偉人『明智光秀』

強き者が栄え、弱きが滅びる

戦国乱世の時代に

妻と子をこよなく愛し

家臣を大切にし

民を可愛がった明智光秀。

彼については

生年すらはっきりせず

素性が謎に包まれている。

人となりを分析するには

あまりにも情報が希薄だが

限られたエピソードから

男児の育て方を考えてみる。

光秀のエピソードで

注目すべき点は愛に満ちた

武将であるという事。

天然痘に罹った女性を妻とし

身重の妻を背負い峠を越え

追っ手から妻子を守り

また松尾芭蕉や井原西鶴が

称えた夫の面子を守る

妻の熙子の存在は

まるで好一対のようだ。

家臣が戦死すると供養の為に

全員の命日を記した寄進状と

身分の上下に関わらず

人命は同等と考えたのか

同じ量の米を寺に寄進した。

怪我をした家臣たちには

多くの見舞い状を送り

心寄せたのである。

親子でさえ殺しあう時代に

なぜそこまで

人を思うことができたのか

これは幼少期の育ちに

深く関係しているとしか

考えられない。

彼のエピソードを知るほど

社会的知能指数(SQ)が

高かったことが分かる。

SQとは人を理解し

関わり方を表すもので

現代の子供達に

最も必要とされるものだ。

このSQを上げるためには

幼い時から人に関心を持たせ

相手の立場や思いを想像し

自分はどうすべきかを考え

行動できるようにすることを

実践する必要がある。

おそらく光秀は

母お牧の方や周りの人々から

人に関心を持てるよう

声を掛けられ育ったであろう。

実は幼少期に

このような導きがなければ

SQが上手く育たないことが

分かっている。


明智光秀、

太平の世に生まれていたなら

比類なき君主であり

妻や子思いの人物として

評価されたにがいない。

謀反者としての汚名を返上し

その人となりに着眼される事を

祈りたいものだ。



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