偉人『ポンパドゥール夫人』
『一度ドアが開かれれば、どの方向にも進むことができる』
この言葉はフランス国王ルイ15世の公妾 ポンパドゥール夫人 が言ったとされる言葉である。この言葉を書籍で初めて見た高校時代には衝撃を覚えたがその言葉の意味を実感することはなかった。しかし半世紀を生きる今となってはこの言葉の持つ本当の意味を実感することができている。私のあらゆる働きかけに努力をしながらついてきた子供達は、確実に実力をつけ好奇心で物事に向き合い、尚且つ苦手なことにも挑戦することを嫌がらずに行い、進学選択を行う時には進みたい道を選びたい放題であった。つまりこの道に進みたいけれどこれも捨てがたい、ならば二足の草鞋を履ける方法はないかと考えるのである。中世ヨーロッパで床屋が医師になるのとは訳が違い、教え子の中には法も学びたいと大学進学し後に医学部に進学した子もいれば、薬学に進学し卒業後にさらに医学の道に進んでいる子もいる。つまりポンパドゥール夫人の言葉を実現しているのだ。自力で大きな扉を押し開け、ものすごい推進力で事を成し遂げていく。そして卒室してからも彼ら彼女らから届く報告を嬉しく頼もしくある。ドジャースの大谷選手の二刀流もすごいと思うのだが、それ以上に私は彼らの凄さを肌で感じている。そして今まさに自らのコンサートを開ける演奏家になりたいと歩みを進めている中学生、外交官になりたいと留学を決意した高校生、工学博士の夢を追い続けている大学院生と光る逸材たちが、自らの進むべき道の扉を開けて選択・決断を繰り返し切磋琢磨している。
だからこそ今通われている生徒さんには彼らのような自分らしさを大事にし、自らの進む道を決断できる人生を送ってほしいと願っている。そのためにはやはり彼らの親御さんがどのような後押しをしてきたのかを今回はポンパドゥール夫人の言葉と人生をもとに親として考えてみようではないか。
ポンパドゥール夫人は本名 ジャンヌ=アントワネット・ポワソンといい、1721年12月29日パリの裕福な商人階級の家に生まれた。しかし5歳の時に父が濡れ衣を着せられ国外逃亡し、ジャンヌと弟(兄という説もあり)母マドレーヌは家財までもが全てが差し押さえされ路頭に迷うことになる。しかしその窮地を救ったのが父の仕事関係の知人ル・ノルマン・ド・トゥルネムである。彼は徴税請負人でもあり東インド会社の理事も務める大富豪で、彼は二人の子供に貴族の子供らと同等の最高水準の教育を受けさせた。その教育はコメディ・フランセーズの俳優から朗読を、オペラ歌手から声楽をと当時の一リュの人を講師に迎え、他に文学・人文科学・演劇・絵画・彫刻・舞踏・社交界の礼儀作法などにまで及んだ。
これらの教育を受ける前に修道院で教育を受けていたジャンヌは、9歳の時にパリで名高い占い師ルボン夫人の元を訪れ「将来は国王の愛妾となる」と告げられていた。その話を聞いた母マドレーヌの方針でさまざまな教育を施された。現代だと誰が好き好んで我が子を愛妾にするのかと思うが、当時のヨーロッパでは単なる情事の対象ではなく、政治的にも社会的にも重要な役割をする人物であらゆることに精通していなければならず、貴族の娘たちはその地位を得るために教育を施されているのである。貴族の血筋を引く女性が愛妾になるのが一般的で、平民の娘が一国の王の愛妾になるなど到底考えられない時代にポンパドゥール夫人は公妾となったのである。
彼女が幼い頃に話を戻そう。母マドレーヌは裕福な家柄で育ち嫁ぎ娘を生んだが、予想だにしない夫の冤罪で経済的基盤を数日の間に失った。それでも子供を育てるために後見人の愛人となり、子供に最高水準の教育を受けさせたのである。今なら女性が働ける時代であるが当時のフランスではそう簡単に女性一人が子供二人を育てることはできない。だからこそ母マドレーヌは子供らと共に何不自由なく暮らせる選択をし、戦略的に知性と教養を備えた子供になるよう努力を惜しまなかったと言われている。
「一度ドアが開かれれば、どの方向にも進むことができる」という彼女の残した言葉は、母から受け継いだものであり、さらに彼女の人生を紐解いていくと母以上に戦略的な人生観を表している。実は公妾になる前にジャンヌは結婚し子供をもうけているが子供達が幼くして夭折し、その後悲しみを払拭するようにパリの社交界で頭角を表し、知的サロンに出掛けて当時の文化的エリートたちと交流し、また自らもサロンを開き啓蒙思想家や芸術家たちが集いここで洗練された会話術と社交的技巧を身につけたと言われている。そして1745年ヴェルサイユ宮殿の仮面舞踏会で国王ルイ15世の目に留まり、正式に「ポンパドゥール侯爵夫人」の称号を授与され公妾となった。兎にも角にも貪欲なまでの知的好奇心を持つジャンヌはその美貌だけを武器にしていた愛妾たちとは異なり、知性と教養に溢れ機知に飛んだ会話術で人を惹きつけてしまう術も身につけていたのである。知性と社交術によって国王の信頼を獲得し、王妃マリー・レクザンスカとも円満な関係を保ちながら宮廷の中心人物となったのは、単なる人の良さや美しさだけでもなく、策略だけで人を蹴落とすような人物でもなく、彼女自身が自らを磨き続けた努力によって得たもので、真摯に向き合ってきたからこそ王室の厳格な慣習を覆すための潜楽的発想とその実行力で彼女は宮廷での地位を確実なものにしていった。常に彼女が直面していたのは自らの出自である非貴族ということであり、その大きな変えられない壁を計算された戦略とコミュニケーション能力で乗り越えていったのである。常に努力し続けるということが有象無象の中の宮廷では容易なことではなかったはずである。しかし一度大きなドアを自力で開いた者は、のようなことが起きようとも前に進む強さがある。彼女の人生を軽く紐解いただけで子育てに活かすことができるヒントが隠されている。
ではどのようなことがあるのかを考えてみよう。
これからの時代を生き抜く子供たちに必要なことは何かを考えると、一つのことを極める人生もありだが、まだ何も決まっていないのであれば幅広い選択肢を考慮し、さまざまな経験や体験のみならず知識や教養も備えておくという戦略的方法を実践していくのも一つの手かと考える。ポンパドゥール夫人が発した言葉には、チャンスを掴めばその後の展開は自分次第でいくらでも広げられるという解釈ができる。この言葉を教育に当てはめるとするならば、何も考えずに子育てを行うのと、親がしっつかりと子供の行く末を見て考え子育てを行うのとでは大きな差が生まれるのは当然でる。
あるご父兄がこのような話をしてくれた。「私は決して経済的に恵まれた家庭環境ではなかったけれども、母はその出来うる限りの経済試算を行い私を育ててくれました。ただ友達が留学や有名な私立大学に進学することを羨ましく思うこともありましたが、国立大学に進学しアルバイトをして短期留学を自分自身の手で叶えました」と。つまり経済格差というものは子供の力ではどうにかできるものではなく、子供心に羨ましく持ったとしても親が必死になり働く姿や子供にできる限りの教育を施そうとする姿勢を見せていれば、子供は自分の力で道を切り開くことができる。そしてその潮流に乗り親となればさらに自分の子供にはしっかりとした教育をという意識になるのは当然である。この親御さんの場合自分自身の生活基盤に大きく直結したものにはならずとも、世代間での流れとして徐々に良い方向へと潮目が変わっている。私の見て絵きた裕福な家柄で経済益に恵まれていても子供の心にしっかりと届く教育をせず、流れを親が作ることができなければ衰退の一途を辿る家を私は見てきた。私のいうところの教育的戦略というものは、良い成績をとれ、人に勝つために学べ、人よりも良い職業に就けではなく、いかに自らの置かれた場所に感謝ができ、そして学ぶ機会を与えられていることに喜びを見出すのか、自分自身を尊びながらいかに人のためになることができるのかである。そのようなことが子供の心にしっかりと届ける戦略を施すということが親の役目だと考える。
はっきり申し上げておこう。子供の教育は親次第である。親の教育がどのような戦略を取るかによって、子供の可能性を広げもするし狭めもする。しかし 最初から完璧な戦略を立てることは難しい。とにかくどのような子供に育ってほしいのかを考えることが最重要である。そう考え行動しているうちに子育てとは何かがわかりだし、その中に 入ってしまえばあとは知性や努力で道をいかようにでも広げられる。
ポンパドゥール夫人の言葉を私の立場で解釈すると手前味噌ではあるが「最初のチャンスを逃すな。教室に入れたことを最大限に活かせ」「入口に入ることが一番難しい。だからこそ親は試行錯誤せよ。そして子供を励まし後押しせよ。」「子供がスタートできれば、キャリアは後から作ることができ結果は必ずついてくる」この言葉の核心は『最初の一歩がすべてを変える』『機会をつかんだ後は自分の力で道を広げよである。
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