のスロバキア)からの移民の父アンドレイ・ウォーホラと母ユリア・ウォーホラのもとに三男として誕生する。父アンドレイは家族を養うため炭坑夫や建設労働者として働きながらアンディの芸術的才能を認めていたため彼の大学進学の貯金をしていた。しかしアンディ13歳の頃に事故で死去した。父の死去にアンディは心理的ダメージを受けるも母の理解とサポートによりピッツバーグのカーネギー工科大学でグラフィックデザインを学んだ。実は母のユリア自身も装飾的なカリグラフィーやイラストを描いており、一部はアンディの作品にも使用されたことからアンディの芸術的才能は母から受け継いだものなのだろう。
大学卒業後はニューヨークへ移り住み広告のイラストレーターとして働き、その後に独自のポップアートスタイルを確立する。芸術家の中には幼い頃病を患い絵を描くことに時間を費やした者は少なくなくアンディもまた然りである。子供の頃にリウマチ熱にか罹患し長期間入院していた経験や10歳になるまでに3度の神経系疾患を患い顔や手足に麻痺が残る経験をし、その後体の色素を失ったのである。アンディの子供時代は父を亡くしたこともあり引きこもり生活に入り、家で過ごす時間の多くを塗り絵や絵を描きアートに興味を持つようになったといわれている。その時に目にした漫画や広告、映画からの影響も大きく受けたとされている。
しかし彼にとっての芸術は崇高で幻想的なものではなく職業であった。アンディ・ウォーホルが商業的アートを行った理由は、単なる収入源という以上に現代社会や大量生産・大量消費に対する鋭い観察と批評があり、人々が毎日見るもの、みんなが同じように買って使っているものが現代社会のリアルで、本当に価値のあるものとは何かを追求してのことだった。
またそれまでの美術界では、「アート=高尚で特別なもの」で「商業=俗的でアートとは別物」という考え方が主流という考えに対して、「商業もアートの一部だ」と公言し、自ら広告・デザイン・イラストの商業と芸術の境界を壊しにかかったのである。商業的なものを肯定している一方で同じ商品を何度も並べ消費社会の空虚さに疑問も感じていたのである。またセレブの顔を繰り返し印刷し名声や偶像崇拝への風刺など批判的なことをしていることもまたアンディらしい。
なぜアンディ・ウォーホールが芸術と商業の壁を壊し、日常にありふれたものをアートとして確立したのかを考えてみよう。彼はチャコスロバキアの移民の子供で訛りの強い英語を使用するある種独特な家庭で育ち、毎日教会に通う敬虔な信者であり物事の真髄を内向きで考える癖が彼を客観視する方向へ向かわせたのだろう。また友達ができないことを悩み親友を作ろうとするもできず、友達はできるも自分の発言で周りの嘲笑を受け傷つき、もう友達はいらないと思うと人々が近寄ってきて聞きたくない話をする。人と関わりたいと思った時には人と交わることができず、もう人と関わるのはごめんだと思うと人が寄ってくる。「欲しがらなくなった時に手に入る・・人生とはそのようなことなのか」と語った。彼は自分自身の行動の中に哲学を求め答えを出した人生であ理、その哲学や思いを表現として作品に向けるのではな買ったと言えるだろう。だからこそポップな作品となり誰もが手にとえるものになったのではないだろうか。晩年は派手な生活をしているように見えていたが、アンディ・ウォーホールは人生における価値とは何かを常に考えていたように思う。多くの芸術家が悶々とした思いを作品にぶつける中で彼がポップで大衆受けする日常を切り取った作品は、家族との強い絆と移民家庭での苦労と信仰、何より彼を肯定してくれる家族特に母との関係性が彼の作品の根底を作ったと言っても良いだろう。物事の真髄とはなんぞやと考える一面もあるが、それも世の中の潮流で受け入れるべきものなのだろうと悟っていたように考える。つまりアンディの丸ごと全てをありのまま受け入れる家族、母の存在が今までの芸術家とは異なる商業的芸術のアンディ・ウォーホールを作ったのだろう。
アンディ・ウォーホールの性格はかなり独特で複雑だと言われ、あまり感情を表に出さず、クールで無表情な姿が多くミステリアスな雰囲気があった。非常に計算高く戦略的にコントロールしていていた。芸術だけでなく、自分自身を「有名なアーティスト」という商品に仕立て上げるのが上手かった。複雑な感情を持つ彼ではあったが、彼自身はもともと人と話したり遊んだりするのが好きでありつつもブラックユーモアも交えながら世の中を風刺すした。表面的にはクールで無機質に見えるが内面は繊細で人間味のある多面的な人間であったと考えている。自分自身の複雑な面を感じながら作品にはシンプルさを求めたのではないだろうかとさえ考えてしまう。
アンディ・ウォーホールの特質したものはアートの意味と価値そのものを問い直し、現代社会の本質を先取りして表現したことではないだろうか。彼がそうなるべくしてなったのはやはり家族、特に母の存在が大きいと言えるだろう。「アンディ、お前の思うように感じたままに表現すればそれでいい。アートの形なんてあってないようなものだから、商業的でいいじゃないの。私はいつでもお前の味方だよ。」このような母息子の関係性は非常に簡単そうに見えて難しい。私もそのような関係性を子供と持ったらどうだろうかと諭された気分になった。息子の成功を望むのなら母は子供の全てをまず受け入れることが本当の意味での母なのだろう。
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