偉人『ハンス・クリスチャン・アンデルセン』

世界の三大童話作家といえば、『イソップ』『グリム兄弟』『アンデルセン』

イソップは平穏に人生を送ることの教訓を動物寓話化し、グリム兄弟はドイツなどの民話を集め、アンデルセンは170もの創作作品を書き上げた。今回はその中でも圧倒的な創作数を誇るアンデルセンを取上げる。作品の全てが彼の体験や経験がもとになっているオリジナル創作と言うのだから驚きだ。

先週たまたま国語の読解レッスンで出てきた問題の中に彼の名前を正しく表記する問題があり記事に取上げることにした。

彼がなぜ成功を成功したのか、それは親が最たる親バカであったからだ。子供の成功を願うのならば『親バカになれ』・・・そういうことだ。

先ず彼の作品を思い出してもらおう。『マッチ売りの少女』『みにくいアヒルの子』『人魚姫』『おやゆびひめ』『裸の王様』『すずの兵隊』『雪の女王』・・・どの作品も苦悩や挫折、困窮極まりない作品が覆いのである。

アンデルセンは後にこう語っている。「私の一生は一編の童話であった。その作品のほとんどが私自身の姿であり、登場人物は全て私の人生から生まれたものである。」

そう『みにくいアヒルの子』それは彼自身であった。180cmを越える大きな体に特徴的な鼻で容姿が醜いと揶揄もされた。『マッチ売りの少女』もまた彼自身であり、貧しい家庭で育ちその底辺にいる人々は死と言う形でしか報われないという風刺を込め、『おやゆび姫』では力なき幼子はその定めに従わなくては成らずも多くの助けを借り人生を切り開き、彼の人生も底辺から貴族や著名人との交流を成し得た。『人魚姫』では彼が経験した人間の色眼鏡で見る世界の愚かさを表現し、『すずの兵隊』では自身の恋いや愛が成就しないことを作品では成就さた。

彼の人生を知れば作品と一致することだらけである。わが身に起こる全てを作品化したのである。


アンデルセンは困窮極まりない家庭に育ち、両親からの愛情を一身に受け育つ。父は彼に物語を読み聞かせ、人形劇の舞台を作り楽しむことを教えた。しかし精神を病んだ父の死後、母も養育することが出来ず問題の多い虚言壁の祖母に育てられた。彼の人生は苦悩と挫折の連続でありながらも、自らの才能を信じ15歳で首都コペンハーゲンに行くことを決意する。しかし母は彼の将来を案じ、手先の器用さを活かし職人になるよう説得するが彼の決意はかたく、そして「息子のしたいことがどんなに馬鹿げた事であってもその望みを叶えるように」との父の遺言が残っていたため母は彼を送り出したのである。

たった一人あての無いままコペンハーゲンに着く。根拠の無い自信に溢れていた彼は詩人になりたいと作曲や詩人のもとへ行き仕事を与えてくれとと訴え、俳優の道もありかと有名女優の所へ押しかけ追い返され、オペラ歌手になろうと音楽学校長に直談判するも才能無しと言われ故郷へ帰るよう促される。

全てが拒否されてもなぜ彼がそこまで自分自身の才能を高く評価し、特別な存在なのだと考えていたのか、それは親バカによる盲信のなせるもので成長したからだ。


さて、ここからが今回皆さんが子供の成功を祈るのであれば、反読し実践していただきたいことだ。

子供の頃無謀な夢を抱いたことや根拠の無い自信にも溢れていた頃が誰しもあるだろう。しかし幼子から成長していくうちに現実を知り、その夢や自信はどこかに置き忘れ小さくなり、時にはその思いがなくなってしまうことさえある。これが平凡な生き方かもしれないが、世の成功者は根拠なき自信を持ち、夢を実現し成功を自分の手で獲得していくのである。その最たる人物がアンデルセンその人だ。

アンデルセンの父は当時は珍しく合理性に飛んだ人で子煩悩でもあった。また母はとても信心深い人で母の盲信で彼の想像力が育てられ、祖母の虚言で想像力が豊かになった。彼の想像力や才能をただひたすら信じ続け、愛情を注いだからこそ彼は自分の才能を根拠無く信じ大胆な行動に走れたのだろう。

私達親には子供を天才だと何の根拠も無く感じ信じることができる時期がある。

言葉も理解できない生まれたての子供が問いかけに返事をするかのように声を出した、立ったと思ったら直ぐに歩き出した、曲をかけると上手に踊る、教えた動作を直ぐに覚えてしまう、絵を描くとものすごい美しい色表現がでいる、学習的記憶力に優れているなど挙げるときりが無い。親バカの最たる時期が乳児期に多い。がしかし成長と共にまた現実を知りその親バカが薄れていくのである。しかしこの親の本能とでもいうべき子供を賞賛する能力を重要視して育てると、子供が豊かに強く自信に満ち溢れた子に育つのだ。

子供にとって自信を得ることはその子の過去の成功体験や失敗体験の両方が大きく作用し、そのことに対しての評価を周りから受け『自分はすごいな、できるぞ・これでいいんだ・次に進もう・もう一度チャレンジしよう」という自己満足を獲得する。そして最終的にその子供が自分自身で自身の行き方を理解し生きていくことのである。

『親バカ』という親に与えられた本能を最大限に活かし持ち続けることが出来るか、これこそが子供の未来を明るくするものであると考える。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン、その人は貧しい家に生まれながら当時の貴族の庇護を受け才能を見出され、多くの名だたる著名人と交流をした。その中にはメンデルスゾーンやリスト、デンマーク王の侍従コリンに可愛がられ、ヴィクトル・ユーゴやハイネ、デュマ父子や貴族達と交流した。女流ピアニストクララ・シューマンは彼のことをこう語った。「アンデルセンは容姿は醜い上にさらに可笑しく面白い表情をするので、直ぐに打ち解けた。不器用でぎこちない知的さがあり知れば知るほど好きになる人」またある貴族は「誠実で礼儀にかなう人物であり、素直で情が深く、敵対した相手も直ぐに許す寛容さも持ち合わせ、男女問わず一緒にいることを好み楽しみ、子供達にも大いに好かれた」と。


彼の童話の世界では自分自身の置かれた境遇を風刺するかのような作品を残し、独特な貧しきものの弱きものの悲哀さや悲劇的哲学があるが、その作品の根底に流れているものはそればかりではない。それぞれの作品で以下のことを描ききっている。『みにくいアヒルの子』で劣等感は必要ない、『裸の王様』で見栄を張るのではなく見栄を堪えることが立派だ、『人魚姫』先入観で物事を捉えず、自分自身の幸福とは人のために生きることが出来る人であること、『すずの兵隊』では自分自身をありのままに表現し行動することなど人とは何かを作品で表現した強い人である。物事の真髄を見抜いた才能はチャイコフスキーやドビュッシー、グリーグなどが彼の作品を音の調べにのせ、ゴッホも彼の作品に絵画的才能ガあると評している。


たとえどんなに貧しく苦しい境遇下に生まれようとも、親バカの子供を肯定する能力を最大限に活かせば根拠の無い自信は根拠のある自信に変化するのだ。親バカにならずして何になる・・・日本人の謙虚さはいらない。外国のように子供を人前で賞賛すべしと子育てが終わってから思う私がココにいる。

親の最大の能力は『子供を信じ誉めること』このことに尽きる。

Baby教室シオ

ほんものの学び。今必要な学び。乳児期から就学期までを総合プロデュースする沖縄初の乳児のためのベビー教室です。