偉人『サルバトール・ダリ』

留学から戻り復学しどうしても見識を深めたく西洋文学芸術の講義を履修した。『サルバトール・ダリ』の話題になり作品名を列挙することになったのだが、隣の子が思いっきり「フェラガモ」と答えたのである。イタリア靴のサルヴァトーレと間違えたようだ。ダリの強烈な表情を目にした事がなかったのだろうか・・・

サルバトール・ダリ、10時10分を表す髭を持つスペインを代表する最も個性豊かな画家である。

裕福な公証人である父と画家である母の間に生まれた。彼は兄、妹の三人兄弟である。しかし兄が早世したため両親はその後に生まれたダリに兄と同じ名前をつけたのである。この事実を幼くして知らさされたダリは、自分とは何者かというアイデンティティーに悩まされ人生を左右された。

また父による精神的虐待により異性に対しての恐怖心も抱えた。その父から彼を守っていた母の突然の死で彼の人生はより複雑なものとなり、それ故シュルレアリスムを全うしたといっても過言ではない。

しかし彼が世界的な評価を受けたのは彼自身の努力にあった。

彼の人となりは情緒不安定や時々みせる癇癪、異常と思える奇抜な行動、そして自己顕示欲の強さといったことが語られるが、それは全て幼少年期に受けた衝撃に関係しているとしか思えない。また一方で普段の彼は大変気の弱い男でありながら、真面目な一面を持ち常に基本に立ち返り自分自身を、作品を俯瞰していた。そう冷静であったのだ。相反するものが存在する中で常に考えて人前に出ていた節がある。

幼少年期の自分が自分ではないという屈折した思いは、自己否定に繋がりやすいくダリと同じように育ったのがゴッホである。しかしダリとゴッホには大きな違いがあった。ゴッホが自分の理想を絵に表現し続け、現実の厳しさを受け入れることができなかったのに対し、ダリは自分自身を演出する術を考え、自分の中にある不安を一切考えず表現をし人を驚かし喜ばすことに徹したのだ。また古典絵画を重んじ前衛的芸術に触れ科学や数学に学び、深層心理に隠された問題をテーマに描くことで多くの葛藤を整理したのだ。

自己を評価されるのを待っていたゴッホに対し、ダリは自ら目立つ中で作品をアピールし、そこで人に喜ばれることを知ったことが大きな差であるといえる。


では自分の力では抗えない事実を克服できる力はどこから生まれたのか。私は幼児期にあると考える。

好きなものがあった。そしてそれに打ち込む集中力と努力を厭わなかった。この好きなものを見つける力は子供自身が探して見つけることもあれば、親や第三者がいろいろな経験を与える環境設定がある。

また何かに打ち込む集中力は子供の頃に獲得するに越したことはない。乳児期にその芽を出させ、幼児期にグッと伸ばすことが理想だ。

そして努力は1歳以降の少しずつ我慢をさせるという躾が大きく関係している。この事から分かるようにダリは葛藤を生む環境に育ったが、それをカバーするだけのものも獲得していたといえる。それが画家である母からの認めるということだった。ダリの絵を母は誉め認めていたのである。


それではもう一つのダリの顔に焦点を当てよう。

ダリの目立ちたがり屋という一面は自分が自分であるための行動であり、目立つことで不安や恐怖心を打ち消すための行動でもあった。だから人目があると面白い表情もするし、車をカリフラワーでいっぱいにし大学へ行ったり、頭にフランスパンを載せリーゼントを表現したり、ロブスターを頭にのせ人を喜ばせたり、自己表現をするために潜水服を着て死に掛かけたことなど傍から見れば奇々怪々である。実はそれは2歳前後に見受けられる子供特有の変顔をダリは忘れずにコミュニケーションに取り入れたのだ。ダリの幼心に芽生えたひょうきんさが確かに存在しているといえる。

水飴で固めた上向きにピンと跳ね上がった髭と大きく見開いた眼、噴出してしまうくらい可笑しな顔は心和む。ダリのように自らの不安の解消や自己表現としての突拍子もない行動は、人に迷惑をかけず人に喜びを与えるものであるならば容認できるものだ。

彼の作品は初心者にとっては難解かもしれないので、変な顔をしているおじさんという視点からダリの存在をお子さんと楽しむのも良いのではないでしょうか。


最後にダリの若き日のお顔をご覧あれ、美しい・・・

人生いろいろ・・・エネルギーの塊のような人生を生ききったダリは、天才を演じきって天才になった奇才である。到底彼のような才能は無いが人を惹き付けるものを有したいものだ。


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