偉人『徳川家康第2弾』
前回に引き続き徳川家康
幼少期名を竹千代といい
織田家に2年
今川家に11年という
人質生活を余儀なくされた。
今川義元は
竹千代を扱いやすい
武将に育てる贅沢な扱いと
松平家家臣には苦汁を味わう
両極端の政策をとった。
竹千代の扱いは以下の通り
『海の幸、山の幸溢れる
贅沢な食事を
好きなだけ与える
睡眠時間は好きなだけとらせ
夏は暑さを冬は寒さを感じず
武術や学問を拒むのなら
それでよい
何でも好き勝手自由にさせろ
さすれば人は大抵堕落する』
残念ながら
義元の策通りにならず
彼は天下泰平の世を作った
武将を育てたのである。
人間は楽な方へ流れる。
幼子といえども同じである。
ではなぜ竹千代が
堕落へは進まず
260年続く江戸幕府を
開く人物に大成したのか。
それは
彼を岡崎城のプリンスとして
養育する後ろ盾母方の祖母
源応尼が居たからである。
竹千代の母の代わりとして
養育や学芸を確りと
導いてのである。
本来ならば母の愛を一心に
注いでもらえればいい
ただ母の存在がなくとも
同等の愛を注ぐ人がいて
その愛情が子に伝わる環境が
あれば子は育つものである。
確かに片親の場合
子は何らかの形で
寂しさを感じるだろうし
味わうであろう。
しかし愛が通じていれば
強さや優しさを身につける
子にとり最も大切なのは
『自分は何ものであるか』
というアイデンティティと
『無条件に愛されたいう確かさ』
これこそが
どのような境遇におかれても
道を踏み外さない
自己確立へと通じさせる
天下泰平の世を作った
家康の本質である。
次回は竹千代から家康になる
性格分析を勝手に想像し
内容を呟くこととする。
0コメント