偉人『チャールズ・ダーウィン』

今回は取上げるのはイギリスの自然科学者チャールズ・ダーウィン。『種の起源』で生物の進化を解明し、ニュートン以来の大発見といわれた進化論を発表、生物学の礎を作った人物だ。

偉業を成し遂げた人物を崇高なる人として取上げられていた時代から、昨今は偉人の駄目さ加減に注目を寄せた取上げ方がされることが多くなった。ご多分に洩れず彼もその中に含まれることが多い。

今回と次回の2回に分けて彼を取上げる。なぜに2回も取上げるか・・・結論から言うと、秀でた何かを掴むことができた人間には、『好き』というものを追求し過ぎるあまり凡人には奇怪に見える一面がある。そしてその人物の周りにいる人間は大抵心配やヤキモキとした苛立ちや歯痒さも感じることがある。しかし大小の成功を問わず何かを成し得た場合には、必ずといっていいほどその人を理解し信じ、時が熟すのを待ってあげている人物がいる。その純粋な気持ちが通ずる時必ず結果が伴うことをチャールズ・ダーウィンと彼を支える人々から感じ取ってもらいたい。

生まれも育ちも生粋の名家生まれ。祖父も父も名医として知られ、祖父は医師でありながら生物の起源や進化についての著書を出版し、様々な器具の発明も手掛け、名士の社交場「ルナ・ソサエティ」の創立メンバーでもある。方や母はイギリスを代表する陶磁器ウエッジウッドの名家の出で、ウエッジウッド家は科学や芸術に関心が高く、奴隷制度にも反対する当時としては新産業資本家の家柄であった。特にダーウィンが植物の興味を持ったのは8歳のときに亡くなった母の影響である。

父母双方の家柄がこのような環境のため素晴らしい人材の人ばかりである。

名家に生まれながら何不自由なく育ち、環境的にも申し分の無いものであったが、父が嘆くほどの劣等生であった。9歳で入学した公立学校の教師からは知能は平均以下だと評価された。しかし彼の研究から考えても知能の問題ではなく、強い関心を示す学びがその他の学びを無関心にさせ、尚且つ無関心の学びを楽しく導く力の無存在であったと勝手に考えている。

そんな彼の良き理解者は、文学・芸術・科学の多方面で優れた成績を修め、誰からも聡明だとされた5歳年上の兄だった。兄との化学の本を読み漁り、共に化学実験で化合物を作り出し楽しんだ。学校の教師はその実験が何になるのだと馬鹿にしたが、父は息子達の実験を後押しする実験室を彼が14歳のときに建て後押ししている。

その後ダーウィンは植物や動物に興味を持ち始め、学業は一切せず狩猟に明け暮れ、帰宅したかと思えば部屋に閉じこもり何かを記すことに夢中になった。このとき既に彼は動植物の虜になっていたのだ。

その様子にダーウィンの将来を心配して父が、学校を退学させ自らのもとで働かせた後医学学校へ進ませた。しかしこれも上手くいかず今度は聖職者の道へ進むよう段取りをした父の選択により、20歳で植物採集に目覚めた。ここから本格的に彼の人生の航路を決定付けるものが動き出した。詳しくは次回父子の関わりで記事を書く・・・お楽しみに。

子供と接しているととても科学では説明できないようなことを目の当たりにする。決しておどろおどろしいことではなく、この子はこのために生まれてきたんだろう。今は納得できないような行動がやがて当事者の親子には理解できる不思議なことである。ダーウィンもおそらくその部類に入るのだろう。どんなに駄目だと他者から思われていても、実の所その駄目視点が無意味で子供の行動そのものに意味があるのではないかと、親が信じて後押しをすることができるか、できたものだけに得られるものがあることを知っているだけあって、できないことを嘆くことに視点を置かれているのであれば、それは幸せになる切符を自ら破り捨てているのと同じだと断言しておく。


基本子育ては親の観察眼と待ちの姿勢、加点法で子を捉えるべきだ。その上で親としては理解しがたい子供の行動をその子供の目線で考えるべきである。今できるか否かの結論ではなく、今まさに何が起こっているのかを見極めることが先ず必要だ。そしてその後にできることをスモールステップで実行する。それが案外楽で順当な道のりであることを今回の記事から学べたであろうか。未だ分からずという方は次回金曜日に一読あれ。

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