偉人『織田信長』

今回は戦国時代の異端児

織田信長

彼の人となりは

気性が荒く冷酷で残忍

そんなイメージを抱く

人は多いかもしれません。

なぜそうなったのか

今週から数回の連載で

逸話から勝手に想像します。



信長は父信秀にとっては

3番目の男児

母が正室であったため

嫡男として育てられる

当時は乳児の死亡率が高く

母乳不足は跡取りの命に直結

大名家の存続が危ぶまれる為

乳母に育てられた。

すでにこの乳児期に

気性の荒さが

逸話として残っている


なんと乳母の乳を噛み切った

それゆえ

3歳までに何人もの乳母が

交代したといわれる。

実はそこには

授乳に関するホルモンが

関係している。


母乳を作出すプロラクチンと

作られたものを分泌する

オキシトシンがある。

別名愛情ホルモンの

オキシトシンが不足すると

攻撃的で

情緒不安になることが

現代の研究で分かっている

オキシトシンは授乳や

スキンシッツプを通して

母乳の出がよくなり

母は子を慈愛で育み

親子の絆を強めるのだが

この時代高貴な身分の女性は

自ら子育てをしなかった


嫡男の命を守る乳母制度が

信長と母土田御前を引き裂き

そのことを理解できない子は

本能的に

「この乳はわが母ではない」

「我が母は何処」

と訴えた行動であった。


もし

この乳を噛み切る行動が

母を求める行動だと

誰かが助言をしていたら

母は我が子を見限ることなく

歴史はちがったであろう。


次回は来週金曜

『尾張のおおうつけ』

になった原因を

信長の育ちから紐解いてゆく






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