偉人『エグランタイン・ジェブ』
『セーブ・ザ・チルドレン(Save the Children)』この名に聞き覚えはあるだろうか。1919年に英国で設立された国際NGOであり、子どもの権利を守り、すべての子どもが健やかに生き、学び、成長できるように支援し、現在は世界100か国以上で活動している団体である。その活動は緊急人道支援(災害・紛争時の支援)、保健・医療支援、教育支援、子どもの保護、貧困対策・生計向上支援、アドボカシー(政策提言)などと子どもの権利を守るために現場での支援と政策提言の両方を行っている。
今週月曜日の提案記事『子供の権利』(記事はこちら)について記したため、今回取り上げる偉人は子供の権利についていち早く声を上げた『セーブ・ザ・チルドレンの設立者エグランタイン・ジェブである。今回は彼女がなぜその道に進むことになったのかその最大の理由を家庭環境に照らして読み解いていく。
知らない人も多いと思うがエグランタイン・ジェブは「国際的な子どもの権利運動の生みの親」と呼ばれるイギリスの社会改革家である。1876年8月25日は、イギリス シュロップシャー・エルスミア州の裕福な地主の家庭に生まれ、同等の裕福な家柄とは大きく異なった社会的意識が大変高い家柄でエグランタインは育った。農園の地主である父アーサー・トレヴァー・ジェブは地元の名士で社会奉仕にも関心を持つ人物であり、母エグランタイン・ルイーズ・ジェブもまた社会活動に熱心で、特に教育や慈善事業に強い関心を持っていた人物である。(ちなみにエグランタインは母と同じ名前が付けられている。)両親は慈善意識が大変高く、子どもたちにも「社会のために働くべき」という考えを強く伝え育てている。ジェブ家には6人の子どもがおり、それぞれに高い教育が施されている。エグランタイン・ジェッブも最初は家庭教師が雇われ、その後オックスフォード大学・レディ・マーガレット・ホールに入学し歴史学を専攻。当時、女性が高等教育を受けること自体がまだ珍しい時代でに、両親の進歩的な考え方と姿勢によりジェブ家の兄弟はもとより姉妹もかなり意識の高い高等教育を受けているのである。
エグランタイン・ジェブは、裕福で教養があり慈善精神の高い両親の元に生まれたことが、後に彼女が「子どもの権利の国際的運動を創始する」という大きな使命を担う原動力になったといえる。そのエグランタインの人道思想の基礎を作ったのは母ルイーズである。
では母ルイーズの子供に対する育て方、考え方、社会的思想を紐解いてみよう。
母ルイーズは絵画や文学に関心が深く、知的で芸術的素養のある女性で家庭内でも知的な会話や芸術活動を重視していた。また強い社会的良心があり、地元の貧困層や農村の人々の生活改善に関心を持ち慈善活動や地域支援に積極的であった。かご作り、木工、木彫りなどを教える家庭芸術工業協会という生活助成を行う団体を立ち上げるボランティア活動を行なったのである。
また6人の子どもの教育を非常に重視し、特に4人の娘たちには当時としては珍しく自立心や「恵まれない人々に対する責任感」を意識した社会問題への関心を育てる教育を行っている。つまり家庭を通じた社会教育の実践者であり、周りからは「考える家庭」として知られ、貧困・政治・倫理といったテーマが日常的に話し合われていたと言われている。エグランタイン姉妹は母の影響を受けて社会問題への関心を深めたとされているが、父アーサーも地主でありながら弁護士の資格を持ち地域の人々の相談にのる活動を行っている。
そしてエグランタインにとりもう二人忘れてはならない人物がいる。その一人目が父の妹である叔母である。彼女は髪を短く切り男装をし当時としては変わった自立した女性であった。この叔母から学んだのが「人と違うことを恐れない強さ」を持つことであった。また父アーサーの死後にオックスフォード大学の学費を援助したのもこの叔母で、知識は力になり人生を助けると伝え大学で学ぶようと言い、両親と同様叔母もまた社会意識を高めるように彼女にに伝えたのである。そして最後の一人が弟のガムルである。彼女を奮起させたのは16歳の弟ガルムの死であった。彼女は弟の死を受け、人は最も簡単に命が終わり、自分自身がどんなに知識を身につけても人のため社会のために役に立つような活動をしなければ意味がないとし、自分自身に何ができるのかを問い深い内省を行うようになったのである。そこでエグランタインは行動を起こした。
ここで時代背景を考えておこう。当時のイギリスは完全なる階級社会で国王を頂点として、王族・貴族や地主の上流階級、官僚・実業家・聖職者・芸術家などの中流階級、労働者・職人・農民などの下層階級に分けられており、下層階級の人々は生涯働き続けても生活がままならない状況にあった。その状況を変えようとして『セツルメント運動』を夫より引き継いでいたシャーロット・トインビー女史に指示したエグランタインは『自分のやるべきこと』としてセツルメント運動に衝撃を受けたのである。そこから彼女は子供の権利やその権利の獲得のために邁進するのである。彼女が大変恵まれた環境で育ちながらも社会の底辺にいる人々や子供達に目が向けられたのは、両親が子供達に思考させることをさせていたからである。ジェブ家では常にオープンエンドの問いかけが行われ、答えや結論が一つに決まっていないことを話し合うことが行われていたのである。このオープンエンドの手法を取り入れることは思考を育み、好奇心が芽生え、言語力が高まることがすでにエビデンスで証明されている。答えがないからこそじ自由度が高くどのような発言も言う機会が生まれ、決まりきっていない思考や正解がない答えを考え続けるからこ思考は永遠に続き、その力が行動力を生み出したのであろう。オープンエンドの手法は現代ではよく言われることであるが、19世紀の上流階級の裕福層の家庭で貧困に喘ぐ人々のために自ら行動をし、子供を導くことができたエグランタインの両親には頭が下がる思いであり、彼らの両親の教育というものにも興味がある。教育というものは親が考えている以上に子孫に受け継がれていくものであるが、是非色々なことに影響を及ぼす『思考力』を世代を超えて受け継いでほしいものである。
19世紀の上流階級の中で裕福で教養のあるの家庭に生まれたエグランタインは、両親のオープンエンドの手法により育てられた。その両親の教えが当時の社会規範を覆し、現代の子供達を守る活動を残せた人物である。
幼い頃から自然に囲まれた環境で育ち、良質な家庭教育と芸術・文学への親しみをもって成長した彼女の人生とその活動についてはまた別の機会に記事にすることとする。
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