偉人『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』
幼少期イメージシリーズの開始と同時に、今年の大トリは生誕250周年を迎えるベートーヴェンにしようと決めていた。
音楽史上彼を抜きに語ることはできない楽聖であり、後世の音楽家に影響を与え、避けることのできない苦悩を抱え、ながらもそれと対峙し乗越え、楽曲を世に送り出した人物である。
日本ではこの時期彼の作品第九を多くの人々が一堂に集い演奏されるが、これまた新型コロナに阻まれている。彼の人生とその楽曲から新型コロナの困難に打ち勝つヒントはないか考えてみることにする。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、睨みつけるような厳しい表情に、逆立った髪の毛がトレードマークの肖像画が多い。しかし調べてみると難聴が現れるまでの彼には後世に語り継がれる気難しさはない。
宮廷歌手として成功を収めた祖父の生前は比較的裕福に生活し、母の温かな庇護のもとユーモアのある子供であった。しかし祖父が没してから働く事を良しとしない父は、モーツァルトのように彼を天才音楽家として世に送り出し、家族を扶養させる事を目論んでいた。
そのため必要以上の英才教育を施し、時には虐待と捉える事もできるような厳しさであった。一方母は父とは真逆の考え方で、大成する事がなくても彼が彼らしく自身の道を進む事をよしとし愛情を注ぎ込んで育てた。しかしその母もベートーヴェン6歳で没し、父の野望に逆らうことはできずその重圧を受けながら家族を養っていくことになったのである。
この両親の相反する教育が、彼の人格形成に多大な影響を与えている事はいうまでもない。
子育てに於ける父性性と母性性の重要さについてはこれまでに幾度となくお伝えしている。先ずは母性性で子を受入れ愛情と慈しみを優先させ、その次に父性性で社会的要素を教育していく事が必要だ。
また幼い時に芽生えた怒りなどの衝撃的言動をそのままにすると心身の奥底に怒りや憎しみ、反発心を刻み込んでしまう。どんなに理性が働いて抑えるようにしていてもふとした瞬間に顔を覗かせるのだ。
このような感情は感情のままにせず幼い時にこの感情をコントロール術を教えるべきである。そう想像力を働かせて教え諭す方法を必ず実践していれば、ベートーヴェンの行き方も変化していたであろう。
しかし彼が自暴自棄になってもおかしくない音楽家としての致命的な困難をなぜ乗越えられたのか。
私が勝手に想像するに、彼には良くも悪しくも音楽があり彼の生き方から音楽は切り離せないかった。そして愛してくれ支えてくれた母を亡くした深い悲しみの中から立ち上がり生きてきたという強さを持っていた。また素行の悪い可愛い弟たちを養わなければならないという義務感も、そして亡き弟の息子を立派な音楽家に育てるという強い意志もあった。
甥に行ったスパルタ教育は彼が幼少期に受けた教育そのものであった。育てられたように甥を教育することが刻み込まれていたのである。私たち人間は完璧ではない。どんな親にも欠点がある。その欠点を子供に注がぬようにする気付きを是非実践してほしい。負の連鎖を止める方法を考え実践し続ける事が親としての成長だと感じている。
ベートーヴェンは癇癪もちで変人で、機嫌を損ねると激情的になり師のハイドンや支援者のリヒノフスキーに対しても攻撃的な態度をとった。
しかしこれには彼の幼い頃の育ちのみならず、健康上の問題も関係していたであろう。
ある研究者は彼の健康上の理由が名曲を生んだとしているが、一人の人間としての生き方と捉えるとなんと苦しいものかと痛ましく思う。しかしその説に同調する自分もいる。
そう彼の歩んできた父からの虐待に近い音楽指導がなければ、難聴という音楽家にとっては命取りの病に立ち向かう反骨精神は生まれなかっただろうし、死を選ぼうとなりながらも考え直し名曲を生んだのも確かな事だ。
私達親が子供に残せるものは、進むべき道を先回りし誘導する事でもなければ、指示するものでもなく、どんな歓喜や辛苦に対しても冷静に判断を下せる平常心と先に進むべき思考力と想像力を育てることだ。
ベートーヴェンの父は彼に生きていくための仕事の術を身に付けさせ、母の慈愛は辛苦を乗越えるための思考と想像力を与えたのである。
ベートーヴェンは自らこう語っている。
「人は私を絶えず不機嫌で、人と心を通わさず打ち解けることなく、人間嫌いと思っている人は多い。しかしそうではないのだ。私がそのように見える本当の理由を人は知らないのだ。幼い頃から活発で人付き合いも好きだ。敢えて人から遠ざかり孤独な生活を送らなければならない。無理に人と交わろうとすれば耳の聞こえない悲しみが倍増するのだ。辛い思いをした挙句、また一人の生活の押し戻されるのだ。」
「人間は必ず不幸や苦しみが降りかかる。それを自分の運命だと受止め辛抱強く我慢し、積極的にその運命と戦えば、必ず勝利するものである。」
彼は難聴克服のために特注のピアノを発注し、口にタクトを加えハンマーアクションの振動を歯で感じ作曲し、ピアノに耳を付け骨格伝導を利用した聴診器に似た補聴器の原型も作製している。
人としての弱さを口にし、やがて音楽家としての受入れがたい事実を容認し悩み苦しみ、困難に立ち向かい運命に打ち勝ちたいという信念とその決意が彼を突き動かし、聴力を失ってから多くの作品を生んだ。
もし彼の母がこの大成を見ることができていればどんな言葉を掛けるだろう。
彼の母になって勝手に想像してみる。
「よくぞここまで辿り着きました。あなたに降り注いだ苦悩や辛さを肩代わりできたらと幾度も考えました。でもそれも叶いません。それはあなたに与えられてものだからです。
でももう少し人を頼る、人に弱音を吐露する事があっても良かったのですよ。」
ベートーヴェンは骨パジェット病という病に冒されていた。頭蓋骨の厚さが通常の2倍となり、耳からの音の信号を脳に伝える聴神経が変形した骨で圧迫される病だ。また慢性の腹痛や下痢にも悩まされていた。腹水を抜く手術も受けている。当時は病の原因も判らず、成す術さえ見つからないという状況だ。死後彼の髪の毛から40倍以上の鉛が検出され、肝硬変であった事が判明している。
彼は自ら体に起きていることを理解できず病と戦い大作を残した。現代を生きる私達は新型コロナのある程度の姿が分かり、それを回避するある程度の方法が分かっている。
なのになぜ増え続けるのか。
身近に感染者が出て、そして命を落とすものが出て初めて気付く浅はかな人間なのだろうか。感染を抑えるのは一人一人の行動である事を再び自覚したいものだ。
そうベートーヴェンが困難を受入れ、辛抱強く我慢し、積極的にその困難と立ち向かった精神をヒントに、心して受入れ年末年始を無事に過ごし、その後も気を引き締めていきたいと考える。
困難の度合いはそれぞれ違うだろう。ただ言えることは私達には知恵というものがある。思考し実践する力がある。そして何よりも想像する力を働かせなければならない国難であることを自覚する必要があるのだ。
子供達が当初マスクを拒みながらレッスンをしていたが、今ではマスクを触る事もなく平然とレッスンを受けている。子供のあるべき姿はマスクで顔が隠れる世の中ではない。万全と笑顔で過ごせる世界に戻さなくてはならないと考える。
世の中の幅広い世代の母が、我が子の行動を諫める発言をすることで終息の糸口にならないかとつくづく思うのである。
彼の作品のピアノソナタ第8番「悲愴」は耳の疾患に苦しんでいた頃に作曲されたもの。当時の友人にあてた手紙には「困難に打ち勝つ」「新しい自分なりの音楽を作り上げたい」という希望の言葉が記されている。この曲を聴く年末にしコロナの終息を願う事にする。
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