偉人『レオナルド・ダ・ヴィンチ』

万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。

彼は左利きであった。

彼については常に頭の片隅にある。それは幼き子供達の左右の手の動きに注目し、左右脳の優位性を見極めようとすることと、幼児期の子供に現れる鏡文字が関係している。

特に左利きの子は鏡文字を書くことが多く、脳にある文字が裏返しになる。その頻度が多ければ多いほど文字修正をするのは難儀である。

よって乳児期から通う子は左右手の動きのバランスを気にして、使用頻度の調整をお母様にお伝えしている。それは文字を書く段階になり困らないようにする事と、左右の脳の成長バランスを促すためである。

ダ・ヴィンチが手稿を多く残し、その大半が左上から右下に流れる難解文字や鏡文字で記される備忘録であった。

そう私はこう考える。彼は左右脳の成長バランスに差があったのではなかろうか。

画家であり、科学者、発明家、哲学的や自然論、医学論をも自らのものとし、全てを表現に盛り込んでいった天才であるが、幼少期に脳を十分育てる愛情が少し欠けていたと勝手に推測している。


彼が生まれたのはイタリア・ダヴィンチ村。大自然と戯れながら少年期までを過ごす。

彼の両親は身分の違いで結婚することができず、彼は私生児として誕生し、両親とは暮らせず父方の祖父母の下で育てられた。

彼の乳児期についての記録はなく、幼児期は自然を相手に一人遊びをし、絵を描き、空想にふけていたという。少年期は動植物の生態に興味を奪われ大自然から多くを学んだとされている。彼が正確で繊細な素描を成しえたのは、自然相手の一人遊びから学んでいった観察力である。


彼が偉大な発明家の道を歩んだのも自然からである。

4歳の時、村に大きな損害を与え多くの人命を奪った暴風雨と14歳、雪解け水による大洪水である。

自然の猛威が村を破壊していく様子を目の当たりにして、全てを破壊する自然の力を人間のために利用する方法はないか。ここから彼は科学者の道を歩む。グライダーにヘリコプター、パラシュート、潜水艦に戦車や武器、反射望遠鏡の設計と多岐に渡る。


人体に興味を持てば病院の遺体安置所で解剖に明け暮れ、音楽好きの彼は人体実験で発声の仕組みを解明し、その法則を新たな笛の設計に応用している。それが現代のフルートである。


幼き頃、自然と対峙し学びとった観察力と経験から得た自然の猛威を活用するという科学者の眼を育て、成人してからはひらめきを研究と実験で形にし、夢を実現する、不可能を可能にする人生を歩んだ。

彼の左手で書いた多くのメモを目にする度、胎児や新生児の左脳の成長の遅れが右脳に特別な発達をもたらしたのではないか、シナプスの可塑性により恩恵を受けたのであろうと考えてしまう。


この仕事をしているといろいろな課題を持つ子にも出会う。

どのような環境に生まれようとも、どのような特性を持っていようとも、その子に影響を与えるものが本物であれば、その子の興味や好奇心、探究心を育ててあげれば、ここまでできるんだということを500年前の万能なる天才が示している。

無限の可能性が可能になる・・・そんなことを考えながら子供達の手の動きに眼を配る日々である。

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