偉人「平野威馬雄No.2」

平野威馬雄については娘レミの記事(こちら)から関連し、前回の記事(こちら)にて概括的に記事化した。私は平野威馬雄の研究者ではないが、彼の人生を通して私の職業が言わしめることは、彼の人となり、親として、一個人として、そして文化人としての価値観全てに於いてバランス感覚が秀でおり羨ましい限りである。

人間は一長一短癖のない人はいないが、偏見や差別に遭うと少なからず中庸とはならず偏りがちになるものであるが、彼は極端に偏らず、状況に応じて最も適切なバランスを保つ中庸である一面がありそうだが、自分自身の個性を失わずに社会と繋がることができたという意味でのバランス感覚が特に際立っていた人物だ。彼自身、困難な環境も日本社会の不条理も全て和して同ぜず、かといって苦虫を潰したような人物ではなく社交性が高く、ユーモアに溢れる人物であった。また親として子供を理解し、一個人としては困難に置かれている同じ立場の子供達をサポートし、また文化人としては異なる価値観や文化に偏らずに物事を結びつける姿勢に徹していた。今回はそのバランス感覚について見ていくことにする。

1、社交性の高さ

混血児としての苦労や差別体験を抱えながらも内向的に閉じこもるというより、人と積極的に関わる社交的な人物だ。予想できると思うがそれは父がフランス系アメリカ人で幼い頃から外国人の出入りがある国際的な家庭に育ったからで、異文化を受け入れ異なる価値観を自然に受け入れる姿勢を身につけたと考えられる。海外に住んだことがある人ならわかると思うが、異文化の中で生活するには「相手を知ろう」とする姿勢が欠かせない。彼は日本に住みながら国の違う人物たちを知ろう理解しようというこの経験が、人と分け隔てなく接する交流したことが社交性に繋がったと言えるだろう。そして彼の活動を調べると多くの文学者、美術家、音楽家と幅広く交流し、人と人を結びつけることが得意であったことがわかる。自分が前に出るだけでなく、他人を紹介したり、文化的な交流の場をつくったりする役割を果たしたことも彼の功績である。


2、ユーモアがある

平野威馬雄のユーモアは、単なる「お笑い」ではない。彼の育った環境がそうさせていることは明らかであるが、彼は決して「人をからかう笑いは求めず、その場の雰囲気を変えてしまう視点をずらす笑いを実行した。たとえばこのようなことである。ある人物が失敗をしたとしよう。その失敗を見て嘲ることもバカにするのではなく、「そういう見方もあるんだ、寧ろそのほうが面白いね」受け止め、笑いの矛先が人ではなく「見方」に向かうものである。その捉え方は彼の幼い頃からの影響がそうさせたのだろう。

また積極的に自分も笑いの中に入ったようである。自分の失敗談も面白く話し、偉そうにまとめず「自分もおかしな人間だ」と示したという。また怖い話すら面白い話にしてしまうことは有名な話である。彼はなんと「お化けを守る会」を起こした。怪談=怖いものではなく、それは想像力の遊びへと視点を変えたのである。そして彼の仕事に深く関係していると思われるのは、日本の落語や漫才に見られるようなオチでどっと笑わせるというものではなく、当たり前だと思っていたことを少し視点を変えたりひっくり返すことで気づかせるというフランス的なエスプリが融合したような笑いである。人を傷つける皮肉よりも、場を和ませたり、物事の見方を少しずらして楽しませたりするタイプのユーモアが特徴である。私が彼の大きな器に気付かされたのは「お化けを守る会」の設立の事実を知ってからである。「いないものだから無視する、信じない」のではなく、「いることにして楽しもう」という発想には、彼独特の知的で温かなユーモアが感じられるのである。


3、子どもは差別されず、自分らしく育つ権利がある

威馬雄は自らの出自やその後に受けた差別や偏見から子供は生まれや家庭環境ではなく、一人の人間として尊重されるべきで、一人ひとりがかけがえのない存在であると考えた。つまり出自や環境によって差別されるべきではないと考えていたのである。また第二次世界大戦後、日本では戦争を背景に生まれた子供達がひどい偏見や差別を受けていたことに大変心を痛めていたようである。つまり子供には何の責任もないにもかかわらず、そのような扱いを受けるのは不当だと考え支援活動に取り組み、全ての子供が安心して成長できる社会を目指さなければとの考えで、戦後彼は強い使命感から「レミの会」を設立し援助支援した。実の娘レミとのエピソードでも記した通り、自分らしさを重要視したことも彼の包容力である。


4、詩や芸術を通じて、自由な発想や創造性を大切にした

威馬雄が子供達に対して、詩や芸術を通じた自由な発想や創造性を大切にした理由には、彼の文学観や人生観から説明できる。フランス文学や芸術に親しんだ経験から文化や芸術は人の個性を育て、異なる考え方を認め合う力になると信じ、子供一人ひとりの個性や創造性を尊重することがよりよい社会に繋がると考えたのであろう。そのため、子どもが大人の考えをそのまま受け入れるのではなく、また大人の価値観を子供に押し付けるのでもなく、子供自身で考えや感じたことを表現することが、それぞれの個性や才能を伸ばしてほしいと考えていたのであろう。

また彼自身が文学への向き合い方は、文学を作品として閉じたものにせず、人間や社会とつながる生きた会話として扱った感がある。文学は書物の中だけのものではなく、人と人の会話や異文化の出会い、芸術家同士の刺激となり、彼にとって文学は交流の場であった。また彼の仕事の中にはフランス文学を紹介し翻訳する立場でもあったが、特に重視していたのは思想の重さよりエスプリ(機知)、理屈より言葉の遊び、権威より自由な発想でフランス文学の軽やかさを重視していたようである。もしかすると彼は文学を「難解な理論」ではなく、知的な遊びとして味わうユニークさを追求したのかもしれない。また単に原文を日本語に移すのではなく、日本語として読んで面白いか、その文化の空気が伝わるか、読者が内容を感じられるかをも重視し、文学の中の世界観や現実の人間関係、日常のユーモアを切り離さない考え方が見受けられる。

さてまとめに入ろう。

平野威馬雄は理想家でありながら現実とも折り合いをつけていた人物であり、芸術や文化への情熱は強かった一方で、翻訳、評論、イベント企画などにも幅広くこなし、文化活動を現実の社会の中で成立させようと努めた人物だる。一方で、バランス感覚があったからといって、常に穏健だったわけではなく、自分が面白いと思うことには強くこだわり、周囲からは「型にはまらない人」「かなり個性的な人」と見られることもあったようだが、芸術家らしい感性の強さも持ち合わせていた。つまり平野威馬雄の人間性を一言で表すなら、「極端な思想や価値観に偏らず、好奇心と寛容さを持ちながら、多様な人々と自然に付き合えた文化人」という評価が比較的よく当てはま流だろう。







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