偉人『トゥールーズ=ロートレック』
今回は月曜の提案記事『SDGs10項目 人や国の不平等をなくそう No.6』(記事はこちら)を受けて、愛情を注いでくれるはずの父親に障害を持っているがゆえ距離を置かれたフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックを取り上げる。彼の作品は上流階級が軽蔑すべきとしていた歓楽街の様子やそこで生きる人々を描いていたことを頭の片隅に置いてこの記事を読んでもらいたい。
ロートレックの話を進める前に『SDGs10項目 人や国の不平等をなくそう』について記しておく。この項目は経済的理由や年齢、性別、障害、人種などによる社会・経済・政治的な機会の不平等をなくし、特定のグループを差別するような法律や慣習をなくすことを世界的目標として目指す内容は、現代の大人だけが真剣に向き合う内容ではなく、これからの時代を担う子供達も学ばなければならないものである。
しかしながら今も昔も色々な場面で不平等が存在し、人間は無意識に自分自身がどこの位置に属し、優位に立っているかを推しはかりながら生きている。純粋に人間性だけを見て人と付き合う人は少ない。例えばスペインの彫刻家ガウディは路面電車に轢かれ見窄らしい格好をしていたから適切な治療がされず命を落とした。アメリカのテレビ番組では企業の社長がホームレスに扮装し社員の対応をチェックする番組もある。またある特定の集団に属するだけで特定の性格や資質とみなされるジェンダーは、固定的な思い込みで人を判断することに問題提起がなされている。他者への不理解や誤った固定概念が偏見を生み、差別を作り出していると言える。
この偏見や差別が赤の他人から受けているのであれば完全に関わりを断絶することや距離を取ることことで心の平安は保てるであろうが、これが親子や兄弟親族間ならダイレクト偏見や差別を受け心を痛め精神を病むことになる。その環境に置かれたのがアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックである。父から貴族の跡取り不適合という烙印を押された息子ロートレックがどのような精神を育んでいったのかを考えてみる。
1864年11月24日 は南フランスのアルビで生まれた。トゥールーズ=ロートレック家は由緒正しい伯爵家であり、両親がいとこ同士という近親婚から生まれ遺伝的な骨の病気(ピクノジストオーシスを患っていた。幼少期には「小さな宝石」と周りから呼ばれ大変可愛がられて育ったが弟が夭折すると両親が不仲となり、8歳で母親と共にパリに住むようになり絵を描き始めた。すぐに母親は彼の才能を見出し父親の友人の画家からレッスンを受けるようになった。しかし13歳で左の大腿骨、14歳に右の大腿骨をそれぞれ骨折し脚の発育が停止し、成人後は慎重152cmで上半身は普通の大人、下半身は子どものような体型となった。
父アルフォンス・ド・トゥールーズ=ロートレック伯爵は典型的なフランス貴族として狩猟や馬術、剣術、鷹狩りを愛する伝統的で保守的な人物であったが、息子に対して「貴族的な生き方」や「伝統的男性性」を重視し貴族的男性的理想像を息子に求めていた。しかしロートレック自身は身体が小柄で足が不自由で歩行困難があり、父が理想とする「狩りに出る男」にはなれず、病気でアルビに戻った後は父親に活動を制限され、疎まれるようになり孤独な青春時代を送った。この身体的ハンディキャップが父との間に距離を生み出した。父が好み望んだ狩猟や乗馬などの活動に参加できず、父の理想から大きく外れた息子となってしまったことを理解していたロートレックもまたその溝を埋めようとはしなかった。いやできなかったと言ったという表現が適切であろう。
父子関係のすれ違いはますます大きくなり、父アルフォンスは息子の身体的な障害を受け入れらないばかりか、術の道に進もうとするとことにさえも理解を示さなかったと伝えられている。一方で母アデールは息子を深く愛し、経済的にも精神的にも支え続け「母との強い絆」に対して「父との疎遠さ」が際立っている。
父の生き方や価値観への反発としてロートレックは貴族的な秩序や伝統、上流社会の価値観から離れ、社会の周縁に生きる人々を題材にした。例えば彼の代表作である『ムーラン・ルージュにて』は、上流社会が軽蔑すべきと見なしていた歓楽街の現実を温かくある種の尊厳をもって描いる。キャバレーや娼館、踊り子や芸人たちを描いたのは明らかに父の世界とは対極にあり、社会から排除された人々への共感と同時に自分自身の孤独の投影であり、また父の価値観から自由になりたいという自己確立を目指していたのかもしれないが、より深い心理的葛藤があったと考えている。父から跡取りとして不適格と烙印を押され、疎まれ、距離を置かれていてもロートレックは父を全面的に否定していたわけではなく、むしろ「愛されたかった」「理解されたかった」という複雑な感情があったのではないだろうか。
父アルフォンスは息子がただでさえも障害を持っていることに理解できずにいたが、「芸術家などという卑しい職業」を志すことに激しく反対した。とりわけムーラン・ルージュや娼婦を題材にした作品を描くようになると、完全に断絶に近い状態になる。しかし父の世界(貴族・伝統・力)とは正反対のモンマルトルの夜の世界を描いて僕自身は生きていくという表明をし続け作品を生み出していった。
父にとって息子ロートレックは御体満足であれば親子として良好な関係を持ち、貴族という称号を守り継いでいたであろうが、障害者への偏見が色濃く残る貴族社会ではたとえ親子であったとしても障害者は表に出ることのできない影の存在であった。そこへ息子の才能と父の思いは価値観の不一致を生じさせ疎遠と断絶を生み出した。ロートレックは芸術を通じて独自の世界を築き父に理解されず、結果精神的な断絶と孤立を招いてしまった。しかしその孤独が彼の独創的な芸術を育んだとも言える。誰しも親から愛情を受けて育ちたいと思うものであり、まさか親から障害を理由に自らのアイデンティティを傷つけられるとはロートレックは想像もしなかったであろう。そして相当の精神的苦痛を与え、親に対しての反発が生じ、場合によっては憎しみ恨みを育てる可能性がある。
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