偉人『ジャン・アンリ・ファーブル』
今回は昆虫の詩人
ジャン・アンリ・ファーブル
小学校の図書館
分厚いファーブル昆虫記が
何冊も並んでいたっけ。
フンコロガシ、ハチ、セミ・・・
比類なき観察者の
幼少期を考えてみる
産業革命が始まった頃
フランスの片田舎の
貧しい家に生まれ
大自然に囲まれ
虫や動物に触れ育った。
彼を語るに貧しき生活と
昆虫愛、そして教育を
抜きにすることはできない。
父は法律家、農夫、事業家
聞こえは良いが
何一つ成功せず
流転の一家として
14歳一人社会に放り出され
人生で最悪の時期を迎えた。
しかし彼を救ったのは
父が尽力し受けさせた教育
学ぼうとする意志。
識字率の低い時代
彼の父は読み書きができ
流転生活の中
息子に授業料免除の形で
その土地土地で
教育を受けさせてきた
この教育こそが
14歳の食うや食わずの
重労働生活から
師範学校入学へと
彼を奮い立たせた。
今で言うストリートチルドレン
そこから子供自身の力だけで
環境を変えるのは
容易ではない。
彼の人生は紆余曲折
辛苦を乗越えられた
支えがもう1つあった。
それは
祖父母に預けられた時の
祖母の温かな受入れ。
幼いファーブルはある日
「太陽の輝きを感じるのは
目なのか、口なのか」
分かったことを目を輝かせ
大人達の前で語った
この当たり前の結果を
一同馬鹿にし大笑いしたが
祖母だけが
彼の話に耳を傾けてくれ
受入れてくれたのである。
この祖母の行動が
その後の人生の
大きな支えになったと
彼自身が回顧している。
乳幼児教育者として
14歳で息子を放り出した
両親は薄情のように思うが
ファーブル自身が我が子を思い
記した文章を読むと
確りと親からの愛情を
受けていると感じる。
また祖父母との生活も
農業を手伝わせることもなく
高原での生活を
満喫していることから
当時としては
かなり寛容で温かな
祖父母や叔父たちだったに
ちがいない。
貧しさからの脱却は
できなかったものの
心を支え育てる環境は
恵まれていた。
そして何より
子供時代夢中になったことは
将来に繋がることが多い。
これは多くの偉人にも
私の周りにも言えることだ
昔取った杵柄
とでもいうものである。
子供に与える環境は
生涯を左右する
だからこそ
真の教育・躾を
重んじるべきである。
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